もーしょんぴくちゃー

インターステラ―に関する孤独な話

d0041508_0551622.jpg

ひとつ、ずっと考えていたのに、1度blogに書く前にメモまで取ってたのに、書きそびれた…というか忘れてたことがありました。

小松左京さんの小説に、「サテライト・オペレーション」という短編があります。細かな設定を省きますが、数名の宇宙ステーション・クルーに、謎の行方不明者が出て、やがて、彼等は死んでおらず、どうやら吸血鬼になっているようだ、という話。しかしそれは彼等のミッションに含まれていて、本来ならそれにより寿命をかせげる筈という、当初から計画された事だった。主人公はそれを知り、既に吸血鬼になった仲間が知性を維持していることから、恐れながらも合流しようとするも、誤って彼等を殺してしまう。
最後に何が起こるかというと、何も起こらない。彼は、宇宙ステーションで、永遠にたった独りになる。

リアルな話として、南極の観測隊は、少数の人間が長期に渡り隔絶された生活を送ることから、精神的な強さを要求されます。小説「ロビンソン・クルーソー」でのテーマも、文明への警鐘とかまああるものの、彼が「孤独」と闘う姿だったと想います。サバイバル技術の不足も、協力者がないことも、食も、そして言葉本来の意味においても「孤独」が、ロビンソンの折り合うべき相手でした。

「インターステラ―」は、人類の存亡とその形、家族、エンターテイメント史上最も緻密な宇宙物理学、人間の原罪、等のテーマが盛り込まれた、力作です。ぼくは映画の突っ込み所捜しがどうも嫌いで、相手が事実でもないのに矛盾点とか過不足を見付けたりしてきゃあきゃあ言うのは避けてます。他人がするのは仕方がないとして(そういうのも愉しみの形だと想うし)、それを物語設計上の重大なミスとは想いません。寧ろ、自分の弱点として、強く感じたことがあったんです。
ここ迄くればもう言う迄もなく、それは「孤独」についてです。

科学者であり且つあらゆるピンチをくぐり抜けてきた、先行部隊の各人と、後続のクーパー達。彼等のプロジェクトは、孤独を全く恐れていない前提になっています。佳境に入った頃、或る人物が言い訳をしながら事実上孤独から崩れていってしまうのですが、基本的に彼等は、独りで生き延びてくことになっています。
例えばもしもこれが長期に渡る2名体制のプロジェクトであったら、対立とか、恋愛とか、若干のトラブルも予想される。数名であっても、派閥とか権力闘争はあり得る。しかし、独りであることと、未来が微塵も見通せない恐怖は想像を絶する。小説でも漫画でも歌の文句でもいいですが、つまるところアートはコミュニケーションを拠り所にしている。だいたいこの映画だって、人類の存亡と家族の絆におけるコミュニティですし。ただその為に、あまりにも僅かな可能性の為に、彼等はそれぞれ、孤独にさらされる訳でしょう。
その時の糧は、何だろう。希望、だろうか。
ミッションに依る、ある種の麻痺、だろうか。

人間は、完全なる孤独と、ディスコミュニケーションと、どちらが辛いだろうか。
またしても個人的な体験です。N.Y.での不慣れな英語での暮らしや、お金もなく殆どバイトと自炊だった学生の頃、あの孤独は、かなり辛いと想っていたけれど、今となってはぬるいぬるい。所詮青春期の「女の子と付き合いてえ!」、に近いもの。ニューヨークは、英語になじむ迄は本当に恐怖だったけど、その後に押し寄せて来たのは、孤独でした。しかしこんなものは、インターステラーに比べたら何でもありません。

先行部隊は地球での時間は兎も角、場所によっては数年間、誰も来ないかも知れない世界にたった独りで生きていかなくてはいけない。逆もあったけど…ほんの一服しただけで地球の10年を浪費することも。いずれにしても、責任が、孤独を強要するわけです。アン・ハザウェイ扮するアメリア博士は、クーパーと連れ立って旅を続ける筈が、クーパーは独り、ほぼ自殺に近い形でブラックホールを通り、地球方向を目指そうとする。そこでね、ラストに、本当のラストに、またアメリア博士が出てくるんだけど、彼女の表情が、明るいんです。しかも彼女の目指した最後の惑星は、恋人が向かった筈の星でした。
今彼女は、独りなのか、独りじゃないのか、どちらにしても、希望を失っていない。
(この映画で「今」っていつだかめっちゃ判り難いところも孤独だ)

そんな訳で、登場人物の精神的な強さは、観ているぼくを徹底的に追い詰めました。人間は、風邪もひくし癌にもなるしクモ膜下出血にもなる。どんな風にあっさり倒れてしまうか解らない。それでもいつか独りきりで旅をしなくてはいけない。孤独にも「程度」ってものがあります。かつて誰も到達したことのない距離と次元でのそれ。しかし、「ゴーンガール」での倦怠カップルの近くて遠い孤独に対し、「インターステラ―」の、なんと前向きな、希望に溢れた孤独でしょう。とてもぼくには無理だ、と想うわけです。

SFだからなのか単純に格なのか、「インターステラ―」は「ゴーンガール」に高評価を譲っている様子があります。ここはぼく自身の孤独な話ですが、きっちりと映画の方程式をこなした「ゴーンガール」は、ヒッチコックの幾つかの作品のような、行き届いた映画然とした佇まいなのに、「インターステラ―」は逆で、フィルムに拘り、映写スタイルに拘り、CGをなるべく排し本当にキャメラの前で起こっていることを撮影することに拘っていながら、70年代迄の様な規格外の夢を詰め込んで、映画の枠を突破し、こちらに訴えてくる。

そんな風に感じることさえ、孤独な感想なんだよな…。



[PR]
by momayucue | 2015-01-17 00:55 | もーしょんぴくちゃー | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


by momayucue
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30