ども、
5月病発症してから一生懸命早寝早起きしてるゆーこです。
GWってどうも終わったお後がよろしくないようで。
連休とはいえ、やっぱり考えることはどうしても震災、そして原発・・・
頭から離れることは無いわけで。
突然、たにぴさんが「賢者の石」(コリイ・ウィルソン)という小説を貸してくれました。
今読んでる途中なんですけどね。
その中で、主人公がブルックナーの交響曲の聞き方に目覚めるくだりがあります。
主人公は、最初ブルックナーの曲は長過ぎると思っていたのだけど、
ブルックナーの音楽がストーリイでは無くて環境を表現していると気づきます。
自分が自然に身を委ねていると想像しながら聞くと
その長さが不思議と長く感じない、短いとさえ思う。
(この感覚は「非個人的」と書かれています。)
まだ途中なのでこれからどんな顛末を迎えるか分からないこの小説なのですが、
今主人公は次々と
「自分以外のことを考えることが人間になにか新しい力をもたらす」という実証を見つけているようです。
原発の報道を見ながら考えていたのは、
私は自分の暮らす環境が何と結びついているのか
まるで無頓着だったのだなということ。
うまく言えませんが、原発のことだけでなく
自分が何と結びついているのかを考えずここまで来てしまったなあ、と。
なぜ理科や歴史を勉強するようになっているのか、
今になってやっと分かったのです。
遅いか、わはは。
個性個性ばかりがもてはやされ続けて、はや何年?か分かりませんが、
自分の中を掘っていっても
たぶん堂々巡りになるだけなのでしょう。
私がどこと、誰と、何とつながっているのか、
そのために何ができるのか、
それを考えることでしか
ここから先の時間には進めないのだと感じています。
ところで、この動画は曲の途中からなのかな??
(結局いろいろ分かってない・・・)