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The Solo Album/ソニー・ロリンズ

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暗〜い性格の、たにぴ@もまゆきゅです。

そりゃ暗くもなるよな…。

んなことは置いといて、
Sonny Rollinsは、豪放な号砲テナーわけです。
ローリング・ストーンズのツアーでも吹いてたりと、
ケチケチしたところがない。
その昔千葉のコンサート行きました。良かった。はじけなくても明るい。

N.Y.の近代美術館という、物凄い広い美術館の、
多分これはエントランスなんだろうな、
広い所で、彼は、テナー・サックスだけで、たった独りで、
まるで練習でもするように、コンサートを行った。
それが、そのままアルバムになってます。1985年のこと。

構えない?こういうの。

南佳孝の名作、"7th Avenue south"の冒頭、ディヴィッド・サンボーンが、
1分程、無伴奏で吹いてる。
その後、リズム帯が加わり、ヴォーカルが来て、
じわっとストリングスが乗るんです。それは凄い快感。
しかし、ソニーは、このコンサートで、
1時間ひたすら、サックスだけで、スウィングしまくってしまった。
フレーズを愉しんで朗々と歌うというよりも、
その場の空気が先にスウィングしてて、それにノリで演奏してる感じです。
会場にいて、演奏を観てたとしたら、そりゃ最高だったと想う。
音だけで彼がスウィングしてるのが充分わかる。

ギターや、ピアノだったら、そういう演奏は幾らでもある。
ベースでもあるかも知れない。
レアなのだと、「真夏の夜のジャズ」の滑り出しでのジミー・ジュフリーのトリオは、
サックスと、トロンボーンと、ギターなんだけど、
三位一体となっての、ぐいぐい迫るスウィング。
ビートを刻む楽器が無いと、却ってそれをオーディエンス全員の血が補う。
それを、テナーでリードするソニーさん。性格が出るなあ。

オーネット・コールマンなんかも、
シリアスなフリー・ジャズの人と想われてるけど、
ある程度の年齢からは、好きな音楽を好きにやるんだから爽快感が出るんじゃないかな。
いや、わかんないけどね。

短いフレーズを繰り返す音楽様式を、
クラシックや現代音楽の呼び方で、ミニマル・ミュージックなんて言ったり、
その繰り返しを微妙に操作して展開や時間の感覚をコントロールして、
ポスト・ミニマリズムと呼んだりしています。
モノフォニックな楽器で(この場合テナー)演奏しながらビートというかスウィングを伝え、
そこにオーディエンスが積極的にノッていき、
時間をかけてスウィングを体験する。
大丈夫、私はいつもと何も変わらない…そう言ってるソニーの笑顔が浮かぶ。
その体験はぼくにとって、いつもとは違ってて、
更に、「いつも」の方が、その体験を通して少しずつ変容していく。

N.Y.の近代美術館へは、ぼくはこの翌年の渡米で何度も行くことになります。
このコンサートのことも知っていて、
「ああ、ここか…」などと想いを馳せてもみたですよ。
レコードで音を聴くのは随分後のことだったので、
場所柄もあって、アート・インスタレーションをイメージしてた。
でも彼はいつも通りだったのを、後から知って驚くという構図でした。
ぼくは自分のコンサート観を何度も書いてますが、
特別な音楽をやるときと、
「空間だけが特別で、その他はステージ上の人物をはじめ普通」
という、持ち回り理論を持っています。
アンディ・ウォーホルと同じなのかわからないけれど、
誰でも、有名になったりたちどころに忘れられたりすることが可能。
そんな心情もあって、コンサートで自分がステージに上がる時にも、
普段の自分と同じものをステージに乗っけるようにしてます。
いきなりカリスマロッカーになったり(出来ないし)しないで、
普通のひととして緊張して、動揺して、すべって、…。
そう心がけていても、それでもやはり、
いつもと別人!と言われてしまうこともあります。
不機嫌で話しかけにくいと言われることも、
普段のたにふじのまんま!と正反対の事を言われることもあります。
平常の場所ではないのに平常心なんて有り得ない。
ミュージシャンの定義も、時代に応じて変わっていき、
近頃では、ラップトップだけで演奏するタイプの人もいます。
管楽器や、弦楽器だけの生演奏と比べて、
どの位緊張や非日常が滲み出てくるものなのかは程度の差もありますが、
不思議なことに、それでも緊張や無頼が伝わってくる。

ぼくという人間は、勿論、それ程魅力的な人物じゃないです。
容姿も、おつむも、声も、演奏能力も、肝っ玉も、
どちらかと言うと逃げ腰です。
日々の生活に、トラブルや葛藤を幾らか抱え、
何とかものを食って暮らしている。
それをそのままステージにあげるライヴが、果たして価値あるものになるか…。
いや、なる筈だ、と言う信念のもとに、
恥ずかしがりつつもぼくはそれを実行します。
理由は、誰もが、どんな人もが、持ち回りで祭りを扇動するべきだ、と、
誰かだけが特別であるのは仕方がないとしても、
特別でないことにも価値と役割と権利とがある筈だからです。

さあ、行くよ。
by momayucue | 2014-05-12 23:56 | 未分類 | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


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