映画のことをたまに書くことは決めたけど、
そんなに沢山観てないんだから、
新作だけでは到底持たなくて、DVDで観たものや、
過去にTVで観たものも入ってきます。
勿論今日のは、TVで観たもの。
野村芳太郎という監督は、奇をてらわない職人的な演出で評価が高く、
とりわけ松本清張作品は有名。
しかし一方ではお正月のアイドル娯楽映画も多数手がけ、
コント55号の映画は、ぼくもTVで随分観ました。
しかし中でもこれは異色作。「びっくり武士道」。
何しろ原作は山本周五郎ですから。しかもこの数年後には、
原作通り「ひとごろし」というタイトルで、松田優作によるリメイクがされています。
あらすじは、臆病な侍(これが欽ちゃん)が、藩の命令で仇討ちの旅に出る。
相手は、超豪傑(これが二郎さん)で、到底敵う筈がない。
旅の中で幾つかの出逢いがあり、やがて欽ちゃんは一計に辿り着く。
その二郎さんのそばで、
「ひとごろし!そいつはひとごろしだ!」
と叫ぶ。そうすると皆、恐れてすっ飛んで逃げてしまう。
始めのうちは高笑いしていた豪傑の二郎さん。
しかしそのうちに追い詰められていく。誰も傍に寄り付かない。
飯屋に入っても、歩いていても、振り返っても、
皆が、ひとごろし!の号令と共に逃げ出してしまう。
二郎さんは食べることも酒を飲むことも出来ない。
そして、心が温まる、仇討ちの時が訪れる。
松田優作のバージョンは、冒頭だけ観たことがあります。
馬や犬にびくびくする松田さんは、残念ながら微笑ましくない。
だって不気味な強さを感じさせるもの。
俳優としては、やっぱり既成イメージを打破したいところだろうけど、
やっぱりね、欽ちゃんでしょうこれは。
ただ、山本周五郎原作ということは、
お笑いタレントが演じるというよりも、寧ろ何か文学的な機微もあったであろうと。
ネットで検索してみたら、非常に深みのある考察をしている人がいて、
つまり、
「人間としての弱さも、闘う術も階級も、全て二次的な属性で、
社会的な関わりの中でかろうじて紳士的に役立つだけ。
本当の生存能力とは、あらゆる虚飾を無にしてこそ試されるのだ」
というような。
さて、松田さんバージョンは観ていないので(^^;置いといて…。
萩本欽一。稀代のコメディアン。
10代の頃、ぼくは彼の大ファンで、番組も大概観てたし、ラジオも聴いてて、
本も買って、研究して、結論を出した(なんだ結論って)。
「欽ちゃんって、突っ込みも何も普通の人がちゃんとやったセオリーと違うけど、
これってもしかして、ダメな人ってことなんじゃないか?」
いつも浅草で先輩に怒られて、そのうち怒られることからの処世というか、
「ウケ」
が解って、謎解きをして、それを普及させたのかな。シロウトが面白い時代を築いた。
それは、勿論プロフェッショナルなコメディアンには評価されない。
恐らく欽ちゃん自身も、
芸人としての自己評価は低かったんじゃないかな、と想います。
でも、ぼくは大好きだった。彼は、フレームインするプロデューサーでした。
ただ、この映画を観た時は、不思議な気持ちでした。
萩本欽一という一人の芸能人のキャラクターが、そのまま画面にいたのですが、
ちゃんと演技をしていて、コント然とした雰囲気は微塵も無かった。
勿論、トボけたキャラなのだけど、
監督の、或いは原作者の、掌にきちんと乗って、
プロデュースを全くしなかったんです。
もしかすると、55号の爆笑コントを期待した人には、肩すかしどころか、
まじかよー?的なものだったかも。
でも、ぼくみたいに、映画とか物語とかに、微かに目覚めたケースもあったんです。
野村芳太郎監督は、大して笑わせようともしなかった。
これまでの55号の映画は、現代劇だったこともあって、
2人のキャラを立ててお客さんを満足させようという姿勢を見せるのは楽だった。
山本周五郎さん。近年数多くの映画化がされています。
それも、中井貴一やら木村拓也やらと、絢爛豪華な主演。
ある意味、松田優作というのも凄いですが、
映画監督のノムさんは、今与えられた条件で最良の仕事を、と、
55号に山本周五郎を充てるという企画を引き受けたんです。
どっちが企画でどっちがクライアントで…云々はあるでしょうけど、
その映画に、ぼくは魂を観た。
小さなセットで、夕陽の中、情けなく涙する二郎さん。
それでも、斬ることは出来ない欽ちゃん。
彼等は、サムライとして、自分のやり方を変えなかった。
試写会上で、事務所やスポンサーや、要するにお金がかかってる人達は、
この映画をどう観たんだろう。
びっくり武士道というタイトルは、原作とは全く異なるものです。
しかし、普通に考えたらこれは「武士道」ではないですよ。
それを敢えて「武士道」と名付けた人物がカンデいたのだとしたら、
その人は、信用出来る。ぼくはそう想うんです。