小理屈「いやカタいのなんの」

天使がいるから、映画を観に行くのだ。"This is it."

ある休みの日の朝、TVをつけてみると、かねてより囁かれていたマイケル・ジャクソンの、生前ぎりぎりまで準備していた大規模なコンサートの記録映像が、劇場公開されるニュース。TVの中でコメントしている誰もが、その映像に興奮している様でした。私は、その時点ではまだ興奮してなかったです。起きがけで、まだその映像を観てなかったから。
そのニュース・ショー番組でひとしきり出演者のコメントが終わった後、それではいよいよ公開です…、と担当者が。
観た。
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びっくりしました。私はその日のうちに10回以上、
YouTubeで検索して観ました。観ていて、何かこれヘンじゃない?と想うことは幾つかあるけど、それらを補って余りあるエンターティメント。

ところで、私が何故「何かヘン」と想ったのかを相談に乗って頂きたい関係者各位、申し遅れました、たにぴ@もまゆきゅです。

記録映像と言っておきながら、おそらくコンサートのドキュメンタリーとしてだけじゃなく、ストーンズの"Shine A Light" の様な、映像化主導のプロジェクトであったらしく、もうだから始めからマイケルがかっこいいまくっている。
マドンナのバックステージを映画化した"In Bed With Madonna"だと、ある意味醜態も含んで(本人はOKを出した範囲だろうけど)、彼女の本質に迫ろうとしている監督の姿があるでしょう。ストーンズも、割に監督が自己主張している。監督なんだし、そこは当然でしょう。
さて、Michael Jackson、キング・オブ・ポップ。まだあの僅か2分強の映像を観て、大上段なコトを言うのは軽卒…、かも知れないけど、ワンシーン、気になって仕方がない個所があります。
「彼の為に、やり遂げよう」
英語で何と言ったか、ぼくにはよくわからないのですが、舞台監督がスタッフを集め、円陣を組み、こう言う。そう、私の腑に落ちない、「何かヘン」と想うのは、ここです。監督が、視えない。じゃあ、何が見えているんだろう。

主体は、Michael Jacksonなんだろうか。彼の為に、やるのか?
それは、クリエイティヴな仕事では必要なプロセスかも知れない。しかし、この言葉は、前出の「キング・オブ・ポップ」という言葉と、一寸ざらついたリンクを私に想像させます。本当に、これは誰かの演出じゃないのか?マイケルの純粋な意図?いや、これは、ミュージック・ビジネスという怪物の意図で、監督なんて存在のエゴは無いのでは?
更に解釈を拡大させると、"King Of Pop"とは自称なのか、他称なのか。「そのどちらでもない誰か」による称なのか。

マイケルさんの死因について、様々な説があります。他殺説も含め。しかしともあれ、彼は英国で一世一代の大コンサートを控えていた。バジェットと徹底した演出。そして、短いショットでの劇場公開と、クリスマス商戦をターゲットにしたDVD化。成功しなかったら、回収どころか破産を500回しても足りない。マイケル本人も、イベント会社も、どんなことをしてもやり遂げないといけない。たとえ健康状態に問題があっても、退却は出来ない。誰も、主役の精神状態も肉体の状態も、考慮していない。本人ですら。その病んだプロセスを告発し、米国ではこの記録映画のボイコット運動も囁かれているそうです。

こんな時、たにふじの善良で純情な魂は、迷います。一瞬ですが。
観に行きたいと想います。マイケルさんも、自分の(結果的に)最晩年のこの舞台こそが、自分のキャリア上のピークであることを、心から望んでいたでしょう。観る側には、違う判断が働くのは事実でしょうが、彼が命をかけた作品がそこにあるから。

ところでバンマスゆーこさんは、こう言います。
「マイケルは、天使であろうとしたのかな。人間として認められたかったんじゃないのかな」
確かにその可能性の方が高い。天使でござい、と公言する天使なんて、既に資格を欠いていそうだ。
細野晴臣さんが、1993年の暫定再生YMOの直前、秘密裏にプロジェクトが進んでいた時期に、"STUDIO VOICE"のインタビューで、
「曲が売れて憂鬱になる人はいませんが、顔が売れるとなると話は別で、何もいいことはなかったのです」
と。エンターティメントとは、顔を売る側面が付いて回る。どちらかと言えばやましいことばかりの人生を送っているたにふじが、このblogでも厚かましくツラを晒しているのは、相対性理論の様な戦略を取る知略が無く、音楽をやっておあしを頂く責任のつもりなのですが、そう見ない向きの方もいらっしゃるでしょうし、解釈は様々でしょう(誹謗中傷は一寸ヤだけど)。
マイケル・ジャクソン絡みで、最近読んだ音楽紙にあったエピソード。クインシー・ジョーンズが、ブルース・スウェーデン(レコーディング・エンジニア)、ロッド・テンパートン(ソングライター)、マイケルと4名で集合し、スリラーの制作に着手するミーティング。
「我々は、ミュージック・ビジネスを救う為に、ここに集まったのだ」
英語圏の人間は、実にあっさりと鷹揚な表現を使う。そう終えてしまうことも出来るでしょう。私も、何も無ければそう読んだかも知れない、クインシーのこの言葉。
しかし、クインシーの有限実行は、凄まじかった。このままでは、音楽はビジネスとしての窓口をコンピュータ・ゲームに奪われるだろう。音楽をビジネスにしないと、音楽が残らない。どう見ても正義感に溢れる容姿のマイケルをヒーローとした、パーフェクトなビデオ制作。ダンス・ミュージックとダンスの、コンセプト丸ごとの融合。しかもそれは、ターゲットなんて無い。「万人向け」でなくてはならなかった。クインシーにしか出来ないし、クインシーをしてよくもまあ成し遂げたもんだ、と驚いてしまう。
しかしそれさえ、"Bad"以降のマイケルの"King Of Pop"化を見通すことは、…見通すことは出来たのかな、しかし、コントロールはもうしなかった。
ゴルゴダの丘で民の罪を背負って処刑されたイエスを、ユダはずっと危機感を持って見守る役割だった、という解釈を、マーティン・スコセッシは映画"The Last Temptation Of Christ"でしています。さて、天使とは、或いは神の使いとは、或いは指導者とは、カリスマとは、スターとは、誰か。
経済、ということになるのだろうか。
そこに立ち昇って来るゴーストは、悪魔にも、天使にもなる。実態が無いのだから。

エンターティメントに殉死した本物の天使は、マイノリティ人種から登場した。世界を、祝福しようじゃねえか、えぶりぼでぃ。
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Commented by scarpiaii at 2009-09-26 23:41
舞台監督として映像に登場し、振付(マイコーと共同)、映画版の監督も担うケニー・オルテガのキャリアをチェックしてみるとなんか見つかるかもよ。
Commented by momayucue at 2009-09-27 11:18
scarpiaiiさま、こんにちは。
ケニーさん、さくっとぐぐってみたけど、
映画に明るくなく、ミュージカルにも明るくない私たにふじには、
なんか見つからなかった…。すまぬ。

でもその後、予告編映像をおもいかえして、ふと、
これはつまり、亡きマイケルさんの意志を、我々が全うしよう、という意味の台詞(セリフじゃないか)かな、と想ってみました。
いずれにしろ、映画楽しみです。
…でも、映画観れるのかな。期間短いし、はんぱない煽り方してるし。ソールドアウト??なんちて。
by momayucue | 2009-09-26 17:28 | 小理屈「いやカタいのなんの」 | Comments(2)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


by momayucue
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