もーしょんぴくちゃー

インターステラー vs ゴーンガール 年末対決!!

2014年、意図的に映画を観ました。指の不調が膠原病という方針が出て、投薬を始め、秋が深まる頃には希望が持てるような状態になりましたが、前年から、原因が不明で、兎に角痛むというのだけが事実だった為、映画だけでも観て書き留めて、クリエイティビティーを持続させたかったし、音楽だと今演奏出来ない辛さが募るので、つい映画に足が向かいました。
毎日沢山の映画が出来上がり、公開され、忘れられたり埋もれたりカス映画として生き残ったりと忙しいです。当blogで取り上げなかったものの中にも、「リアリティのダンス」の様な、一寸どう表現していいか解らない位に感動してしまったものもあります。
カルトなもの、マニアックなもの、泡沫で傑作、只の泡沫、まあ色々とあるのですが、見かけた多くの映画ベストテンに、インターステラ―ゴーンガールが入ってましたね。クリストファー・ノーランとディヴィッド・フィンチャー。最も今日的で、最も話題性があり、最も集客力のある、2人の監督。映画好きであれば良かれ悪しかれスルーはしないでしょう。それ程映画に注ぎ込まないぼくの場合は、あわやでしたが、何とか劇場で観ました。

映画の内容に、さらっと。

インターステラ―。Interstellarってくらいで、星の間を旅する物語。環境汚染が深刻になった地球で絶滅の危機に迫られる人類。最早未来を夢見ることもなく、過去の栄華さえ見失っている。NASAは、移住先の惑星を捜すプランAと、移住が間に合わなくても発見した天体にて人工授精の繁殖のみをするプランBを計画する。そこに、パイロットのドラマや、科学者のエゴ、ハイパー物理学等が絡んで、壮大で且つシンシアリーな物語になる。今は農場でとうきび(ぼくは北海道出身)畑をやっているクーパーは、不思議な現象や予感に導かれて、NASAの地下基地に入り込んでしまう。寂しがる娘を振り切り、クーパーは、宇宙旅行へ。殆ど高速で飛行出来る宇宙船。その旅では、ブラックホールの重力渦と、コールドスリープによる時間稼ぎと、光さえ超えるワームホール突破移動等を駆使し、ほんの数時間で地球では数十年を費やしてしまう星や、想像は絶するけれどかなり地味に、科学的な過酷体験が待っていた。クリア出来るかクーパー。そして彼は、人類は、どうなる?
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ゴーンガール。去った、女。彼女は、消えたのか、消されたのか、去ったのか、それとも…。という話です。お互いのセンスに自信を持ったカップル、ニックとエイミーが、退屈なパーティーで出逢い、お洒落な駆け引きののちに、ちゃんと愛し合い、結婚する。時を経てすれ違いが始まり、駆け引きは皮肉になり、疲れていく。で、或る朝、エイミーが消える。ニックは、警察、マスコミ、地域のボランティアと協力し、エイミーを捜すのだが、いかれたマスコミ、いかれた隣人、そして自身のいかれポンチによって、保険金目当てのサイコキラーにされそうになる。真実は何なのか?

さてさて、同時期に公開されたこの2本、近年のハリウッドにおいて似た立ち位置にある、つまり、「監督の名前で客が呼べる」とでも言える背景があり、また後に述べるぼくの感想もあって、やはり比較してみたくなり…ません??


インターステラ―の特徴を幾つか挙げてみます。
宇宙SFではあるものの、殆ど怪物は出てこないです。宇宙人も、怪獣的なものも出てこない。虫すら出ない。よく比較される「2001年宇宙の旅」でさえ、HALという性悪コンピューターが出てくるけれど、こちらに出てるTARS君やCASE君は、一切暴走しない、C-3POとR2-D2を併せたような優れモノのまま。物語の中で、障害は殆ど人間そのものが背負っているんです。
かなりハードな物理学的背景と、オカルトが絶妙にブレンドされた、美しいストーリー。キップ・ソーンという現代最高峰の物理学者が監修してるだけに、学理的に突っ込むのは無粋というか釈迦に説法というか、これに納得感を持てないのであれば、その人は、「向かない」くらいな完成度。しかしそこに、もうひとつオカルトを導入することで、映画の画面も、物語も、驚異的な美しさを得ます。
ぼくは実は、実際に観る迄はあまり期待していなかった。絶賛されている予告編も、そんなに嵌らなかった。これで感動的な作品になるのだろうか…と訝ってました。それが本編で決定的に違うのは、クーパーの娘さんが、父親に良く似た性格で、冒険心に溢れ、おいそれと周囲に併合せず、最後迄諦めない強さを持っている様が明確に語られていたからです。トレーラーの時間ではそこはとてもあっさりとしているけれど、実はここは、最も重要なポイントです。
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ゴーンガールの特徴は。
これは、地球上のよくある街で起こるよくある結婚と疲弊と、そこから極端へと向かうドラマです。半分もいかないうちに、謎が解けるしかない展開。だってここの謎を引っ張って最後10分で説明なんて無理だし。しかしそこからも、強盗やら殺人やら想い付きにしては周到に想えるペテンがどどどどっと展開される。
音楽が、やけに暗い。いつも当blogで述べてますが、映画にとって音楽は本当に重要というか、映画の印象の50%は音楽だとさえぼくには想えるくらいなので、この暗さはとても不思議です。何故不思議かというと、映画全体を覆い尽くす底意地の悪さに対して、もっと違った表情の音楽がついていたら、例えば故バーナード・ハーマンだったら、実はブラック・コメディーでもあるこの映画の救い難さを更に強調出来た。
「どうです?楽しいお話でしょう?でも、あなたにも、そうあなたにも、身に覚えがあるんじゃないですか?」
そんなヒッチコックの声が聞こえそうな。しかしフィンチャー監督が選んだのはトレント・レズナー。Nine inch nailsのフロントマンであったトレントは、相変わらずの何処か優しげなノイズを立ててる。ここにぼくは実は、ゴーンガールという稀代に作家的な作品の、盲点があると踏んでいます。これは後でまた述べますね。
心理戦と時間軸の編集に力点が加重され、比較的ストーリーには無理があります。殺人犯をそれと知りながら追求しない警察と弁護士。比較的簡単に証拠が揃いそうなものなのに、寧ろ死体もないのに殺人と想い込まされるところを見ると、この作品世界では法秩序は脆弱なのかも。それはマスコミのあり方にも明確で、これが米国の現実だとするならば(多分そう)、あのワイドショー風な番組も、それをきゃあきゃあ喜び騒ぐ視聴者も、本当に最低なもの。それを一点突破するニックの作戦なき作戦も、潔く、且つもの悲しい。
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ストーリーと演出と編集は、ひたすら観客に、感想と推測を求めてきます。或る意味それは「良い映画」の条件でもあるのですが(全くない「爽快なだけの映画」もいいけど)、ゴーンガールは、徹底している。暴力的、とさえ想えます。「エンターテイメント」という雑誌の表紙という、意味深なシチュエーション、タイトルの解釈から、次第に陥れられるニックの描写、カップルを取り巻く地域社会、マスコミ、異世界の犯罪者達や富豪、共感や不快感はほぼ同時に自分自身にも向かいます。あれは、私達のこと?という具合に。

かたやSF。かたや倦怠カップル。しかし、SFの方は怪獣も宇宙人も出ないし家族の絆の話でありながら、倦怠カップルは、誰にでも想い当たるふしを用意しながら、どんどん極端でサイコ的な展開になっている。ぼくがよく喩えに使うのは、
「アル・パチーノは、一寸癖が強い人物が案外平凡な感性を持っているというのが似合う。ダスティン・ホフマンは、平凡な人物が異常性に巻き込まれるのが似合う」
というパターンです。SFが普遍的な家族の絆を肯定的に描き、倦怠カップルが絆の耐久力とその顛末を描く。似た構図になってると想うんです。真逆のアプローチで、マクロからミクロへ。

ハンス・ジマーという映画音楽の作家は、職人的に沢山の音楽を、信じ難い量の映画音楽を手掛けています。それでも比較的ヒューマンなアクションものが多く(インターステラ―も一応ここではその枠で)、日本では「料理の鉄人」こと「バックドラフト」がつとに知られています。インターステラ―ではどんなアプローチをしているか振り返ると、メインタイトルらしき音楽は、所謂白玉、それも相当に白い…。ロングトーン。但しその中で、メジャーからマイナーへをゆっくりと行き来するアプローチは、非常に映画に貢献している。この人の場合、ハリウッド的畳み掛けの代表格でもあるのですが、今回の低音の強調ぶりは個人的には忍耐の限界すれすれでした。体調悪くなったもん。しかし、このタイトル曲の白玉が描き出す世界は見事なものでした。宇宙に似合う、ひんやりとした音楽。
に対して、ゴーンガールは。えーと…。まず監督の発注が、
「偽りのない気持ちが表向きだけのような音楽を」
というものだったと伝わっています。勿論この言葉だけではどんな解釈も出来ます。ただその相手は、トレント・レズナーだったら、映画音楽職人の音楽が出てくる筈はない。ノイジーであったり、アルペジオであったり、彼らしい音楽の中で映画が展開される。そこには、おかしみとか軽妙さは一切なく、映画のブラックさを強調し、コメディーを封印してしまいます。推測ですが、ディヴィッド・フィンチャー監督は、大雑把な依頼をしてどんなものが出てくるのか楽しみにするタイプです。だから膨大な撮影リテイクをし、何かハプニングが加わるのを待っている。では音楽はどうか。どちらにしても採用は彼がジャッジするので、この音楽が相応しいと判断はされている。結果どうなるかというと、重厚で、シリアスな映画になります。観終わった観客は、暫くの間映画に憑依される。
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完全に非日常なSFは、ぼくに暖かい感動を残したんですね。それだけでなく、日常に立ち向かうかりそめの勇気をくれる。倦怠カップルのミステリーは、くっきりとした重たいテーマを残したから、観客は皆暫く、場面を解釈し、心理を解釈し、背筋を寒くする。で、よく聞く意見が、カップルでのデートには向かない…と。しかし、この監督は軽妙さを排した為、汎用性がない、閉じた映画世界を作ってしまった。ぼくね、これを観たカップルは別に影響されないような気がするんです。他の人がどうかは良く解らない。少なくともぼくはカップルで観たけれど、何ていうか…突き放してしまったんです、こちら側が。もしも音楽が違う形をしていたら、逆に突き付けられてたんじゃないか。憑依されても呪われまではしなかったぼくは、この作品は本来呪いであるべきなんじゃない?と想った。


視点がこんな私ですので、変な結論になってしまう。インターステラ―はSFだけれど単なる娯楽作品を超えた感動を突き付ける。ゴーンガールは倦怠カップルの顛末でシリアスだけど、娯楽として流せる秀逸な映画。
こうして結論に辿り着くと、かなり強引だよなー。殆どこんな観方をする人はいないと想われますが、でも間違いなくこの2人、現代の映画界を監督の看板で背負っている。
で、それにふさわしい、どちらも、それぞれにユニークな背景を持った傑作でした。

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Commented by こぞ at 2015-04-11 23:45 x
遅ればせながらインターステラーとゴーン・ガール、レンタルBDで本日2本立てで鑑賞いたしました。

『対決・VS』という観点ならば、隠れエイリアン3ファンのボクはゴーンガールに軍配を上げてしまいます。
脚本・演出・キャスティング、すべてよくできた作品です。
確かに音楽効果でヘヴィでシリアスな映画になっていますが、これコメディですよね。限りなくホラー寄りの。

対する『インターステラー』めちゃ面白いけど長すぎ!
でも何といってもマシューマコノヒー。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のトンデモ上司と同じ人とは思えません。宇宙空間でもラリって鼻歌歌いださなくてよかった。

先週観た『イコライザー』は突っ込みどころ満載ながらそれを善しとさせる強引さで大満足。

最近見た3本は新作レンタル料金のモトは十分とらせていただきました。
Commented by こぞ at 2015-04-12 22:34 x
あと、わざわざ人間が命がけで探査に行かなくても、あの塗り壁ロボットたちに任せりゃいいのに・・・ って思い始めたらね。
SFに突っ込んじゃいけないのはわかってるんだけどね。
Commented by momayucue at 2015-04-13 00:53
こぞさまどもども。
最近、物語と言うものについて、ちと考えたことがあります。
突っ込みはぼくは原則どんなものにもしない主義なんだけど、言い出したら、
普通人間は、拳銃を見ただけで、こちらを向いてようが向いてまいが、
暴発とか色々考えて、動きが取れなくなるんです。
素人ならもう絶対。アメリカだってそう。
つまりアクションなんてもう全くリアリティない。
では、リアリティは何に宿るか。
です。近いうちに書いてみます。

取り敢えず、偽造で正当防衛は無理でしょう。あの監視カメラはタイムスタンプが必ずあるから、殺された男が彼女に暴力をふるっていた時間に家から出かけて帰ってないのはすぐにわかる。つまり、そう言う世界観の中で物語が動くしかない。反面、モノリス風ロボットだけで足りるかと言うと、あの世界では生身の人間は絶対に行くね。だって種の生存がかかってる時に無人探査機だけで任せる理由がないもの。全人類が危機だったら人命を優先するのは理由にならない。

では、本当の物語とは何か。
人は、一寸頭をぶつけたら死んでしまう。即死は稀だ。
人は、正気を失ったことをする。非道徳的なことや、怒りに任せてしまうことや、偽善や、無茶な追い越し運転や。
by momayucue | 2015-01-10 00:04 | もーしょんぴくちゃー | Comments(3)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


by momayucue