もーしょんぴくちゃー

世界にひとつのプレイブック/デヴィッド・O・ラッセル (弱く、等身大になっていくアメリカ)

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Silver Linings Playbookって、どう訳すのがいいんだろう。
「眩しいプレイブック」、でどうでしょうかね。
何となく今回の邦題だと、映画の原題のニュアンスを損ねてる気がするんです。
すごく微妙なんだけど。訳した人の苦労が偲ばれますよまじで。

ヒロインのジェニファー・ローレンスがアカデミー賞の最優秀女優賞を受賞したのも記憶に新しい映画です。

アメリカは、精神科医療の浸透が日本に比べて著しい社会。
舞台はN.Y.郊外のベッドタウン。
パットは躁鬱の起伏が激しく、またそれを知ってもいて、捻じ伏せたり宥めたりしながら悩んでいた。奥さんの浮気現場で暴力事件を起こして、精神科の治療を受け、投薬もベロの下にカムフラージュしてごまかし、母親の尽力で8か月目に退院する。
でも、イカれてる。行動も発言も何処かずれてて迷惑。
実はお父さんもお母さんも、ぼくから見たら兄貴も、イカれてる。
友人が小さなパーティを開き、その席で同じようにややトチ狂ったティファニーに逢う。トチ狂ったパーティはたちまち破綻して、パットはティファニーを歩いて送ることに。彼も、彼女も、病を乗り越えようと、少しずつ歩み寄り、助け、求め、共闘を。接近禁止の妻と復縁のチャンスを作る為に、彼女に協力する。ソーシャル・ダンスだ。
父親(デニーロさん)のイカれ方。パットと過ごす時間を作る為に地元ラグビーチームに入れ込み、トトカルチョの堂本に迄なっちまうこと。兄は、弟を試す為に、オレの方が優れてるとコテンパンになじり、怒りに耐えた弟を抱きしめる。アホだよね。
登場人物は、ほぼ全員イカれてる。それでも作品を成立せしめているのは、この映画の背景にあるアメリカの社会。
自主性と権利を病的に追及し続けた結果、宗教と訴訟と精神的な病理でパンクしてしまった国。近所のガキが時折りメンタル失調の取材がしたくて訪ねてくる。お前が一番狂ってるぜ!の瞬間。地方という程の田舎ではなく、マンハッタンに出ようと想えばすぐに出られる距離。もしかすると通勤してる人もいるかも、多分1時間も電車に乗らないと想うんです。それでも滅多に都会に行かず、巨大なウォールマートの駐車場に車をつけ、大量の食材を仕入れて暮らす人々。病んでいる、とも、のんびりしている、とも言えそうだ。そしてそれは(他の人の指摘を読んだ訳じゃないけど)国家の在り様や教育や経済の破綻が、イカれさせた。

アメリカは、スポーツと地域密着と、ギャンブルの国。
ぼくがアメリカの軽い地方の友達の家にお世話になった時、その家族は野球やラグビーの時間になるとTVの前で熱狂した。ホントに好きなんだね、とぼくが言うとその家の二男は、違うよ、賭けに勝ったんだよ、と、しれっ…。それなりに想い切った金額を、愛する故郷のチームに賭けるお祭り騒ぎも、かの移民の国のデフォルトなんだな。また、犯罪は厳罰に処す「とも限らない」ある種のおおらかさも、救いになっている。

宗教。
溺愛した妻との結婚式で使った想い出の"Stevie Wonder"の曲が、パットのトラウマになっている。パニクると何処からともなく、パートタイム・ラヴァー…、違った、マイ・シェリー・アムールの幻聴が。これは、例えば地元チームを無条件に受け入れる傾向も含めて、愛情に対して意外と能動的とも言える。そこにある愛情を、無条件に信じるのは何故?
そんな傾向は多かれ少なかれどんな共同体にもあるでしょう。それでも、たったひとりの運命の人を疑わないパットの病や、夫を事故で失ったティファニーの喪失感は、かなり頑固だ。その倫理観の根底には、やはりキリスト教、教会のシステムが背景にある。個人主義の拡大と権利の主張と論戦の文化の中で、拠り所は、家族と、絶対善の基準たる信心になってしまう。

ひとつ不思議なのは、彼パットがもう少しで妻の浮気相手を殴り殺すところだったのを、心神喪失の病理と裁決したのは仕方がないとしても、奥さんがあれ程堂々と、まるで正しいかの様に振る舞うのはありなの?という…。いや、設定にケチをつけたいというよりも、寧ろ逆。現実が超現実的で、一旦犯罪者(もしくは病気)とされてしまったら、腫れ物はそちらと社会の眼も判断しそうだと想うんです。

アメリカは、ちょっと前の都知事みたいな人物が大統領になってしまった。あらゆる差別や品格のない言動を繰り返してきた人物に、実際の得票数はともかく(現時点で実は民主党候補が200万票も上回っていたという)今の選挙方では勝ってしまうだけの得票をした。こうなった理由は色々あるんだろうけど、要するに現状の平等主義の恩恵を全く受けられないアメリカ人が大勢いた訳でしょう。もうITの時代でもない。そこにお金が転がっている訳じゃない。せこく小さくしかならない市場の中で、格差だけはどうしようもなく広がっている。アメリカがカッコいいなんて時代は、ニッポンのそれと同じように過去のことだ。世界の番人の座を降り、もはや振りかざす正義もなく、小さくまとまってくしかない。等身大にならないといけない。なのに、1度大国呼ばわりされた国家は、相変わらず威張り通そうとしている。


一寸ネタバレになっちゃうけど、映画の最後は、とてもとても暖かいイイ話で終わるんです。全体をきちんと所掌している人物はいないけれど、微弱な電波で(お父さんがティファニーに息子のジョギングコースを教えていたりもありながら)、それぞれの知性と理性で、ハッピーエンドを迎える。ぼくにはそれが、とても無理が無く感じられたんです。

どういうことかというと、心を弱らせているアメリカの、疲弊した現実に、優しい眼差しを向けているという、その目的に非常に適っている。
何故彼等はこうなってしまったのか。どうなるべきなのか。そしてこれから、その為に何を捨て、何を得るのか。

ぼくは日本人だから、超想像ですが。

そして、この映画ではハッピーエンドの続きはこれからどうなる。
パットは、イチ社会人として生業を得られるのか。
ダンスを続けるのか。
おや、想い出したぞ。確か父ちゃんが、
「レストランの開店資金を賭けた」
って言ってたな。
うまく繁盛するかどうか…それはもう映画にはならない。



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by momayucue | 2016-11-25 14:31 | もーしょんぴくちゃー | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


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