もーしょんぴくちゃー

更にアクト・オブ・キリングを

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あれ程長々と、しかもありったけの熱量を込めて書いた、「アクト・オブ・キリング」について、それでも、どうしても補足したい。

申し訳ないとも想いつつ、あの作品に真っ当なリアクトをする為に、周辺情報はどうしても多い方がいい。可能であれば、以前書いたテキストも参照頂けたら幸甚。

当時の事件に、アメリカが、また日本が、当事者のアンワル氏程の切実さは微塵も感じずに関与していたことは、事実だ。そこを指摘し、それに及ばないアメリカ人の監督などは無能だというAmazonでの誰かの評。その通りで、この映画の中ではそこを掘り下げるシーンはない。ここからが周辺情報となるのだけれど、多くの国が既にその点に気付き、自浄や、或いは責任を消極的に逃れる行為を始めている。つまり描かれなかった部分にも波及はしている。監督自身がワシントンDCの上下両院議員の何名かに観てもらっているし、その結果は、
「インドネシアに対してよりも、自国(米国)を洗いなおさなくてはいけない」
だった。とあるインタビューで監督は、
「CIAにしろ、貴方の国日本にしろ、事実を黙認どころか当時暗躍していたのです。私はその分野の専門家ではないですが、それでも殺害ターゲットリストの事実を確認しています」
とまで言い切る。今頃はFBIが彼の電話を盗聴しているかも知れない。
もっともっと掘り下げないといけないのだとしたら、それは、気付いた人の仕事でしょう。監督は殆ど可能なことは全てやっている。やっていないのは、我々の方であり、批判だけしている奴等だ。

「露悪趣味」は、まあ悪趣味だと言いたいんだろうな。ぼくはこの監督の誠実さを信じてる。指摘する人については、指摘の仕方によるけど概ね正しいとも想います。これを受け付けない人はいるでしょう。ぼくは違った。
ただ、彼等が進んで演じた虐殺、という現実は、一見平和にも見えるインドネシアの、もうひとつのリアルだ。つまり彼等は国内で今も正義だから、堂々としていられるのだ。今のインドネシア政権は、彼等を堂々と振る舞わせているのだ。この映画を異様に想う我々は、幾分幸福な社会にいるだけなのだ。

この作品自体がある種の陰謀だというものまで見かけた。誰のどんな策略なのかによるけれど、得をする人間は、虐殺された側の人々の無念以外にはないだろう。その無念が、増す可能性も孕んでいるのも一方で確かだろう。では、この実際にカメラの前で起こった出来事(殺人をアクトするということ)と、加害者に訊いてみて欲しいと提案した被害者側の人と、そして、嬉々として語った他の全員の加害者という出来事を、悪趣味として封印すべきなのだろうか。スタンフォード監獄実験のような実験は間違っているとしても、その実験で起こった恐ろしい出来事は、封印すべきだろうか。それを封印しなかったことは、陰謀の比率から言ったら、逆だろうな。控え目に言って、「清濁併せ呑む」という表現があるけれど、この濁は考え過ぎだ。強めに言ったら、これが免罪になんて機能しない、免罪になると想うのは加害者の擦り合いだ。

着地点が、アンワル氏の最後の動作が、出来過ぎだと言う説。誘導説と、演出・演技説。あの絶望の中に救いがあるという着地は、ジョシュア監督曰く、
「カタルシスでも贖罪でもなく、気付いたときの肉体的な拒絶反応です。虐殺を能動的にしたことが、肉体にどんな影響をもたらすかの証明です。素直に観れば、あれは、役者に演じることは出来ないと気付く筈です」
わからない。全てが虚構かも知れない。アンワル氏は演じたのかも知れない。監督は誘導したのかも知れない。ぼくらには決して見抜けない。彼が41人めなのだから、
「漸く出逢えた」、としか言えない。それを疑うことも、陰謀論者には可能だろうけれど。

詰まらない、については、詰まらなくも作ってあるとしか言えない。
既存の音楽が一部に使われた以外、劇伴としての音楽は皆無だと想っていたぼくは、2度目に(インドネシア語で)観た途中でノイズ音楽がほんの一部に聴こえたことに、ひどく驚いた。ありきたりのドキュメンタリーであれば(これに比べたら大概はありきたりに収まるのだが)、現代音楽のようなものがあてがわれるのは普通だけれど、ここでは無いままいくのだと想っていたくらいだから。兎に角、撮影にも編集にも全ての効果にも、温度を上げる為のものが無い。
ひとつの例だけれど、車中のインタビューで、監督が、
「しかし、大勢の被害者遺族にとって、真実が明らかにされるのはいいことです」
と問いかけた時に、アンワル氏ではないが当時虐殺をした男が、
「だったら最初の殺人からやれ。カインとアベルだ。なぜコミュニスト殺しだけに注目する? インディアンを殺したアメリカ人を罰しろ。この件を蒸し返すのか。戦争を続けてほしいなら、やってやる」
という自己正当化のシーンがあった。
もし、これを映画の冒頭に持ってきたら、どうなっていただろう。たったそれだけで、非常に共感を得易い作品になった筈だ。しかしそんなことさえ排除した結果が、この作品の「徹底」なのだ。

こんな経験は、初めてじゃないだろうか。これ程ひとつの作品と向き合い、わざわざ擁護し、
「踏みにじるなら自分自身が先だろう!」
と訴える。ぼくは全くこの映画から逃げられなくなっている。

いやあ、そうでもないな。好きなものを擁護するのは体質だな。多いな寧ろ…。

全然関係ないけど、ぼくは、
「アインとカベル」
って聞こえたんだよなあ。発音が悪いのか、ぼくの耳が悪いのか、或いはヤツが記憶違いをしてるのか。
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by momayucue | 2014-06-07 00:52 | もーしょんぴくちゃー | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


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