もうこれも相当に昔なのか、「薔薇の名前」という小説が、ショーン・コネリーの主演で映画化されました。中世、14世紀のイタリアの山深く。とても寒い。ショーン・コネリーとクリスチャン・スレーターの修道士とその見習いが探偵と助手コンビとなり、重くて陰気で不気味な修道院を舞台にした殺人事件に挑む。重厚な、とても好きな映画です。「グランド・ブダペスト・ホテル」を観て「薔薇の名前」を想い出した人、ぼくの他にいるだろうか。すみません想い出しちゃったんです。超然としたあのコンシェルジェと彼に学ぶ少年ゼロ。伝承の伝承の伝承として伝わる物語という構成。ミステリー。哀しい後日談の余韻。笑わない登場人物。映画のムードは全く違うけど、類似点は少なくないと想うのですが。
まあ、「薔薇の名前」と「グランド・ブダペスト・ホテル」を併記しなくても、他に語られるべき映画の豊かさが満ち満ちてます。ぼくが観たウェス・アンダーソン監督の作品でこれが一番最初なので、このコミカルな世界観が強い印象なんですが、絵的な面白さ(所謂シンメトリーですな)と、色彩と、下ネタのマシンガンと、カネじゃ
動かなそうな超絶豪華キャストと。映画ってほんっとに面白いですねぇ。
シュテファン・ツヴァイクという作家。原作でも何でもないんだけど、ウェス監督は、この戦前の作家の、恐らくフェミニンでナイーヴで女たらしなキャラクターにインスパイアされたんだと想います。
あらすじを。ハンガリーにあるわけじゃないらしいのですが、このグランド・ブダペストという名称の、名ホテルの伝説のコンシェルジュ、グスタフ。これを、レイフ・ファインズがなりきってくれてる。あのタフな007の新Mが、あの物騒な「レッド・ドラゴン」のダラハイドが、あらゆる世代のマダムを(死なない程度に?)情熱のおもてなし。しかし、そのセレブの一人が、突然、他界した。しかも、殺人。しかも、財産の一部、とある(割に酷い)名画をグスタフに譲る遺言。しかも、怒ったマダムの息子が、グスタフを殺人犯に仕立て上げ、彼は逮捕されてしまう。しかも因縁のレッド・ドラゴンで自分を射殺したエドワード・ノートン演じる警官に。首尾良く脱獄した彼は、この物語の実質語り部となる、見習いの(うーん、この辺も薔薇の名前…)インド系少年ゼロと共に、真犯人捜しに挑む。おまけにゼロの恋人のシアーシャ・ローナンは、お菓子作りが好きで可憐な、でもやる時はやる娘。
映像の全体イメージは、既に伝わってるポスターのあのピンクのホテルと、ずっとぴったり重なっている。色合いがとてもとても可愛い。しかし物語が進むにつれ、人もバンバン死ぬし猫も窓から放り投げられるし84歳との逢瀬とかもあるししかもグスタフは平然と複数にI Love youとか言っちまう。お菓子みたいなセンスではない。もっと、ぎょっとする。それも含めてのウェス・アンダーソン印なんだろうか。初心者故わからんのですが。
この物語は、ミステリーというか、殺人事件だけど、犯人はもう隠されてもいないし、最期に一寸だけ「おおっ!」というところがあるんだけど、それも含めて、このグスタフには物語上の欠点というかそもそもの疫病神はあんたやんか!という問題が。その問題とは、
「こいつがエロ接待してなければ遺産相続の連続殺人なんてなかったんじゃん?(喩えあのろくでもない息子が相続したとしても)」
ということです。しかしそれよりも何よりも、この映画の素敵なところは、
「古き良き時代のようで、実はそうではなく本当は始めから何処にもなかったかも知れない、人間社会の理想的なありようを、守る、あるいは見せかける夢の空間がかつてあった。そして今は、それさえも失われてしまった。その、なかったものへのノスタルジー」
です。ホテルという舞台装置。コンシェルジュという装置としての職業。恩義。信頼。やがては、その言葉も通じなくなる。列車の中で不義理な軍人に毅然と意義を唱えるグスタフは、あっさりとぶん殴られるし、映画の後日談では一寸悲惨な末路を、…ウィリアム修道士の末路を想わせる…迎える。
しかし、戦争のない理想の社会への、憧れは、伝わって、伝わって、伝わる。物凄く絶望的だけれど、憧れが、伝わっていく。
例えば、この映画を通してです。