小理屈「いやカタいのなんの」

スティーヴィー・ワンダーの謎に迫れない

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何かのギャグにさえ一瞬見えてしまうこの絵は、Stevie Wonder の80年代最初のアルバム、"Hotter than July"のジャケット画(の、パロディ)です。確かに、7月よりも暑そうだ…。

彼は、音楽神と呼ばれていました。
かつてクラプトンが「ギターの神様」だったり、ロック文化の中で幾人か、伝説とか神様と語り継がれる様な人物が、います。それら神様の多くは70年代迄で、80年代になると偶像崇拝が収束していくのはご存知の通り。パンクが「ロックンロールは死んだ」と宣言し、フェイクなもの、キッチュなものが台頭してきます。もうその頃には、当時神様だった人物達も、地に足がついた人間として、歩み出す。伝説のミュージシャンや芸術家達は、長生きすると共に、一般には「終わった人」扱いされていく。

スティーヴィーは、30代迄にリリースしていた新作アルバムのどれもこれもが、「神がかっている」と評されていました。聴いたことのないリズム、揺れまくるノリ、驚異的な和音の動き。演奏も物凄い。キーボード、ハーモニカ、ドラムス、そしてヴォーカル。それはもう斬新だった。ワンダーだった。

私は、スティーヴィーの全盛期をまるごと受け止められた世代ではありません。一寸遅れてます。"Hotter than July"の後、延々と彼の音楽にリアルタイムで触れ、また振り返り、追っかけで聴きまくる…とはそれ程なりませんでした。私にとっては、80年代以降の新作の中でも、充分に眼のさめる様なリスナー体験です。所謂全盛期後に出た代表作と言えば、そうだな…。"I just call to say I love you"、"Stay gold"、それから、これは全盛期世代にとってもそう言えるんじゃないでしょうか、"Overjoyed"。しかし先出の2曲などは、所謂ヒット曲ですが、やかましい音楽通の間では、
「スティーヴィーと言えども、才能が枯渇した証し」
とまで揶揄される程です。ここは、私等は完全に意見が分かれるところです。"I just...."のあのメロディやアレンジの信じ難い大雑把さは、実は巧妙だし尋常ならざるセンスに裏打ちされていると想っています。

さて、本日のお題「〜の謎に迫れない」は、何故、迫れないのか。
ふたつ理由があります。彼が感じている音響というのが、一般にはかなり困難です。スティーヴィーと言えば完全な盲目と想われていますが、実は、微かに光を認識することは出来るのだそうです。ただそれは、像を認識出来るレベルではなく、光の方向すら判明出来ない本当に僅かなもの。それから、生まれてすぐに、保育器の中で失明している為、視覚的世界観はそれが全て。見える、という記憶は皆無で、思想的に、抽象的ににそれらを理解している。
もうひとつ、時代背景があります。モータウンという特殊な、アフロ・アメリカンが占める音楽レーベルで、ベリー・ゴーディという独特な価値観を持ったオーナーと歩んできた。初期のリトル・スティーヴィーの頃はいかにもモータウン然としたポップ・ソウルでした。しかし、レーベルの一部先鋭的なミュージシャンがそうだったように、商業音楽の可能性は広大でした。コモドアーズ、スタイリスティックス、スタックスレーベル等の都会的で白人層にも(ある程度は)アピール出来る音楽。一方にジェームス・ブラウンのスタイルからジョージ・クリントン、ブーツィー・コリンズの様なファンカデリック派が生まれ、丸っきりのブラックなサウンドを。更に視野を広げれば、ビートルズもストーンズも、ジャズも、あらゆる音楽に、あらゆる伸び代があった。レゲエ。ラテン。シンセサイザー。クラビネット。サイケデリック。前衛。それらを取り入れ、かきまぜ、発明する。今、21世紀にこれらに匹敵する音楽的発明が可能かどうか…。
その2つで、たにふじはスティーヴィーのワンダーに迫るのを断念した…のかというと、もう一寸は掘り下げています。

視覚の件。レイ・チャールズは、ラウル・ミドンは、マイナーなところではムーンドッグは、スティーヴィーと何処が違ったのでしょう。いずれにしても、視覚が無いことで、ある種の制限があり、また、無い制限、という概念も成立します。音世界の中で、特殊な自由を獲得出来る。コンサート会場で、ふと眼を閉じる。左右に分かれていた音源は途端に渦巻き出し、明確だったコードが倍音に埋もれてしまう。一帯から鳴り響く拍手に、和音がぶれて判らなくなる。ブラインド・スティーヴィーはそこで、何に気付いたのか。制約、ではないかと想うのです。制約が自分に必要だ、と。
レイ・チャールズはフェンダーのエレキ・ピアノのリリースをグルーヴとして捉えた。ラウル・ミドンは、アコースティック・ギターの不自由な構造。スティーヴィーは、ドラムと、モノフォニックなハーモニカを幼い頃にマスターした。しかし、自分で作曲し、ピアノを操って演奏していく過程で、このままでは混沌にまみれてしまう、倍音を整理する能力を身につける必要がある、と感じ、音楽理論を学びます。

時代の件。天才少年としてモータウンの寵愛を受けたスティーヴィーは、自らの黒人としてのアイデンティティーを、見ずに、学んで知ります。どうやら自分は差別されているらしい。しかし不遇の少年時代は、そのハンディキャップに集約されていた。そして時代が待ち望んでいた多様な音楽を、追うどころか5歩も10歩も先んじていた。
クラヴィネットというギターのピッキングに近いアタックとリリース音を持った楽器による、何だかわからないうちに躯を突き動かすリズム。拍の表裏の概念をフルに活用する術。バンドには自分が「見えて」いるので、動いてキューを送ることが出来ること。コントロールとリーダーシップ。ジャズのセオリー。アドリブ。

成程、そんな風にして、Stevie WonderはWonderになったのか。

それらが、「音楽神」の理由…。きっとそうなんだろう。クリエィティヴの広大な可能性、マルチ・プレイヤー、アイデンティティー、経済的ではなく、盲目や事故の後遺症(車の事故で、一時は味覚も嗅覚も失った)等の不遇。
それでも私は、神がかっているという表現があまり好きじゃないんです。そのこととどの位関係があるのか、ともあれ私はスティーヴィーのイメージの巨大さがどうも理解出来ない。そのオーラに身を任せることが出来ない。いや、音楽的オーラの凄さは何度も経験していますが、特に彼は、全盛期を過ぎたと言われてもライヴは圧倒的だったし、私は何度もそのライヴを経験していますが、何が「神」なのか、解っていない。皆が知っているそれに追いつくには、この鈍感なたにふじはどうすればいいんだろう。

私以降の世代と、それ以前のリアルタイム世代では、その新鮮さ、新しさと、切り開かれたフィールドの広大さが、違って見える。そんな仮説を立ててみます。
以前にこれも私の仮説ですが、エレキ・ギターが音楽にもたらしたものが、20世紀どれ程巨大だったか。アンプリファイの概念。歪みやフィードバック。エフェクト効果。コード。環境に作用するリリース音。ポータビリティ。ロックンロール。60年代英国から始まったギター・リフのサウンド。ギターのリフがもたらす「ノリ」を、最高のドラマーであるスティーヴィーは、クラヴィネットでプレイした。「迷信」の誕生です。
"Sir Duke"に漲るデューク・エリントン式ジャズのはじけた佇まい。ウッドベースとピアノのバラッド"lately"のあまりの自然さに、ウッドベースではなくそれがシンセサイザーだと皆が気付いた時には、音色の見事さもさることながら、演奏がウッドベースしていることに驚嘆した。一寸やってみたなんてのではない、まさに音楽がプレイされているんです。

ところで、視覚的なものに依らず音の情報を全身で察知する彼は、かなり早い時期にデジタルを取り入れています。まだまだその技術が「デジタル」であるというだけで、粉っぽく艶の無い音が不評だった黎明期にも。何故でしょうね。アナログとデジタルの違いが、スティーヴィーはイヤじゃなかったんですね。この点についてはどうも多くの人がこんにちでも不思議に感じています。当時私は、何かの映像で彼がサンプラーでドラムを演奏するシーンを観たことがあります。あれ程のドラマーが、キーボードを叩いて、ドラムを演奏する(打ち込みでなく)。しかしそれさえも、揺れから来るノリを聴いていると違和感が無い。彼は今この瞬間、音楽をやっている。


"In Square Circle"というアルバムが、1985年にリリースされました。打ち込みベース、デジタルで、ノン・リバーブで、しかもボトムのないアルバム。この音が私には、良い音とは想えない。しかしかのスティーヴィーが納得したのだ、何か重要な意味を彼に伝えられるものだったに違いない。それは、無機質を極めるという80年代の彼の発明のひとつだったのかも知れない。全盛期ではないとされている時期の彼の曲も、ことごとく発明だと私は想えるんです。
イノベイティブはとても孤独だ。矢野顕子さんは、
「クリエイターは、新しく無ければいけない」
と若い頃発言していた。ライ・クーダーは、
「斬新かどうか?いや、いいサウンドかどうかが大切だろう?」
と某インタビューに答えています。優先順位も人それぞれ。世に連れ歌につれ。
スティーヴィーのコンサートは、ホーン部隊がシンセサイザーになったりしながらも、他のミュージシャンの様にバンドの編成が抜本的に変わる様なことはありません。マイルスの様に突然ギターばかり3本キーボード無し!とか、無いです。タイを絞めてカーネギーでピアノトリオで、1ステージの半分を同期モノに、等、直ちに出来そうな、しかも超一流のものが出来そうなことも、しない。そして、常に自身の代表作を、全く飽きることなんて無く、今そこで生み出したように演奏する。

彼の一挙手一投足を誰もが注視した時代であろうが何だろうが、彼自身にとっては音楽はフレッシュであり続けるのだとしたら、何が彼を神格化させているのかが肌身に感じられなくとも、それでいいのだろうな。お互い生きてるんだし。今日、5/13は、彼のハッピーバースデーです。

そして、少しは私も、気が楽になります。音楽をしたいんです。
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by momayucue | 2012-05-13 19:25 | 小理屈「いやカタいのなんの」 | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


by momayucue
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