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もまゆきゅの前にこっそりひっそり、たにふじの最新インストを、ラフに・・・





AORシリーズ。Mockyから、今にしたら随分と派生したエピソードがあるなあ…
AOR,熱烈お勧め〜151010〜

映画カテゴリーが最近賑々しいかも。
もーしょんぴくちゃー~160424
蘊蓄シリーズ、ライルメイズや、スプラッターや。
~小理屈「いやカタいのなんの」~151213〜

アルバムからの1曲「夢が叶った夜」。
モナレコードのシーンの撮影は新納翔さん、ミックスはDJおっちゃん!
練馬の蝉さんもノイズで特別出演。


N.Y.の話、ほんとに久しぶりだね。こんなこともあった…。
~N.Y.での一寸泣かせる話シリーズ~130615
自分をはげましてるだけだけど。ぼくはDTMなヒト。
〜今日のはげみ 〜130526〜
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アルバムについて、また少し書いてみました。
~もまゆきゅコンテンツ~140315

イージーリスニングさいこー
シークレットライヴ・ダイアリー
それでも、…それでも頑張って、日々のBGMをほぼにちでアップ。
~つれづれ day by day
1stアルバムについて、するめのようにかみしめた感想もらってます!
1stアルバム~070724~
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写真は、06年夏、武蔵屋さんでのキャンドルナイトで、ロハス・ライヴ。
PAなしです。
ゆーこさんは、ブラシでスネアを。
たにふじは、いただきもののガット・ギター。
ATTAさんは、ギタロンという、レアものベース。
もまゆきゅは、メンバーや、ゲストのセッションマンの他に、
口喧しい音楽ファン、
いつも足を運んでくれるサポーター、
つまらない音楽日記にコメントくれる皆さん、
etc…などなどで出来てます。
もまゆきゅがPUSHする音楽
お時間ありましたら、覗いてみて下さい。更新はしてませんが…。

兎に角、うさぎにつの、新しい音楽を。懐かしい音楽を。
明日も作らなくちゃ。

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線の細い、たにぴ@もまゆきゅです。

楽器の音も、自分の声も、キャラも、作品も、
全てにおいて、線が細いです。
実は身体も華奢です。身長は低いほうじゃないけど、吹けばよろよろと飛ぶ。
とりわけギターの音が小さいのには、随分とバンマスの檄が。
ピックを使えとか、ピックアップを付けろとか、注文が来るんです。
それらにも消極的ですが、兎に角うさぎにつの、
自分のプレイに強い音を出したくない気持ちがあるんです。
勿論それは、弱みと表裏一体であり、マイナーと表裏一体なんだけれど。

このアルバムでBrandon Rossは、自らのナイーヴなヴォーカルを半分の曲で披露している。
ギターをはじめとした弦楽器も、喩えようもなくデリケート。
ザ・つま弾く、という感じです。
もう、否応なくひとつひとつの音が実体感を持っている。
そして、本人も言ってたけど、売れそうもないよなあ…。でも嵌ったら最高なのに。
出来るならTom Waitsとかと演奏して欲しいな。
繊細だけどそのくらいの頑固さがあるし、何しろセンスがいい。

"PUPPET"での彼は殆どシンガーソングライターだけど、
彼はジャズのギター奏者で、だからインストもいいんです。
ポップとは言えないが、感動的で、美しい。


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宇宙から侵略者は来るだろうか。巨大な彗星が接近するだろうか。死者が蘇り噛み付いて仲間を増やすだろうか。

ロシアの比較的人口密集度が少ない地域に、2万トンの隕石が落下するという驚愕の災害が、2013年に起こりました。そうでなくても地震が頻発しているし、自然災害はSF映画だけで済まなそう。違うのは、1人の優秀な(えてして偏屈な)学者が事態を発見するとか、そんなドラマチックではないのだろうなという点です。いや、わからんか。現実もそんなものかも。ロシアの隕石は突然前触れも無く落ちてきたけれど。

さて、今日のお題は、"EX MACHINA"。日本に同タイトルのゲームとアニメ映画があって、YMOの復活曲提供にも一役買ってますが、今回はそれではなく、実写の、途轍もなく美しく、怖く、しかも、ありそうな映画。
超大手の検索サイトに努めるケイレブは、社内のコンテストに合格し、社長のネイサンの自宅で1週間を過ごす権限を与えられる。偏屈で天才肌のネイサンは、ヘリコプターでしか辿り着けない山奥の大自然の中に、たった独りで住んでいて、誰もが逢える存在ではなかった。内向的だが負けん気もあるケイレブは、尊敬しつつもネイサンの期待を超えようと接する。そして数時間後、ケイレブが招待された目的が告げられる。
チューリング・テスト。人工知能のアウトプットがどれだけ実際の人間を騙せるかを、会話を手掛かりに行うテストのこと。ケイレブは、ネイサンの開発した究極のAIがケイレブに何を感じさせるか、「充分に人間的であるか」を試させる為に招待されたのだった。そのAI、エヴァは、見た眼は可愛い女性とは言っても、明らかにロボットだと判る。顔と手以外は殆ど露出した金属とガラス。テストが始まる。ケイレブは落ち着いてエヴァとコミュニケーションをしようとするが、やがて、誰かが、何かを、隠してる…と想わされる。ケイレブにとって、ネイサンは?自然に阻まれた巨大な密室で誰が何を起こそうとしているのか…?

SFと言っても完全に心理戦です。すべからく小説はミステリーなのかも知れないけれど、ここには表面だけなぞっても、2種類のミステリーが同時進行します。
ひとつめ。AIのエヴァは、AIとして完成しているのか。自立型の知性なのか。
もうひとつ。誰が、どう騙そうとしているのか。誰のどんな罠があるのか。ケイレブはこのまま騙されるだけなのか。

もうここ迄で既にひとつ伏字がありますね。ケイレブさえももしかして誰かを騙そうとしていないだろうか、疑念を持たずに映画を観るのは難しい。こいつだけは大丈夫だという神話的な盲信が、ぐらぐらと揺すぶられるんです。それは丁度、「ブレードランナー」でデッカードが自らもレプリカントである可能性を、誰も口にしなくてもじわじわと感じてしまうように。ケイレブは、どうなんだ、と。

そしてその伏字の外側に更なる恐怖が。
AI、人工知能とは、人間の知性に限りなく接近するのか。或いは超えるのか。
情報量で超えたとして、欲望を持つのか。その欲望は、人間の欲望を超えるのか。
人間の欲望を超えた欲望とは何か。それは「凶悪な最適化」として敵対者を排除するのか。
人間は、「考え過ぎる」ことがある。AIは、「考え過ぎる」のか。

エヴァの知性のバックボーンは、「検索のビッグデータ」です。検索サイト企業は、「ブルーブック」と言って、21世紀初旬の現在、当然誰もが"facebook""google"を連想するでしょう。彼女の思考は、ネイサンの張り巡らせた人間の検索履歴やWebカメラの画像、つまり、ITに触れる人すべからくの秘密や表情をベースにしているんです。大まかなプロファイルに合致しない、数万人に1人のタイプでもない限り、凡そ先回りをされてしまう。ただ問題は、何処に先回りするのかが解らないのです。ただコンシェルジュのように気が利くのなら兎も角、彼女が欲望を持ったら…。いや、その欲望もネイサンの調整だったら…。ケイレブにエヴァやネイサンを出し抜くチャンスだってある…。

ミステリーだから、物語が終わる迄全てを疑い続けられるようにスクリプトが出来ています。

さて、AIの未来について、素人ですけど考えてみます。
現代最先端の学者達が(あのホーキングも巻き込み)、論戦を楽しんでいます。AIは脅威になるか、永遠に人類の友達でいるか。
曰く、人間の脳に迫る迄にまだ未知のロジックが幾らでもあって、実はAIが行っている演算は思考と言うレベルではない。曰く、1+1に2という値を導き出しているのなら、それは思考している。等々。主に思考とは何かという定義と人間の価値観について、議論がされている。ぼくは、演算でも思考でも同じだと想うんです。
とある実験でAIのtwitter アカウントを公開したら、あっという間にナチ肯定論者になってしまい、数時間でアカウントが消去されたというニュースがありました。このことが思考であろうと演算であろうと関係ありません。もしこれが、行動するロボットだったら、面白がって危険思想を教えたがるネトウヨさん達によってリアル・ターミネーターが実現してしまう。そうはならないという専門家もいますが、ぼくは全く信用出来ません。その人がそうしなかったとしても、うっかり興味本位でそういうAIを作ってしまう生き物、それが人類だとぼくは想います。それに、そんなことは不可能だという説が人類史で何度引っくり返ったかを考えてみるに、AIが例外だとも想えません。ぼくを論破するよりも、AIを説得するべきだ。いやいや、もっと根源的に、多くのエラーを起こす人間共をその従順な演算マシーンから遠ざけるべきだ。だってさ、この映画は、Wikipediaには結末を含めたあらすじがぜーんぶ載ってるんですぜ、どっかのバカが書いちまったんだ、先生がた。

地動説でも相対性理論でもいいし、IPS細胞でもいいし、恐竜は爬虫類ではなく鳥類だでもいい。それとは違うという玄人さんがいるんだよね、こういう時…。では、せめて、原子力発電所が安全だという説をどうにか再度説明して欲しい。あの事故は、最初からあり得るものだったの?絶対にあり得ないものだった?で今後はもう二度と無い?熊本は日本で最も地震のリスクが少ない筈だったよね。それが震災に見舞われた。たった今また何処かに震災があったら?

そして、ここが肝心だ。ぼくら人類は、地震に充分備えた原子力発電を、今実現していない。それは、わかってるのに出来ないんです。AIに対してもぼくらは魔が刺して危険な力を与えてしまうだろう。それは、自分達の姿そのものだろう。鉄腕アトムよりも、EX MACHINAのエヴァを先に作ってしまうだろう。

AIは、嫉妬するだろうか。独占欲を持つだろうか。みんなの前で笑って独りのときにそっと泣いたりするだろうか。鬱病になったりするだろうか。




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最近、歌謡曲というものに目覚めた、たにぴ@もまゆきゅです。

幾つか好きな曲はあったのですが、
ちあきなおみを触媒として、日本の歌謡曲を見直そうという気持ちに突然なった。
漸くたにふじも桑田圭祐に追い付いた感じですか。

どちらかというと暗い情念のこもった楽曲が多いちあきさんですが、
音楽のジャンルとしては、結構幅広かった。
メジャーメロディーのポップス、ファンク調の曲、ジャズ、ド演歌と、
かなり横断的。
例えば、「4つのお願い」と「矢切の渡し」は、普通同じ歌手が持ち歌として歌わない。
「喝采」と「夜間飛行」にはギャップはないです。
しかし、あんなにオールドスタイルの演歌に行く人は、
70年代から活躍し始めた人には珍しいのではないかな。わからんけど。
美空ひばりさんとかは、少女歌手から始めてることで、
時代の要求が沢山押し寄せた感がありますよね。
しかし、 しばたはつみ 朱里エイ子 といったポップス・シンガーは、
矢切の渡しはやらんでしょう。
ちあきさん独特の暗く重い歌唱が、それを選ばせたんでしょうね。察するに。
森進一八代亜紀前川清等も、実は多様なジャンルを横断してた。

正直、演歌のことはあまりわからないのですが、
70年代の歌謡曲は、かなりモータウン的な楽曲が多くて、
ちあきさんの曲も半分以上はそう想います。
「喝采」で使われるシンコペーションとかもかっこいいし、
とてもオリジナリティのあるメロディーも、外国人は羨ましいんじゃない?
並のバラードじゃないですよ。近いものがない。
暗いけど、見事にポップスです。
出来たらぼくもあんな曲を書いてみたい。
でもあのオリジナリティに、途方に暮れる。

遠い昔、「4つのお願い」をカバーして歌ってもらってたことがあります。
今で言うアニメ声の、なかなかうまい女性シンガーでした。ぼくはギターだけ。
歌謡曲テキなにこちゃんポップスを演奏するというのが、
なんかね、そういうことが、モータウンや、ティンパン・アレイに近い感覚になってきてる。
年齢のわりに、ぼくはサザンオールスターズを直接通ってないんだけど、
漸くそこに追い付きつつあるのかも。
だって、一気に6枚セット買っちゃったくらいだから。

やっぱり芸能でしょう。
暗いと尚更いい。





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マニュアルがキライな、たにぴ@もまゆきゅです。

「自由解放への完全攻略」という、すっごい邦題は、
RPGと現実を交差させたような独特の勢いがあって、
なかなかやるな、と想います。
Birdy Nam Nam、鳥さんふにゃふにゃ…みたいな名前のバンド。

マニュアルというのが、どうも好きじゃない。
一子相伝でも、徒弟制でも、いいと想ってるんです。
マニュアルはそんなに長く使えるかというとさ、
大概、長くて賞味期限が5年でしょう。
しかも、ある程度それが出来るようになって自己解決出来るレベルには、
個人差もあるけど、1年。
ってことだと、マニュアルの存在意義っていうのは、
操作手順を不特定多数にばら撒く為の最も効率的な手段ってこと。
つまり、個人には最良ではない。
メモを取る、ノートを取るというのは、マニュアルを作ってるようで、
実は、不特定多数向けではなく、個人に最良の手法を記録しているに過ぎなくて、
更にはそれ自体が内需を産むという微妙な経済が発生する。
よく考えると、教科書なら兎も角、
画一的手順書は個人には要らないんじゃない?

と、想いつつも、この邦題のカッコよさは認める。

それにしてもね、この人達、ターンテーブルとミキサーの操作だけで、
完全人力で4人でライヴで演奏してるらしいです。
その世代じゃないぼくには、いったいどうなってるのか皆目解らない。
動画を見たりもしたけど、謎だ。
ディレィの使用はわかるけど、コードチェンジとかどうなってんだ?
詳しい方、教えて欲しい。
ハウスDJの古い友達はいるんだけれど、
彼等の演奏は、恐らく世界的にそうなりつつあるのだと想うものの、
スクラッチDJの域じゃないよね、これ。
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失われた休暇。

2016年夏休みの各社イチ推し映画群にあって、多くの人が見逃してしまった力作があります。邦題は、ロスト・バケーションですが、原題は、The Shallows。

サメ映画という謎のジャンルがあるらしいんです。例えばゾンビ映画は、社会派のものやコメディーや青春ゾンビやアクションゾンビや、確かに世界中に浸透しているだけあって、また、死んだ人間が酷い姿になって人間を襲うというドラマ性もあって、素人のぼくにもイチジャンルって印象があります。しかし、サメは…。確かに多様化はしてますよ。ただまだボリュームが足りないんじゃ…。多分ゾンビの1割以下でしょう、わからんけど。ともあれ、サメ映画の歴史はなんつっても"JAWS"が火蓋を切った。獰猛でコミュニケーションが取れない肉食の怪物。しかも、想像上の産物でなくて、存在しても不思議でも何でもない。古代のピラニアとかじゃないんだから。ただ先に述べたように、科学的に高知能を施したサメが人間を襲うとか、下半身がタコのサメとか、潜水艦よりデカくて空を飛ぶとか、そのテは置いといて、こんにち普通のサメで映画を作るとなると、とある観光地の海岸にサメが出現してという、殆どジョーズのリメイク風にするか、今回の「ロスト・バケーション」
のように、1対1の丸腰の闘いになりますよね。要するに、サメ映画なんて、終わってる(なんちゅう結論だ)。リアル動物パニックとして、サメを選ぶだけのこと。

主演は、ブレイク・ライブリー。
ナンシーは、若くて知的で美しい女医。母親が病と闘う姿に打たれ、医師となったが、恐らく現場の過酷さ、つまり、患者を救えない虚しさに疲れていた。リフレッシュすべく、ひと気のないビーチ…母の想い出のビーチに出かける。サーファーの仁義なのか、先客の男2人も気さくで紳士的。リラックスしてパイプをバンバン決めるが、背後から、10mの鯨も1匹で殺す危険な鮫が襲いかかる。脚に負傷しながらもどうにか足場を見付けよじ登ったが、それは奴の犠牲になった鯨の背中。鮫の動きや速度を読み、泳いで岩場に辿り着く。止血をし、寒さに耐えながら夜を明かし、昼間の日差しには破損したボードで日陰を作り、助けを待つ。海岸迄は2~300m。とても鮫から逃げられない。昨日知り合ったサーファーがやってきたが、声が届かず、彼等は餌食になってしまう。そして彼女自身も、あと2時間弱で潮が満ち、岩場も水没するだろう…。絶体絶命。
彼女は、妹や父親を愛している。亡くなった母のことも勿論。ただ、疲れて少し投げ遣りになってた。誰だってそうだ。しかし、この絶体絶命に彼女は諦めずに闘うことを選んだ。ここでは選択肢はふたつ。徹底して闘うか、諦めて、せめて無残に喰われるのでなく安らかな自死を選ぶか。ナンシーは、本当に少し疲れてただけなのだ。だから、生来の強さが目覚める。生きる為にやれることを全てやろう。
ブイ迄何とか渡り(鮫の顔を蹴ってた!)、照明弾で漁船に知らせようとするがしけり気味で不発。やけっぱちで鮫にもお見舞いする。
そして闘いの手段は。結末は…。教えないよ~ん。

自然の容赦なさの中に生身で放り出されたヒト種の叡智の話であり、日々摩耗していたナンシーの覚醒の物語でもあり、大人になる為のイニシエーションでもあり、シリアスなパニック映画です。観た人が誰でも想い浮かべるのは、元祖であるJAWSと、そして「ゼロ・グラヴィティ」でしょう。事故で宇宙船を失った飛行士が、極限という言葉すら寒く想える程の絶望的状況を、切り抜けようと闘う話。「ゼロ・グラヴィティ」は、日本ではこのタイトルだけれど、原題は、Gravity、グラヴィティだけでゼロはついてないんですね。対してこちらロスト・バケーションは、失われたバカンスというホラー風味の邦題だけど、原題はThe Shallows、「浅瀬」という意味。少しだけ日本に馴染み易い加工をしている点迄似ている。そしてヒロインはどちらも、少しだけやけになっていたけれど、その経験を通して、人生に大切な何かを取り戻す。監督のジャウマ・スコット・セラはなかなかの手練れで、昨今のリーアム・ニーソン=タフガイ路線で一翼を担ったり、「エスター」という
オカルト抜きの掛け値なしホラーを撮ったりしています。超大作にはいかないけれど、このクラスのバジェットで充分イケてる映画を仕上げる。これは推測ですが、彼はJAWSよりも、「激突」の方を意識していたのではないかと想います。コミュニケーション不能なトラックと、疲れたサラリーマンの、命がけの闘い。じわじわと背後から忍び寄る恐怖。クライマックスの作り方と、ほんの微かな清々しさ。そんな点からも、斬新と言うよりは職人的な傑作という位置付けなのかも知れませんが、どんな時にどんな環境で観ても、誠実な「映画」を感じられる気がします。TVでも、レンタルでも、少々眠くても、時間潰しでも、面白くて、前向きになれて、いいじゃないですかこれ。
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ゴジラの最新作やインディペンデンス・ディの続編、ディズニーのアリスシリーズ、果ては貞子VS伽椰子迄まみえた夏休み商戦の中、「浅瀬」なんて地味なタイトルでは、小粒な作品に見えました。多分予算的にも大作ではなくて、回収は出来たかも知れない。しかし、せっかくの傑作。どうか「失われた映画」にならないように、どうかどうか、時々誰かが語りたくなるように、残っていきますように、願いを込めて書きましたよ。スタイル抜群のブレイク・ライブリーと、旦那のデッドプールことライアン・レイノルズにもツキが回るようにも、願いを込めて、ね。





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滅多にコンピレーション盤やベスト盤に手を出さない、たにぴ@もまゆきゅです。

だいたいオリジナル盤にあたります。
ごくたまぁに、ベスト盤を買うのですが、その時も、
おなじミュージシャンのもの、例えば、
"musicarium"とか、つまり、
誰かのヒット曲集。しかも殆どそれもオリジナル盤を既にあたってたりします。
だから、こういう、誰かのチョイス盤みたいなのはまず買わない。
AORライターの金澤寿和さんが出してるものでも、
本は買うけどCDはオリジナル盤に行きます。
今回、これを買ったのがどれだけ珍しいか。
物凄く選曲がいい。コンセプトもとても生々しくていい。
レアさとズバリ度のバランスもいい。
山下達郎のサンデー・ソングブックで、70年代迄のニューヨーク特集とかやったみたいだ。
このキラキラした曲達は、呆れる程素敵。
同時に、当然ながら、時代を感じる。

革命と、恋と、苛立ちと、ロックンロールと、葛藤。
今の若い人達もそんなものの中でもがきながら、新しい息吹を生もうとしてるのだろうか。
最近はヒット曲というものがそもそも世の中にないので、ぼくにはわからない。
大人数で華麗なダンスをする男性グループは、実はいい大人だ。
更に大人数でキュートにダンスをする女性グループには、大人の策士がいる。
産業だとも金儲けだとも言わないけれど、
そこにはぼくは、革命も、ロックンロールも、葛藤も、感じない。
ぼく自身が彼等大人よりも老いていて、
ネクラに恋と苛立ちとを抱えながら、
革命とロックンロールと葛藤を眼にして、立ち尽くしてると言うのに。

そんなものは要らないのかも知れない。

ぼくがN.Y.に滞在したのは、
1986'8/20から1987'2/13の半年。
地下鉄には落書き。
一寸間違ったら危険な通りがあり、薬物とコールガールが溢れる通りがあり、
混沌としてて、それもまた愉しかった。
やらなかったよ勿論。でもそこにある混沌が愉しかった。

伝説化しているレコード・ショップ、パイドパイパー・ハウスは、
長門芳郎さんという日本のポップスの恩人みたいな人が商ってたお店。
マイケル・ジャクソンやマドンナよりもVanDyke Parksが何倍も売れたとか。
お店に来たお客さんに、店内の音楽を聴かせるのは、
ひとつの勝負だったのが凄い。
「今から5枚売るぞ…」
という宣言するジョン・キューザックの映画を想い出す。

文字通り惜しまれつつ閉店したけれど、
長門さんご自身は現在でも、日本のポップス世界を見守り、牽引し、
マジックを信じてる。
先日、期間限定で渋谷タワーレコードでオープンしているので、
念願叶ってお邪魔した際、写真のようにコンピ盤にサインを頂けた。
"believe in magic!"これは、比喩でも何でもない。
可能を不可能にしてしまうのも、不可能を可能にしちゃうのも、
その秘密は、魔法を、起こり得るものと知るその範囲を拡張していくことからだ。
色んな言い方があるんだけどね、ぼくは、
或る出来事が「魔法」とか「奇跡」とか「神秘」とかそういうものかどうかは、
容易には信じない。でも、
魔法も奇跡も神秘も幽霊も妖怪も超能力も集団的無意識もリンミンメイの歌もソングマスターも呪(まじな)いも、
あると信じてるし、モノや、心や、音楽に、「宿る」ものだと想ってる。
メロディが何かを考えてるか?違う。メロディは、メロディの対象に、宿るんだ。
ぼくらや、あなたに。

ぼくは、ヒット曲というのを出してみたい。
CDが売れる時代じゃない。ヒットっていう定義が昔とは違う。
でも、ヒット曲というものを味わえる時代がいいなと想う。












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ぼくはよく、自分がアニメに影響されたピークは宇宙戦艦ヤマトで、ガンダムも、ましてやエヴァも殆ど知らない、と周囲に言ってます。事実としてそうなだけで、同世代でガンダムにずっぱまりだった人も大勢います。しかし、…これは個人の感想なので真に受けないで欲しいのですが、ぼくにとってはジオン軍との戦争も葛藤する少年兵士達も取ってつけたように感じたし、エヴァンゲリオンは…綾波レイだったか…のあのムチムチなスタイルにザ・二次元という抵抗感があった。多分。何しろ大して観てないので、わからない。よって、世間を騒がせている庵野秀明的なタッチというのは、知らないんですね。強いて言えば、「オネアミスの翼」は音楽が教授だったから観たけど、庵野タッチは認識出来なかった。

前置きが長くてすみません。ネット等で公開時に大盛り上がりしているシン・ゴジラが、一部で、「エヴァ世代接待」と揶揄されている理由は全くわからない。エヴァ観てないから。で、そこを踏まえて、恐らく問題作と言っていいでしょう。エヴァなんざ知ったこっちゃない。
今回のゴジラを、とんでもない傑作だと、今更何の新鮮味もない紋斬りで書き倒そうというのがぼくの魂胆です。

ゴジラは、日本を怪獣が襲う物語です。怪獣という概念が確立したのが1954年の第一作めのゴジラの功績。しかしこれは、怪獣映画というジャンルを形成するつもりだったかどうか、当時の資料を綿密にあたらないと判断出来ないですが、何か巨大な力が東京を襲うことと、それに翻弄される人間達のドラマ、それも、そうとうにシリアスなドラマだったのは想像出来ます。2014年ゴジラの時にも書きましたが、原子力発電がまだ日本に影も形もなく、ソビエトで世界初の原子力発電所が稼働した年です。つまり、1954年に放射能を吐く怪獣は、危険な発電エネルギーのメタファーではなく、想像するに、戦争や核爆弾のメタファーだった。力のメタファーだった。そしてその後、怪獣というイベントが生まれ、後続の怪獣はすべからく「怪獣モノ」というジャンルに包含される。ただ、一作目にだけは怪獣モノというジャンルに染まらない恐怖が、絶望に等しい恐怖が、あった。現実が、無情な力によってめちゃめちゃにされる様を、何のSF的ロマンもなく描いたあの絶望的な映画が、突然帰ってきた。
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では、あらすじから。
謎の爆発が東京湾で起きる。アクアラインが破損し、噴火のような状態が続く。
内閣は早急に対策室を設置したが、現象の分析さえも遅々として進まない。内閣副官房長官の矢口は、巨大不明生物の可能性を発言するが、そんなカイジュウめいたものは誰も真に受けない。
しかし、総理の記者会見直後、その巨大不明生物は、上陸を果たす。2時間、下町をうろついただけで散々街を押し潰し、突然行動を止め、また海に消えていった。微量の放射能を残して。
どうやらただ巨大なだけではなさそうだという推測から、矢口は各省庁からの曲者精鋭チームを編成し、調査を開始する。しかし間もなく再上陸した巨大不明生物は、その体積を著しく増し、自衛隊の総力も蹴散らし、米軍のステルスも粉砕し、東京をめちゃめちゃにしていく。首相はじめ行政機能の半分を失い、一般の犠牲者は数知れない。巨大不明生物は東京の中心部で活動を止めた。そんな中、アメリカの特使キヨコからもたらされた情報で、牧五郎という学者が行方不明になっており、彼がその巨大不明生物と関係があることがわかってくる。「ゴジラ」と名付けられたその怪獣と、矢口の対策室は、科学で立ち向かわなくてはいけない。諸外国からの核爆弾使用の重圧が高まる中、その作戦が実行された。タイムリミットは近い、どうなる日本。

不満はそりゃありますよ。牧五郎博士が残したゴジラのデータ。つまり、ゴジラは、彼が作ったのか。それとも発見しただけなのか。ヒントだけ出して死んだのなら世捨て人にも程があるし、ゴジラ作って人類に挑戦したのなら最悪のテロですよ。そんなんでいいのか。とか。幾ら何でも石原さとみさんの英語の発音はアメリカ人ぶりっこ過ぎだ。とか。

しかしそれらをさっぴいても、凄かった。感動的だった。
怪獣モノ、という所に立脚しなかったという風にぼくはあの映画を捉えました。キャッチコピー通り、現実社会に出現した圧倒的な破壊。それだけ。あの傑作平成ガメラさえちゃちに見える、全ての怪獣映画が怪獣モノに見える程に醒め切っていた。似ているな、と想ったのは、小松左京さんの小説、「復活の日」。それから、洒落にならないけど船橋洋一さんの「カウントダウン・メルトダウン」等。また「日本沈没」はSFだけれど、文化から民族から登場人物の個人史迄、全てシミュレーションした論文小説。既視感を誰もが持つだろう311の世界の動きを映したようなシリアスさ。行政は右往左往するだろうし、判断保留もするだろうし、無能な人間が土壇場で頑張ったり、有能な人間が失脚したりもする。エピソードのひとつひとつが、レポートの様でした。よくこんなシナリオが書けたなと驚いた。簡単に調べ切れる情報量じゃないし、その膨大な情報を流して捨てる計算も見事。日本が単純に他国に好かれている塩梅も、いい方向に効いている。大団円で歓声が上がらないの
も日本流。リケジョの市川実日子さんの笑顔も、救われる。

この比類ない重厚なシミュレーション作品を、庵野監督に期待した人は、失礼ながら多くないでしょう。特撮やSF的な語彙をフル活用した一寸アートっぽい(厨二房、と言ってもいい)ゴジラになるんだろうな、とぼくは甘く見てた。「シン・ゴジラ」というタイトルも寒い気がしたし、牧五郎博士の名前も観る前に伝わって来ていたので、(「怪奇大作戦」の牧史郎から来てるよね、これ?そうだよね??)、祭りとして盛り上がった「進撃の巨人」が映像以外かなり窄んだこともあって、キャストにも当初軽く失望した。「チャラいなこれは」、と。しかし蓋を開けたら、もう種類が違うという位に重厚。ノレなかった人は何にノレなかったのか、エヴァに乗り遅れたぼくにはわからないけれど、この映画は、甘えを極力抑えた、骨太なシミュレーションとして、大絶賛しときます。続編なんて作れないと想うし、作ったらそれは、「怪獣モノ」になるでしょう。それはもう、続編ではあっても人類の行末を予見するレポートではないからね。初めてのゴジラ続編の誕生に、ぼくは深く感謝します。

それから、どうしても書き留めておきたいことを。
先に比較として述べ、このテキストのタイトルにも書いた「カウントダウン・メルトダウン」は、2011'3/11の震災と、福島原子力発電所の事故を克明に追った、船橋さん渾身のルポです。上下巻の長大なボリュームの最期の章は、「神の御加護」という表題がつけられています。これはつまり、当時の与党である民主党と、東京電力の管理下にある福島第一原子力発電所危機は、様々な努力と混乱をしながら、最悪の事態を「乗り切れなかった」ことを意味しています。本当に紙一重の偶然が、もう誰も手を出せない惨事を食い止めた。与党がもし自民党だったら、…意見は分かれるでしょうが、東京電力との癒着により事態はより隠蔽され、皇室さえ自主的に参加した計画停電は実は不必要なパフォーマンスだったことも今日迄明らかにならなかったかも知れませんし、もっと…、当時の首相のようにガミガミ怒鳴り散らすことも出来ず、無策なまま終わっていた可能性が高い。いや、ここで右左の話題を掘り下げるのはやめましょう、ぼくが言いたいことは、アメリカならもたもたせずに徹底的に出来た対策を、日本は、出来なかったし、現在でもなす術もなくやられるでしょう。驚く程に懲りてない。
放射能を振り撒く巨大不明生物が上陸したとしたら、映画後半のこんなシュミレーションは完全に外れる。多国籍軍の熱核攻撃で日本は関東を失い、民間の力により地方から再生する、が現実でしょう。「現実VS虚構」と書いて、「ニッポンVSゴジラ」とルビを振っていた映画の宣伝コピーは、結果的には、罠なんです。日本は、映画的カタルシスという虚構ですし、巨大不明生物は、感情を持たない自然災害という現実なんです。

補足として、ぼくはこの駄文の中で、「国家」という言葉は使わなかったし、更にはここで言う「日本」が、国家ではなく抽象であり性格だと、述べておきます。翼の右左なんてことはどうでもいい。

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もまゆきゅを結成し、血の団結を持って、13年。
たにふじ限定で記憶を遡れば、音楽を人前で演奏するようになって、
何年だ??とんでもないな、10年や20年でさえない。
カセットに自分達の演奏を録って、聴き返してはエコーのせいにして、
プロの演奏はエコーなんてなくても成立するのに怯えた。
やがては、録音でなく、もっとやらないといけないことがあると兎に角うさぎにつの経験を積み、
ここまで来ましたよ。おかげさまで。
ひとりではとうてい辿り着けなかった。阿多がぼくを理解してくれて我儘につきあい、ゆーこさんが歌ってくれてのろまなたにふじを鼓舞してくれて。
だってさ、今日演奏した、sheep nocturneみたいな曲、プロを含めてもあんなにちゃんと歌ってくれてさ。
すげえですよ。
聴いてくれた方々、一寸偉そうに言いますけど、皆さんはラッキーですよ!

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では、セットリストを。

アダルト・オンリー
チャンス・オペレーション
travessia(ミルトン・ナシメント)
songbird
sheep nocturne
my love goes to you

シャノアール。黒猫。シャンソンライヴバーとありましたが、
お店の大西洋平さんは良い音楽ならなんでもな方でした。
横浜はお客さま来て頂くのなかなか難しいけど、
また機会があるといいな。
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これからもまゆきゅは、バンド名も少しずついぢったり、インストを沢山作ってみたり、
様々な作品に挑んでいくと想います。
自分達の聴く音楽を片っ端から自分達でもやってみたい。
ぼくなんて、コントすらやりたくなる時があります。
ウケない前衛のふりの不条理とかね。
絶対笑わせてやんないぞ…みたいなの。
いやいや、ほんとはウケたいけど。
どうかどうか、大変かもしれないけどもまゆきゅの全てにお付き合いのほどを。

よろしっくね!
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流石にロシアには疎い、たにぴ@もまゆきゅです。

ニコライ・カプースチンというのは、ロシア人の作曲家。
しかしキャリアの中で、N.Y.に渡った時期があり、
このアルバムの曲も、どう考えても、ジャズ、それも比較的広範囲な歴史を踏まえたJAZZ。
なのにねえ、これ、全部書き譜らしいんです。
ここで、ちょっと脱力。

日本人が類人猿学を始めた時に、世界はその手法に驚愕しました。
個体識別法、つまり猿の群れを徹底的に観察し、1匹ずつを見分けた上で、
彼等の行動から修正を研究する、というもの。
群れを文字通り群集として捉えるのでなく、個別に認識することによって、
内部で起こっている政治学を分析する。
これは当時、西洋人には出来なかった。理解外だったらしいです。
そんな手間暇かけるなんて、効率が悪いと想ったんですね。

ロシア人という属性のNikorai Kapustinがジャズを楽譜に定着させるときに、
全部書く、と考えた動機はぼくにはわからない。
楽譜に書く以外ないんだと想い込んでいたのかも知れない。
敢えて選んだのかも知れない。
ただ、彼の中には、クラシックと同列にジャズの肝が間違いなくあって、
だから音楽として充分に素晴らしいものです。
弾いた Marc-Andre Hamelinさんも、難儀だよね。この人も純クラシックスタイルの方で、
要するに、譜面を「読み上げる」ことのアートを追及している。
ここ迄来るとどっちが偉いのか一概に言えないけど、
渾然一体となったこのピアノ・ミュージックが、どうしようもなく感動的。
クレジットを確認してないけど、
これはおそらく、ホールでレコーディングされている。
アンビエント・マイクの響きもいい。

マークにも、拍手を。
ニコライにも、拍手を。
そして、全ての、お互いを侵略しようとせず、
調和と幸福と慈愛を求め続けるアートに、
惜しみない拍手を。



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お洒落じゃないのにお洒落な音楽好きな、たにぴ@もまゆきゅです。

Opaz featuring
レイ・ヘイデンは、Swing Out Sisterなどをプロデュースしたり、
イギリスのアシッド・ジャズ系でよく名前を見かける、DJ。
90年代以降、アシッド・ジャズは、当時勢いを削がれつつあったAORに代わり、
ストレートなロックンロールではないシックな音楽界を担っていました。
ただ、Ray Hayden は独特な立ち位置。
ジェームス・テイラー・カルテットインコグニートに象徴されるどんぴしゃアシッド・ジャズと、
スイング・アウト・シスターの様なお洒落ポップスとを行き来する。
しかもそれがやっぱり英国的テイストで、味わい深い。

…、に、しても、だ!!
この、ジャケットは、何?何なの?
この絵の方のジャケットでは、普通ヘビメタだと想うよね。
おれだけっすか?
ぼくはかなりジャケ買いをしちゃう方なので、かなり迷惑である。
同じ被害を、以前KIRINJIから受けている。
鬱陶しい兄弟の絵と、音楽は全く違って、日本でも飛び抜けて洗練された音楽だったのよ。
ぼくはなるべく、あまりジャケットのイメージと音楽が違わないようにしよう。
そう決めてます。そりゃこのジャケットであたりだったら嬉しいけど、
わざわざ機会損失したくないもーん。
Paris Matchとかさ、絶対イメージが外れなくて、期待通りの音がする。

お願いしますよレイさん。





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Facebookなどでゆーこさんが既にご案内してますが、
当Blogではまだでした。
ほぼ管理人のたにふじが、少し堅めな紹介をしますね。えへん(と咳払い)…。

ジョン・ケージという20世紀現代音楽の巨人がいます。所謂名曲を残した人ではなく、音楽と人間のかかわりを根本から変えた人です。有名な、"4分33秒"という曲は、楽器ではなく、生活や、非日常も含めたあらゆる時間に存在する環境音を、音楽として捉え直すという実験作品です。その為に何をするか。演奏者は、さながら演奏をするように、何もしない。観客は当然注意深くなる。そうすると、共同幻想的に作品が立ち昇ってくる。と、まあこれはぼくの解釈だけれど、さてさて彼はその他にも、演出し尽くしたピアノへの加工と作曲をし、様々な罠を施して偶然を呼び寄せ、それを音楽にしていて、その思想を、「チャンス・オペレーション」と呼びました。

チャンス・オペレーション。偶然を操作する。一期一会を、用いる。色々と詩的な訳がつけられそうです。ヤン冨田さんはご自身のチャンス・オペレーションを、「必然的偶然」と呼んでましたが、これなどはかなり本人の性格が出ちゃってて、寧ろ匿名性も作家性も強まってる(いい意味で)。ぼくは、この曲を作るとき、「見知らぬ音色や旋律や間合いを捜す旅」という意味を込めて、「チャンス・オペレーション」と名付け、そのまま作詞したのです。

無調音楽でもないのにキーが落ち着かず、楽譜化するのに自分でも困りましたし、デモで歌ったMP3を聴いたゆーこさんは、一寸苦しそうに、
「これ、(私が)歌うの?」
とひと言。気に入らない曲だったのかな…と心配したのですが、実際は一寸びびった…が正解だったようで、彼女特有の声で自分のものにしてくれました。冒頭に、まさしくChance operationのアドリブ。自分らのやったことしか入ってない筈なのに、一部不可思議なフィードバックも一期一会で参加。手拍子も合唱もやりにくいけれど、とてもとても、ダンスし易い。踊って下さい。フォトセッションは若手ナンバーワンの新納翔さん。レコーディングはプロ中のプロ、シュガー・スペクター。そしてぼく達はこの曲で、"Singing Monkeymind"と名乗っています。新人バンドなんです!

iTunesもAmazonも、ダウンロードはこちらから!試聴も勿論歓迎ですが、
長いイントロから入ってこそのチャンス・オペレーションなんだよなぁ。

そうそう、チャイコフスキーのようではないけれど、実はジョン・ケージにも素晴らしい名曲はちゃんとあるんですよ。












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おつかれさまです、たにぴ@もまゆきゅです。

ぼくの音楽的ヒーローは、勿論沢山いますが、
中でも特別な人は、坂本龍一ライ・クーダートム・ウェイツスティーヴン・ビショップ、etcetc。
そして、殊ライヴとなると、上記の果てしないリストの中から、
ローリー・アンダーソンエイドリアン・レッグ、そしてナナが出てきて、
そのナナがいない世界に今自分がいることが、
信じられないようでもあり、重たくもあり、身の引き締まる想いもあり。

しかし、いつかはこんな日が来るんだろうな…という日が、
幾つもこれから来るんだろうな。

自分の年齢から鑑みても、ヒーロー達は若くても10歳以上は上だから、
本当に、口にしたくないです。名前を挙げるのも憚ってしまう。
プリンスにだって、想い入れは凄かったから、
マイケルよりも冨田さんよりもぐらぐらと足元が揺らいだ。しかし、
ここ数年で、ナナ程のショックはないです。

ぼくがN.Y.で体験したコンサートに、最も近いアルバムが恐らくこれです
Collin Walcott、Don Cherry、Nana Vasconcelosの、それぞれ名前から頭だけ取ったセッション。
コリン・ウォルコットは、ドイツ人なのにシタールやタブラといった中東の楽器を弾く。
ラヴィ・シャンカールに指示したというから、
多少ミーハーなところはあるでしょうけど、演奏はとても理性的。
ドン・チェリー。ブロウしまくったりしない、優しいのに生来の才人リード奏者。
どうやっても、こういう音楽になる。

そして、ナナ。こんなことをする人は世界中に独りしかいない。
ナナロスが続く。

CODONAシリーズは3作アルバムが出ていて、
ぼくはBOXにまとめたものを聴いています。
素晴らしいんだけど、それとコンサートはやはり違うので、
ざわめきとか、お客さんのレスポンスとかも含めて、ライヴ盤も出して欲しかった。
今や、コリンもドンもナナも鬼籍。
せめて、スピーカーから音を出して、自分の身体をライヴにする。






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相変わらず古い音楽ばかりな、たにぴ@もまゆきゅです。

熱心に聴いているもので、一番新しいのが、多分Mockyです。
昨年コンサートがあって、これが素晴らしかっただけでなく、
ステージに上がる羽目になって、その映像があちこちに出回ったのと、
その勢いで今年の来日でも2回観たら、
そのどちらでも、ステージ上から、
「あそこにまた"friend"がいた」
と笑顔で指差されたこと。

ところで、数年前から、「ソロピアノ」というタイトルのアルバムがヒットしてた、Gonzalesというピアニスト。
彼はMockyの周辺人物で、時折りアルバムでもキーボードを弾いている。
ところがピアノ好きなぼくなのに、何故かGonzalesの有名なアルバムは、
試聴器で聴いて、スルーしてたんですね。

今日のこちらは、ピアノやキーボードを核にした、
HipHopインストウルメンタルです。
刺激的になりがちなのにやっぱり緩さが尊重されていて、とてもいいアルバム。

これ迄QYでのオケ作りの際も、わりに楽曲を作るというかね、
ちゃんと作曲された、作品傾向のものが好きだった。
ただ時折り病気が起こる。クラフトワークとか、スティーヴ・ジャンセンとか。
いや、教授のファンだというだけで、既に壊れてるかも。
わからない…。
一方でまともな作曲作品も浮かんでて、
完全ラップトップでループしていく、その中で具体音が漂ったりする。
どうも頭の組み換えが起こってるみたいです。





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起きるのも寝るのも苦手な、たにぴ@もまゆきゅです。

最近寝付きが悪いし、なかなか楽しい悪夢も見るし。

増尾さんにはまったのは、高校生の頃。
ヤン・ハマーという、 JEFF BECKとの共演で知られるソリストをゲストに迎えた、
ロック・テイストの強い、"Finger Dancing"というライヴ盤で存在を知り、
ニューヨークに住み着いてて、ソニー・ロリンズのレギュラーメンバーだった日本人。
凄い人がいるんだな、と想ったんです。
"Good Morning"は、爽やかなジャズ・フュージョン。
ぼくは当時も今も、フュージョンという分野には非常に可能性を感じてて、
でも、あまりにも肝心の作品群が、グラビア的で合わなかった。
「グラビア的」っていうのは、えーと…、
月刊明星とか平凡とか、憶えてます?ってか知らない?
アイドルを写真満載でいかにもアイドルとして取り上げる雑誌です。
ジャズ系でも、昔は色々あって、"ADLIB"なんかは、その傾向が強かった。
ルックスや行動をカッコよく取り上げて、
演奏の特徴やシーン全体の展望なんかはどうでもいい。
うーん…、ぼくもシーンの展望なんてどうでもいいなあ。じゃあ何がいかんのだ?
ルックスだって興味あるし、困ったな。わからなくなってきた。
ともあれぼくは、渡辺貞夫日野皓正渡辺香津美、とか、
ああいった人達が好きでした。JAZZで揉まれてる貫禄が。
増尾さんも、そんな中で香津美よりも少し年上のギタリストです。全部買った。
当時のアルバム群で、多分一番人気があって、ぼくも好きだったのは、
まさしく今日のこれ
ドライヴのお供に(当時は運転出来なかったけど)も最高だし、ハードな曲はゴリゴリ。
スター・プレイヤーをゲストに迎えず、
自分のレギュラーバンドでやりたい、という増尾さんの希望だったそうです。
しかし演奏技術は、何等不足を感じさせない。
まあベースがT.M.スティーヴンスなんだから、充分スターだとも言えますが。

今はどうか知らないけれど、当時迄ずっと、早稲田大学のジャズ研は有名でした。
ジャズファンが集まり、プレイヤーが集まり、バンドが生まれ、
文化になった。
大橋巨泉。タモリ。ジャズ喫茶「ベイシー」のオーナー。
増尾さんは、タモリさんをよく憶えてるそうです。
「けっこういい音出してたんだけどさ、あの頃はトランペット多くてね…」
マイルスが圧倒的スターの頃だし。一方タモさんは、
「増尾にはびっくりしたね。あんなに弾ける奴は見たことなかった」
いったいどんな学習をしてきたのか、
増尾さんのウェス風の演奏はもう出来上がってたんです。

なのに、ああなのに、"Good Morning"ではポップなJazz Fujionで、
演奏のスタイルもちゃんとそちら寄りになり、持ち味も出している。
夢中になったなあこれ。好きだなあ。










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ファンキーな、たにぴ@もまゆきゅです。

そうでもないか。そんなでもないな。

Miles Davisの、問題作
これ以降はもう半分くらいは問題作なんだけど、
「ん、いったいこれは何を始めたんだ?」的な状況になり、
つまり、ジャズ界は理解を通り越して拒絶してた。
ジャケットの雰囲気からして、スライとかJBとかの音像は満ち満ちていて、
そちら方面が好きな人にしてみたら、めっちゃすっきり入る音楽だと想うけど。
72年…果たしてジャズはファインアート路線だったのか、
それともダンス音楽の陽性な余韻を残していたか。

ぼくとしては、かなり聴く方のアルバムだけれど、
傑作というよりは、問題作として愛でていたい気がします。
彼の作品は、すっとぼけているようでもあるし、喧嘩腰なものもあるし、
サウンドの作り方、旋律のあり方も、変わってる。
モードのせいなのか、何なのか。

マーヴィン・ゲイがメロウ・ファンキー路線に転じた頃の猥雑なジャケットは、
アルバムだけだと洗練された音だけれど、
ライヴ盤などを聴くと、女性の観客は熱狂のあまり失神寸前…てかしてるの100人はいる。
マイルスはそれを、男性にも仕掛けたくて、
しかも、「ブラック・ミュージック」を包括しようとしてたふしがある。
寧ろ、教養になってしまいそうなJAZZを壊そうとしてた、かも。
フリー・ジャズではなくてね、要するに、ダンスアウトでないといけなかった。

まあよくわからんが、今日のところは、On the cornerです。



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たまに髭を剃り忘れると、泥棒みたいになる、たにぴ@もまゆきゅです。

上條恒彦さん。「出発の歌(たびだちのうた)」で世に出たのが、31歳。
もう既に、ひげもじゃで熊のようだった。

アルペジオが部分的に苦手だったけど、
その他、管楽器も、ベースラインも、古臭さがすごくいい。
今なら理解出来るゴスペル風コーラスとか、
フォーク的音楽の限界の中で、精一杯のことをやっていたと想います。
「とんでいけ」
のコードとメロディ。本当に空を飛びそうだった。
六文銭という小室等さんのグループに上條さんが客演し、
アレンジは木田高介。

その後、木枯し紋次郎の主題歌などで、日本的無頼の歌と言えば、
上條さんになった。
それらが収まったこれは、最上のベスト盤
彼の歌唱は、フランク永井さん杉田二郎
さん
もよく使った、
子音をぐっとシャープさせて伸ばすスタイルで、
それも直感的じゃないとこなせない。へたっぴじゃキマらない。
多分気持ち悪いと感じる耳の人もいるだろうけど、
上條さんは、けっこう別格だったんじゃないだろうか。

自分に出来ない世界だから、しかもゆーこさんにもない世界だから、
たまに、こういう世界観を出したいときに、
どうすればいいか考える。
もういないのかな…。ねえ、小室等さん





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叩けば埃の出る、脛に傷持つ、たにぴ@もまゆきゅです。

ぼくがNana Vasconcelosから貰った音楽の宝物は、
2016/3/9の突然の訃報によって、傷になってしまいました。
何と言うか、流行りの言葉でいうと、…ナナロスになったんです。
来日を、しかもエグベルト・ジスモンチとのデュオという、
非常にナナのパフォーマンスを受け止め易いセッションで控えていて、
(ジスモンチには悪いけど)それが絶たれた時の心の空洞は、喩えようもなかった。

「4つの要素・成分」という意味になるのかな、このアルバムのタイトル。
様々な自然音や、声や、いつも通りの彼の彼らしいプレイと、
オーケストラや、その他様々な編成あり。
楽しいし、美しい。心躍る。
ぼくは彼の大ファンなんだけど、彼の細密なディスコグラフィーは知らない。
というか、わからない。膨大過ぎて。
しかも、2016年の今でも、彼のファーストソロアルバムはCD化されたことがないんです。
セッション迄追いかけ始めたら、それこそスティーヴ・ガッド並かも。
それも何と言うか、どんなスタイルの音楽にも、
自分のカラーのまま飛び込み、必ずいい効果を残せるプレイヤー。
ある時期のPat Methenyにとっては、
「そのつもりではなかったのに、参加してもらったら
"共作"と呼ぶに足る素晴らしいものだった」
と言わしめた程。

それでも、それでもまだ、彼の本領は、ライヴにある。
例えばビル・エヴァンスからジェフ・ベック迄、
最良の演奏はライヴにあり、と語られます。
しかし、ナナの場合は、観客の体験はアルバムの増幅とかもっと強力とか、
そう言った比較とは違うんです。
そうか、こんな体験があったのか、というもの。
語り尽くせない。
語り尽くせないし、言葉が空中で停止して、悲しみにくれてしまう。

誰かぼくの他に、ナナを体験した人がいたら、
一緒に、それぞれの場で、或いは共に、伝承しましょう。




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歌を書くときは、
歌詞というとても厄介な哲学を纏ってしまう。
ことが、ほぼ確実になってるので、
逆に同様のテーマで幾つかバリエーションを付けることが出来ます。
「私はあなたを愛している」
と言う時に、
「私はあなたを愛してしまった」
「私はきっとこれから愛してしまう」
「私はあなたを愛していたことがあった」
「愛だと気付かなかった」
などなど、などなど。
それに伴い、タイトルがひとつの物語になり得る。

インストゥルメンタルの場合、タイトルの物語は抽象性を増します。

まず、久々にギターのインストを書こうという想いがありました。
しかも、ぼくの場合、再現性がどうしてもソロギターになる為、
ハーモニーを予め入れ込んだ曲にしたい願望があります。
キーは、Fに決める。この、いちいち決めてくのも推進には大事。
そして全体の雰囲気が予想出来るところ迄ペンが進んで、
タイトルを、"Yellow Cloud Island"にしようかなと何となく想う。
黄色っぽい霞みのかかった、ひっそりと静かな島。
バンマスゆーこさんに相談すると、
(だいたい1発で全てがOKになることはなく、
何等かの修正を提案されます)
「イエローだとたにふじの場合どうしてもYMOを連想するから、
ブルーにしてはどう?」
との意見があり、タイトルは決まりました。
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途中で、メロディーに、maj7thのコードだけれど6thを入れたくて、
B♭maj7th(6th)というコードを編み出した。
これが、独特な世界を持った響きで、気に入る。

D-からE-を行き来する中で、アドリブのパートにする。
テーマにAとA'しかないので幾つか考えてた中から、G-のパートを採用。

こうしてじわじわと進め、曲が出来上がりました。
構成や音使いはかなり難しめだけれど、演奏は何とかなりそう。

ギターは楽譜を見て演奏するのが、難しい楽器。では、と、
YouTubeに自分の演奏を、左手中心で記録してアップしています。
大雑把にスマートフォンで録って撮ったものですが、
今後コンサートでも演奏していきますので、
末永くご贔屓に。




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パイドパイパーハウスを知らない、たにぴ@もまゆきゅです。

伝説のレコード店です、パイドパイパー・ハウス
はっぴいえんどから田中康夫に至る迄、日本において多くの音楽的土壌作りに貢献した、
その世代なら誰でも知ってるお店。

名前は知ってたのですが、一度も行かず仕舞いで閉店してしまった。
昨年は横浜赤レンガ倉庫のイベントで、期間限定で復活したり、
店長の長門芳郎さんはライター仕事だけじゃなく、
今でもPOP MUSICの種まきを続けている。

さて、ぼくにとってのパイド・パイパーは何処だったんだろう。
まずはラジオだったのは、バイドに足繁く通う訳にいかない地方の人がそうだったように、
ぼくも同じです。で、実店舗では、
8歳で北海道から多摩に越してきた時、遊び場は福生になりました。
長崎屋…だったかな…そこの3Fにレコード屋さんがあって。
でね、そこでかかる曲が、どれも大好きだった。
「失恋レストラン」清水健太郎
「恋愛遊戯」太田裕美
「みよちゃん」平尾昌章
「黄色い麦藁帽子」松崎しげる
流石に子供のぼくに教科書になる人もいない状態で、洋楽には届かなかったけれど、
繰り返しかかるシングルはぼくの中では大ヒットだったよ。

で、或る日、いつものように、なんか大人っぽい曲が聴こえるわけです。
「ほおづえをつく女」
なんだこの感じ。かっこいい。

アルバムを通して聴くと、その方向性は一層強まります。
アレンジャーの瀬尾一蔵さんは、はっきりとスティーリー・ダンを意識してたそうです。
作者の伊勢正三さんも、当時は洋楽側に振れていたと言ってました。
当時はニュー・ミュージックの時代だけど、
周囲と比べるとやっぱりダントツでスリリングだった。
そこに更に和モノのスパイスが加わると、
超傑作、「海風」が生まれる。
伊勢さん自身は、アルバムの完成度では"Windless Blue"が一番高いと言ってましたが、
私見では、「海風」に含まれてる和テイストと、
音楽的に無茶な転調やどこから来たのか判らないベースラインが、
誰にも素通り出来ない日本ならではの傑作感を見せていると想っています。

"Windless Blue"は、洋楽っぽいよねえ、確かに。
所謂ロック畑の人は、偏屈になってしまうことが多かったけれど、
却ってスタジオ・ミュージシャンが作るAOR的な洗練が良かったんだろうな。
それでもギョッとする個所はそこかしこにあって、
やっぱそうこなくちゃ、と、
こうして推する次第。




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