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キングコング 、ピーター・ジャクソンの見た夢

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映画を構成するマテリアルは、時代を追って増えています。
創世記、フィルム時代は、モノクロのカクカクとした動画でした。やがて、物語がついて、音楽がついて、台詞も聞こえて、特撮が出来て、コンピューターが導入されて、フィルムが消えてデジタル化し、3Dの体験も出来る。そのうち(一部の遊園地で実践されているように)風が吹いて席が傾いて水がかかったりして、どんどん実際の体験に近くなり、ある意味では凌駕し、…が可能になっています。
1933年、キングコングの第一作めが劇場公開されました。N.Y.に連れてこられた巨大なゴリラが、エンパイア・ステート・ビルディングに登って空軍に攻撃される姿は、人間が何かを演じる以上の何かを、映画が演じることが出来る証明であり、ひとつのスタイルだったことでしょう。ツウだったら当然押さえてる傑作なのかも。ぼくも機会があったら観たい気がします。その後、カラーで特撮で興行収入が拡大して製作費も大きくなって、1976年に、ジェシカ・ラングという美女を物語の中心に据えたキングコングが、リメイクされます。本国アメリカではそれほどヒットしなかったとかよく聞くのですが、ことの真偽はぼくにはわからない。
恐らく、映画のミッションも黎明期から随分と変わったのだろうと想像出来ます。汽車が動く、船が動く、人が動く。それだけで娯楽として成立していた時代もあったと想うのですが、その後、悲劇や喜劇を描いていくようになる。近代文明を拒否するキングコングの野生は、様々なドラマを背負っている。最初から、だったのか、「最新
作」からなのか、ぼくは網羅してないから知らないけれど、あまりにも、あまりにもプロットの全ての場面が…。

そう、最新作とは、ピーター・ジャクソン監督のそれのことです。
仕事を失った女優と、借金を抱えた映画監督が、でかい仕事を求め、仲間を連れだって絶海の孤島へ向かう。その名も、スカル・アイランド。
先ずここ迄で、1930年代、大恐慌時代のアメリカの風景を、描き切っている。人々のざわめき。街並みも車も人々の服装も、時代の雰囲気が魅力的。人々は疲れ切っていたりするけれど、野心に燃えている山師みたいなヤツも沢山いる。興行。夢と挫折。

そして文明の届かない未開の地へ。
蒸気船での船旅で辿り着いた島には、ニューヨークの近代都市と正反対な世界が。今なら人類学者が涙を流して喜びそうな、原住民が生贄を伴う儀式を行う風景。密林の中で人間並みの大きさの毒虫がうごめく。驚くべきことに、恐竜の群れまで襲い掛かる。その中を掻い潜って、もはや映画撮影どころでないサバイバル。泥まみれの主人公達。トラウマになりそうなくらい気味悪い虫の映像。トランス状態の原住民に捕まり生贄になりかけた女優。そして、ついにキングコングの登場。彼は何故か女優に魅せられ、醜いが優しいナイトになり、絶体絶命の危機から彼女を何度も救っていく。
美女好きな巨大ゴリラ。野生と近代の、心の交流。しかし野心に満ちた近代人は彼を捕え、ついにN.Y.へ。

大都会。目抜き通りの劇場。囚われたキングコング。しかし彼の筋肉が封じ込められていた時間は、長くはなかった。女優の危機に暴走し、手枷も何も引き千切って、大暴れ。怪獣という概念も固まっていない大恐慌時代の、野生のメタファーは、生き物としての表情と思考で行動し、そして最後は、アール・デコの象徴、ご存知エンパイアの頂上に女優を連れて登り、飛行機からの機銃掃射にあえなく落下、息絶える。人間だって身勝手な野生で、美男美女なら恋に落ち、一方獣は、所詮凶暴なケダモノだった。悲しい結末だ。

それほどに多彩な風景。

ピーター・ジャクソン監督は、この映画を3時間の長編にしました。
このプロットには、映画的な夢が詰め込めるだけ詰め込める。実際に出来上がった代物は、あらゆる場面が無節操なくらい映画的で、街も海も島もロマンスも怪物も飛行機もテンコ盛り。例えばぼくは、完全にナオミ・ワッツの女優的な美しさに、本当に参ってしまった。キングコングと同じレベルやんけ。
こういった作品には、様々な解釈が出来る。身分や階級の垣根。障害者のメタファー。フランケンシュタインも、ノートルダムも、美女と野獣も、階級原理主義のメタファーだとしたら、キングコングだって、未開の地の土人だって、相当酷い喩えだ。無限に意味付けをせず、文明人の範囲で捕らえるしか、きっとぼくらには許されない。

そんなわたくしですが、やっぱり文明人って酷いよなあ…と想うところはあるんです。なんと言っても、原住民をバンバン射殺しているのは、承服出来ませんな。ちょくちょく船長がマシンガンで虫を蹴散らしてくのは仕方が無いとしても、人間を殺すのには、もう少し動機付けが欲しかった。当時はそんな時代だった…だったら、あのいかした黒人の船員が止めにはいるとか。もう一寸踏み込むと、そういった虫けらから爬虫類、哺乳類、人間になって文明人に至る、無限の階級の中で、キングコングの報われなさも、より意味を増すのではないかな…とか。イルカや鯨がもしも凶暴な動物だったら、知性がある云々ではなくグリーンピースも庇わない。キングコングは、アンという女優にだけ、無骨だけど優しかった。
「飛行機じゃない、美女が野獣を殺した」
という決め台詞が、1933年の初回作品からありました。キングコングは徹底的にフェイ・レイに執着した。76年版のジェシカ・ラングには、息を吹きかけて髪や服を乾かすという場面があり、監督の性的な意図が丸出しです。
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ピーター・ジャクソン版は、ナオミ・ワッツや、彼女を取り巻く文明社会がキングコングを翻弄してしまう様を、映画的に、ゴージャスに描ききってる。残酷だな、もしかすると、秘境にもキャメラを持って行ったジャック・ブラック演じる監督こそ、ピーター・ジャクソンなのかしら。でもひとつ解釈出来ないでいるのは、
「カール(映画監督)はそういう男だ。愛するものを破壊せずにいられない」
というジャックの台詞。単に映画とか興業で金儲けしたいんだと想うのだが…。
…などと文明人のしたり顔で、失礼しました。
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「飛行機じゃない、美女が野獣を殺した」
つまりそれは、キングコングは犠牲になったということでしょう。しかし文明人は、
階級の劣るものを弄る行為を、その後もずっとやめていないですよね。


さて、映画的…が今日のテーマなので、本題に戻っちゃいます。
俯瞰した視点で見ても、「美女と野獣」という取り合わせ。ストーリーに入ると、1930年代の風景、海、ジャングル、冒険アクション、怪物との闘い、美女と野獣の関係、軍隊とキングコング、神話的な悲劇、とまあ何拍子も揃った素材。これを雛形とした沢山の活劇ものがありますが、その雛形構造の最重要のルーツが、枠組みをひとつ越えた、King Kongだと想うんです。
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Commented by kozo at 2014-04-30 19:41 x
大好物です。

モノクロのは大昔TVの月曜ロードショーかなんかで観ただけですが、J.ギラーミン版、P.ジャクソン版とも劇場で鑑賞してます。

特に、J.ギラーミン版は小学生の時に初めて字幕で観た洋画ということもあり、思い入れ強いです。
この作品でコングは今は亡きワールドトレードセンターに登ってるんですよね。
 おっと、2つ目の画像!! パンフレットにも掲載されてたジェシカ・ラングの乳輪ショットじゃないですか!!(#^^#)
本編ではここまでの露出は無かったんじゃ・・・

P.ジャクソン版はなにが凄いって巨大昆虫や恐竜とのバトルが・・・
いやいや、ナオミ・ワッツが綺麗ですね。撮影時、もうけっこうなお歳だったはず。



Commented by momayucue at 2014-05-02 00:17
たにぴ@ログイン中。
kozoさまどもども。すげえなあ、これパンフレッドのみの掲載を知ってるなんて、どんだけエロ画像マニアなんすか。
ぼくは一応76年版も観てるけど、そこまで詳しくはしらなかったっす。
ナオミ・ワッツは当時37歳、確かに想定よりは上かもしれないけど、
全然きれいだし、ほんとにハリウッドな輝きをまとってたと想います。
by momayucue | 2014-04-29 20:38 | もーしょんぴくちゃー | Comments(2)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


by momayucue