2012'1/31 火事で、川勝さんが亡くなった。
川勝正幸さん。
80年代からライター、エディターとして活躍し、
数々のポップを見つめてきた、最良のお客さん。目撃者。
ファインアートからサブ、ストリート、ハイ、なんちゃらかんちゃら、
あらゆるPOPを、ただ客席の最前列で見つめていたおじさん。
今日の写真、向かって左が川勝さん。右はジャズ・ミュージシャンの菊地成孔。
どうです?元気のない、ひとのいいおじさんでしょう。
ぼくは彼の姿や仕事の仕方を、まだウッディ川勝と名乗ってた頃から記憶してますが、
これがね、全然変わらない。30になる前から、今と同じおじさん。
今…って書いたけど、本当に不思議なのですが、彼は、死んでるんです。
彼は煙草を吸わないらしいです。菊地さんが言ってた。
では枕元からの出火って、何だそれは。
住まいのマンションが火事になった、その出火元は、
よりによって、他の部屋じゃなく彼自身の部屋で、しかもベッドで出火。
うそなんじゃないの?死んだなんて。
その週の菊地さんのTBSラジオでの番組は、
全てが、全篇が、ゆかりの有無を問わず、川勝さんへのメッセージで埋め尽くされた。
続々と、続々と寄せられ、更には放送枠から溢れても集まってくるメール類は、
いとうせいこうから始まり、終了直前に読み上げられた山田五郎までの間に、
ストレートアヘッドなジャズメン、雑誌編集、漫画家、放送作家、コメディアン、
学者、その他、まさしく川勝さんの仕事さながらにジャンルを横断縦断した。
ぼくだって、川勝さんとは無関係だったし、シンクロしてないシュミも多かったけど、
メッセージ、あったよ。
いつか、ぼくのコンサートにも来て欲しかった。
いかさまのジョン・ライドンのお葉書、オノヨーコの手紙、…。
菊地成孔さんと同い年、同じ千葉育ちってことで、
あそこまでアタマよくないですけど、ぼくも川勝さんの一味になりたかったよ。
病気でも天災でもなく、何の予兆もなく、突然の、他界。
何度かコンサート会場でお見かけしていた彼の姿は、
兎に角、うさぎにつの、デカかった。
巨体。でも、腰が低くて、業界でも顔が広いのに、
殆どコネを使ったりせずに自分でお客さんの列に並んで入ってた。
なんてこった。あんないい人が…。と想ったですよ。
川勝正幸さんが亡くなって、それでも、POPは進む。
世の中が退屈になるんじゃないか、と危惧した人も少なくなかったけど、
案外そうでもなくて、ただ川勝さんの言葉によるPOP中毒の禁断症状描写が、
…無いまま。の時間が過ぎていく。
POPとは、売れることとも、売れないこととも、違う。
わかり易いこととも、わかり難いこととも、違う。
ある時期、POPとは「複製を是とする」ことだったが、
もう今はそれだけでPOPではない。
POPとは、POPなコトだったんだよ。