つれづれ

未知との遭遇/スティーヴン・スピルバーグ

d0041508_2212333.jpg

Close Encounters of the Third Kind
第三種接近遭遇
公開当時、流行ったなあこのフレーズ。

宇宙人関連の陰謀説というのが、まあギャグのネタとしてあって、
宇宙人と政府の極秘交渉や、冷戦下の敵国の兵器説や、単純な侵略説や、
様々なパターンを取って、日テレが木曜スペシャルで怖そうな音楽をつけて、
幽霊や伝説の怪物や何かといっしょくたに扱ってたんです。

ある時期迄は、宇宙人とは地球を侵略するとか実験対象としているとか、
一寸野蛮なイメージだった。それが、
この頃から、変わったんです。がらっと。友好的な接近、ETに至っては人格者だったりする。
…人格、とは言わないの??
それが、行政の宇宙人友好イメージの陰謀だ、という人もいて、
事実その頃から、特に米国の新興宗教では、宇宙人やUFOとコンタクトを取る教祖が登場してきた。
それが、陰謀の一環として登場しているのか、
或いは施策が功を奏して洗脳された教祖によるカルトが生まれたのか、
洗脳とか言うと怖いし大袈裟だけど、信者を集める為に便乗したくなるものなのかも。
先日もロシアのUFO発言ギャグが話題になったりしましたが、
今では宇宙人を単純に悪という図式は成り立たなくなりましたね。イイことだ。

ぼくは、争いがかなり嫌い。只の敵意でさえも嫌いです。
その根拠は、この映画による影響が大きいかも。
内容は、完全に先進国各国の政府と宇宙人との極秘コンタクトの経緯と、
全く個別に進行する個人のUFO関連のドラマです。
政治家と科学者のドラマ、映像美と、
意味が解らずどちらかと言うと迷惑な個人へのUFOの影響を、
もう無茶苦茶な説得力で描いてます。
母親はなすすべもなく子供を誘拐され、
宇宙船を目撃したあるお父さんは、家族も崩壊し、それでも刷り込まれた謎のイメージを忘れられない。
最期の最後に、刷り込みされた人々数名で、根性のあった者達が、
宇宙船と科学者達の邂逅現場に辿り着き、目的を果たす。
お母さんは子供と再会する。天蓋孤独になってしまったおじさんは、
…ただ独り、招待されて宇宙船に乗り込み(厳密には先鋭部隊が数名乗る)、
地球を後にする。
全篇を通して、神秘的でありながら不穏な空気を無用に煽らない、
ジョン・ウィリアムスの発明と言ってもいい音楽。それが、ラストシーンで「星に願いを」で集約される。
何だか訳解らずに、感動してしまう。これが皆目何にかわかんないんだ。
何に対してかわからないけれど、心を揺すぶられてしまう。
例えば同じものが、恐怖の対象だったのにたちまち平和への第一歩みたいな意味合いになってる。
これには実は、音楽の力が非常に大きいです。

スタンフォード監獄実験という、恐ろしい実話があります。
刑務所の、囚人と看守という役割を実際と近い環境で与えられ、どのような心理状態になるか…。
結果としては、最悪だった。役割は完全に本人達に憑依し、暴動に近い状態になったり、
看守が囚人を虐待したり、立場を演じるあまり、危険な状態になってしまった。
後天的な環境や、素材や、出来事が、人を征服してしまう。
洗脳とか、刷り込みとかは、実際にある。意識的に、無意識的に、
作為的に、或いは結果のみが語るケースも、ある。
リチャード・ドレイファス演じる普通のお父さん、ロイは、
家族に止められ、本人も苦しみながら、
どうしようもなくあの山のモニュメントに取り憑かれていく。
それが宇宙人の超科学的な迷惑行為であっても、
この映画の演出と、群像と、音楽で、
これは人類と未知の知的生命体との新たなステージとポジティブに見えてしまう。
その場に当然の様にあるもの、
逆に、強烈なインパクトを持って出現したもの、
これらは、人間の意識を膠着させたり、根底からひっくり返したりしてしまう。
邪悪な場合も、善良な場合も。

スピルバーグって、映画ファンの目線からはどうなんでしょう。
ぼくには、初期の作風は一寸判りにくい作家というイメージがあったんです。
激突。ジョーズ。未知との遭遇。
明快な主張とかがある訳でなく、寧ろ映画の語法をフル活用して、
緊張の体験を提供する、だけ。
ところがこの作品以降、どんどん作風は勧善懲悪、ヒーロー、善良になる。
ぼくはそのどれも支持してる。
インディ・ジョーンズ、ジュラシック・パーク、最高!
でも、もはやいいのか悪いのかわっぱり判らずに説き伏せられたのは、
この映画だけ。やばいよねそんな映画。レイプみたいなもんだ。

ぼくがこの映画のことをとても好きな理由。
まず、宇宙人が上記の通り、傍若無人で全く相手の都合を意に関してない、
つまり人類の文化とかよく解らず、
それでも心意気だけでも何とか友好関係を築く気満々なところ。
次に、ロイお父さんはその為に全てを失ったけれど、
安息の地を求めて宇宙船に乗ること。
人間関係が破綻する。酷い話だ。しかしもしかすると、
ぼくは音楽の為に物凄く大きなものを奪われて(だって棄てたいわけじゃないから)、
それでもそうせずにいられない。音楽という怪奇なものに蹂躙されている。
だから実感してしまう、ロイの心の動きを。否応なく。
そして、桁外れに鈍感なこの映画の宇宙人も、繊細過ぎる人類も、
誰一人暴力を振るわない。争いを好んでいないこと。
人間側はみなそれぞれの立場で恐怖を感じているけれど、
逃げ出すことさえしない。懸命にセイハローしようとしている。

それでも想います。こんなに迷惑をかけてもピンと来てない宇宙人は、
一寸説教してやりたい。悪意が無いのはわかったけど、謝っといた方がいいぞ、と。
「ホモ・サピエンスってのはな、囚人と看守の役割実験だけで簡単に逸脱するし、
遺伝子的なSEXと合致しない心の性別があったりもするし、
殺られる前に殺ってしまう弱さもあるし、
種の構築する社会に適応するのが困難になるケースもあるし、
結論としてはな、人間は、恐怖する生き物なんだよ!」
と。

そして、恐怖を昇華してぼくに力尽くで感動を捩じ込んだスピルバーグの、
このあっという間の2時間半に、違った意味で恐怖も憶えるのです。
d0041508_221235.jpg

d0041508_2212338.jpg

d0041508_2212313.jpg

[PR]
by momayucue | 2013-04-10 22:12 | つれづれ | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


by momayucue
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31