小理屈「いやカタいのなんの」

映像作品のサウンドトラック、人生のサウンドトラック

「サウンドトラック」というコーナーがショップにあるのは、もしかすると、音楽にとっては一寸不思議な現象なのかも。
映画やTV番組の劇中音楽。或いは最近ではゲームの音楽等も含めて、CDショップや、オンラインの音楽ショップでも、「サウンドトラック(サントラ)」というカテゴリーがあります。サントラ好きな人は私も含め沢山いますし、コレクター指数が高いという意味では、重要なユーザー群。そう、明らかにサントラというジャンルがあるんです。
しかし、ジャンルとしてのサントラって、音楽ジャンルと言えるのだろうか。オーケストラによるクラシカルなものも、ロックのフォーマットのもの、ジャズ、ブラックコンテンポラリー、テクノ系、アンビエント系、民族音楽、凡そ巷に考えられる全ての音楽が、場合によってはひとつの作品の中で混在さえして、サントラというジャンルに含有されている。強いて言うなら、歌詞のあるヴォーカルものは、映像の描写するものと辻褄を合わせるのに労力が要る為、かなり少ない。映画の音楽って、主題の変奏で暗い場面とかアクションの場面とかをアレンジによって演出するじゃない。歌モノだとそれはやりにくいでしょ。しかし、ほぼそこだけ。
纏めると、「あらゆるジャンルの音楽で構成される、『サントラ』という音楽ジャンルがある」ということになります。

矛盾です。音楽的にばらばらなのに、ジャンルで括れる。確かにサントラ・ファンでない人は、サントラを音楽ジャンルとは感じないかも知れない。しかし、例えばスティーリー・ダンのマニアは、
「いかにもスティーリー・ダンらしい、サントラ風ブラス云々」
なんて表現をします。これは別に、サントラはブラスものだという意味合いではありません。ブラスの音楽の中に、いかにもサントラ風なテイストがあるんです。それは他の音楽ジャンル(ややこしいなどうも)にも言えるわけで、サントラっぽいストリングス、サントラっぽいロック、サントラっぽい和楽器アンサンブル、サントラっぽいフュージョン…、なる言い回しが成立する。
音楽を書く職人の世界には、バークリー・メソッドとサントラ的音楽の展開には非常に深い関係がある、という暗黙の了解があります。とは言えそれすらロックにはあまり役に立たないです。では、どうすればサントラっぽいものになるのだろう。間違い無く言えるのは、映像なりパフォーマンスなりの、音楽トラックだということ。こ
れが必要充分条件。その他の傾向としては、バークリー職人のメソッドも或る部分では言える。歌モノは(後でまた登場しますが)まず無い、ETCETC…。
サントラ・ファンというのは、何故居るのか。大きく2つのシーンを考えてみました。ひとつ、映画なりの世界感を追体験する為の、記憶呼び覚ましツール。もうひとつ、生活にアディティブで強引さも持つBGMとして。人生のサウンドトラックとして、みたいな?
サントラ世界にも、巨匠と呼ばれる人達が幾人もいます。ニノ・ロータ、エンリオ・モリコーネ、ジョン・ウィリアムス、ヘンリー・マンシーニ、もうきりが無いです(なまじ好きなもんでつい…)。音楽による演出で、画期的な語法も無数にあります。ホラーに欠かせない恐怖を煽る旋律を編み出したバーナード・ハーマン。ポップなアクションシーンでたたみかける音楽の、アラン・シルベストリ。ロマンチックな劇伴ならフランシス・レイやルグラン。これらは所謂職人的劇伴巨匠。また別な世界で、ウラジミール・コズマやマイケル・ナイマンのように、監督の意図以上に作品世界を作り込む強引さ(?)を発揮する作家もいます。ジャズやロックなど、別枠の語法で映画音楽を作るタイプ、実に様々。
そしてそれら全て、サントラ・ファンを迷わせる「音楽」として存在するのです。勿論それぞれの守備範囲はあるでしょう。ジャズでさえ西海岸とか北欧とか北京とかあるのだから、サントラだってあって然り。
サントラは本来、その使用形態の仕分けであるにも関わらず、音楽ジャンル的性格を感じさせるという現象は、私には非常に興味深いのです。
何故そんなことが起こるのだろう。想像するに、人間は、生活を音楽で演出したり気分転換したり、したい欲求を持ってる。「音楽とは、要するにBGMなのだ」という言説があります。全音楽は人生の中で音を受け止める意味においてBGMだという哲学的な定義は、よせばいいのに「インテリアの音楽」だとか幾つかの変遷を経るうちに、やはり劣化して通俗的な環境音楽を無数に放ってしまいました。80年代の話です。しかし、音楽の強靭さ、強引さは、ジャンルとしてのサウンドトラックの存在が保障し続けている。

私の最も印象深いサントラの例を、お馴染みなものですがあげさせて下さい。
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Paris Texas/Ry Cooderです。監督はヴィム・ヴェンダース。
映画の世界と音楽の関係は、もはや私には逆転しているようにすら感じられます。この映像に例えばガブリエル・ヤレド(ベティ・ブルー等の音楽を書いた人ね)のスコアをつけたとして、多分名作とは呼ばれたでしょうけど、印象はかなり違うのは容易に想像がつく。
一方、極端に行きましょうか、「タクシー・ドライバー」の音楽に、ライ・クーダーのパリ・テキサスを使ったら…。舞台はN.Y.だが、デニーロ演じるトラヴィスの孤独は、パリ・テキサスの胸をかきむしる様な孤独感と、とても似たものになる。さながら、映像が音楽のビジュアル・トラックの役割になるくらい、決定的な世界観を持った音楽が、サントラ史上に語り継がれるあの作品でしょう。
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ところで、サントラ全般に話を戻します。映画のサントラは、マーケットとファンとマニアの薀蓄を得ている。では逆は…、とある音楽に対して、ビデオ・トラックのマーケットとファンとマニアの薀蓄は、あるかしら?うーむ。PV集の様なものはあります。しかし、サントラ・オタクの熱気は無いように想います。あったら私が知らないだけです、ごめんなさい。でも、案外正解ではないですか?ここに、ふと想いを寄せたたにふじ。それは動かし難い音楽の存在意義なのか。それとも、ひとつの音楽に複数の映像を「つける」という作品があってもいいのか。更にさらに、それは音楽の別な市場になるのか。MTVの枠組からはみ出して何かが起こるのか。いやいや無理、なのか。ともあれ、そこでの私の仕事は、音楽を作ること、でしょうね…。なんだそりゃ。同じことするんじゃん。
ところが、昨今はサントラというものの性格が変わって来ています。フットルースから?それ迄の映画なりの劇伴スタイルは、ヒットチャートを賑わすロックのシングル曲集のようなものになりました。サタデー・ナイト・フィーバーの「いろんなミュージシャンの寄せ集め」版みたいなものに。これは、もしかして映画への音楽の敗北ではないか、なんて勘ぐりたくもなりませんか?


で、本日のオチ。偶然、パリ・テキサスの主人公も、タクシー・ドライバーの主人公も、名前がトラヴィス。この文章を書いたたにふじには偶然ですが、スコセッシとヴェンダースにとっては、偶然なのかしら?
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by momayucue | 2011-06-05 17:03 | 小理屈「いやカタいのなんの」 | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


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