もーしょんぴくちゃー

Fame(1980年映画版) 作品のことと作品にかかわる自分のこと

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いったい何故、当時のぼくが"fame"を観に行ったのか、皆目覚えていない。
15歳だったかな。デートで映画…とかの記憶もない。独りで観たんだろうか。その頃は、割に独りで映画を観に行く少年でした。それはそうなんだけど、それにしても…音楽かな、何に引き付けられたんだろう。
しかし単にきっかけを想い出せないだけで、この映画は、かなり大きな影響をぼくに及ぼした作品です。

N.Y.はマンハッタンの商業アートの専門学校。スターを夢見る若い才能が狭い門を懸命にくぐる。
シンセサイザーを駆使しオーケストレーションをものす早熟なピアニスト。友達の受験に同行し、試験官を挑発する破廉恥なダンスを披露して友達を差し置いて合格してしまったアフロ・アメリカン。女優志望なのに内気で地味な女の子。始めから完成している天才女性シンガー。テキトーなボードビリアン。彼等が友情を育み、悩み、迷い、挫折し、乗り越え、卒業を迎える迄の青春群像劇。

当時はスターは殆ど皆無。音楽はメインテーマ含め大ヒットし、そのシンガーであるアイリーン・キャラが数年後にフラッシュ・ダンスで再ブレイクするのが最出世株かな(とはいえさる筋によると、あれだけのヒットを飛ばしたのにギャランティが全くはいらなかったらしい)。モンゴメリー役のポール・マクレーンは、後にERの重要な嫌われドクターとして登場し、もうかなり同情に値する死に方をする演技派。このフェームでも既に、作品の奥深く没入して難しい役どころを演じているけれど、今では監督としての手腕が非常に買われているらしいです。しかも持ちネタが多い。アイリーン・キャラだけでなく彼も歌を劇中で披露していて、それもオスカーにノミネートされてるという飛び道具。アメリカでは非常に注目度の高いタレントです。ただ、いずれもみんな若い!スターを目指し野心でぎらぎらとした登場人物は、そのまま俳優達の境遇にもあてはまるので、リアリティがほんとにあったんですね。

さて、この"fame"を軸に、いつもの通り大がかりな映画論とアート論を、はりますですよ。

迫力というものについて。

セットも人手も、近年の映画とは予算の規模が全然違う為、群舞のシーンとか、今となってはスケールが小さく見える。まだHIPHOPも無い、ダンスミュージックと言えばソウルとディスコの時代。ファンクは、果たして当時は白人には濃すぎた。ブレイクダンスなんてないない。誰も背中で回ったりしない。有名な映画のタイトル曲に合わせて学生達が路上で踊り出すシーンはこの映画の象徴的な場面なのだけど、人数が、ダンスが、もしかすると今見たら物足りなく感じるのかも知れない。それでも、ブルース・ブラザーズの様なデフォルメでなく、アラン・パーカー監督は、本当の
出来事のように演出するのを選んだようです。学食で誰かが叩くスティック。ピアノがベースラインを作り、楽器がどんどん増えてやがて全員がノリ始め、最後にアイリーン・キャラが歌う。ぼくはこのシーンが本当に大好きで、今でも参加したくなります。
今でも。

当時のN.Y.の危険や、風俗的事情。黒人は貧しく、場所によっては差別を受ける。レニー・ブルースの様なスタンドアップ・コメディで手軽に人気を博し、初心がブレていく俳優志望。自分の殻を破れずにいた少女はロッキー・ホラー・ショーに出かけ、そこで何をするか。シンセサイザーでなら何でも出来る天才少年は、課題のバイオリンに苦戦し、父親の暴走気味な応援に辟易している。いい加減でダーティで強欲で罠だらけの社会。それはショー・ビジネスだからでもあり、ニューヨークだからでもあり、そもそも成熟とは乱調だからでもあり、社会は何処でもそう。麻薬の問題や、潜行し一層下劣になった性犯罪やポルノグラフィ。この映画の中ではその問題もステレオタイプで、ゲイとかがいかにも深刻。だいぶ市民権を得た同性愛や、黒人大統領の時代になった今でも、当時とはまた違った粘着と過激さを物語にもたらすテーマではあります。
そう、今でも…。しかし今と当時とは…。

この映画の清々しさがぼくにとって好ましいのは、複数の学生達が対等に主人公な点で、ダンサーも、シンガーも、俳優も、作家志望も、それぞれ異なったタイプなんですね。ぼくなら当然、早熟音楽家に感情移入してしまう(自分の能力は差し置いて、ですけど)。対立や、嫉妬も含め、入学試験に合格したら、お互いの野望も内面も曝け出して、成長しつつ、妥協しつつ、挫折しつつ、進むしかない。今だったらもっと巧妙で狡猾な、しかも邪悪な罠がハンディとして用意されている。14歳で妊娠のご時世に、この当時はヌード写真が転落だった。
今ならさしずめ…。

今でも?いつか、その今は過ぎるのだろうか。

非常に判り易い例をあげると、911以降、アメリカの表現は、大きく変わりました。
左右にも拡張した国内の事情に対し、アートは、左に舵を切った。このままではいけない。アメリカが正義ではない。はっきりとそう打ち出しています。国民感情は勿論ナショナリズムにも向いていますが、それは、ガバメンタルと言えない。アメリカ国民は、国家としての正義に迷っている。80年代の後半には、ラップが完全にロックを食ってしまう。言語情報が圧倒的なメッセージを持ち、差別と貧困と闘争を叫んだ。
アメリカは今や、究極的なダンスのアクションを獲得し、Fameの当時とはスピードもパワーも意外性も倍以上。一方で病も進みます。犯罪の猟奇性は80年には全く理解不能な粋に達しているでしょう。スピードもパワーも病もエスカレート…なんてこった。そして映画には、コンピューター・テクノロジーが介入してきます。このままだとゆくゆくは、バーチャルはリアルを超えた表現世界を実現するでしょう。飛べない空からの視点を得た中国の水彩画の様に、無重力空間での出来事も表現可能になってしまう。勿論一方で全ては陳腐化し、Fameの躍動は21世紀の躍動から見たら、ブラームス並み。

1980年公開の"fame"は、今観たらみんなどう感じるのでしょうか。
何もかもがクラシックになっていくのは避けられません。ならないとおかしい。しかし誰でも、クラシックな何かに触発される。ぼくにとっては、学食の場面。それが音楽であれ何であれ、アクセルを踏む傾向は止まらない。ただこの時代の車は、Fameのアクセルがベタ踏みだったんです。リアルな青春だったんです。限界は美しい。

この学校のモデルになったアートスクールに、遊びに行ったことがあります。宇宙戦艦を作っているヤツや、セントラルパークに落書きをしたくてうずうずしてるヤツがいた。ぼくは、何もかもを音楽にしてしまいたかった。眼の前のものも、脳の中だけのものも、誰かの音楽も、ぼくの音楽に翻訳したかった。出来ると想っていた節もある。コントロール出来ない、どうしようもない、やり場のない、生命。有名になろうとは想わなかった。匿名で作品の評価だけが何処かに存在しているならそれでよかった。この映画は、学生達の発するエネルギーは時間と共に過ぎていくだけで、卒業という大団円が結構唐突に訪れて幕が引かれてしまう。核になる大きなドラマよりも、ただエネルギーがある。実際、そんなもんだし、文句もなくはないけど仕方がない。

決定的な山場がなく、ひたすら青春。そんな意味で、この映画は、完璧なひとつの世界になっている。この映画の世界は、真実です。実際にある世界です。

"fame"のAmazonリンクを貼っておきます。僕がAmazonで買った時には、残念ながら日本語吹き替えが入ってなくて、それは現在でもそうみたい。吹き替えが発売されてたら、教えてください読者の皆さま。




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by momayucue | 2014-04-06 23:46 | もーしょんぴくちゃー | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


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