もーしょんぴくちゃー

スター・ウォーズ現象に興味出てきた

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2015年はかなり映画が充実した年だったように想います。
本当はもっともっとアート系も観たいのですが、なかなかそうも行かない中、「神々のたそがれ」もう強烈過ぎる位に泥塗れ汚物塗れで、カラーじゃなくてつくづくよかったけれど、映画の強度としては、まるで60年代の名作を名画座で観ているかのような重量感。
そして所謂娯楽映画の範疇になるものでも、内輪では他の流行語なんて全く眼中に無くなる位に流行った、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」。あの世界が別な時空に存在し、あんなドラマがあったと想わせる程の実在感と美しさと哀切が感じられました。V8!、ウィットネスミー!、ワラ・ラヴリー・ディッ!
"John Wick"でのキアヌ・リーブスは、新しいシリーズものヒーローを予感させるに充分な、アクションとひたすら殺しまくりなダークさが、犬を連れた姿と共に印象的でした。
所謂大作、ヒットしないと困る作品が目白押しだった2015年。007シリーズ最新作。ターミネーターでのシュワルツネガー復活。ミッション・インポシブルでのトム・クルーズ劇場。ジュラシック・ワールド。例年なら目玉になる大作が、横並びに想える程。ただ、こうして書き連ねても、巨費の投じられた娯楽作品は、シリーズ最新作とか、リブートとかね、要するに、俳優で映画を観るよりも、企画が人を呼べるかどうかになってきています。列挙した中でもJohn Wickはこれからの作品ではありますが、予算規模が全く違う。それは、勿論マーケットが違うからです。中国やインドでの動員が見込めるかどうかによって、費用が大きく変わるのが最近の事情のようです。キング・コングの興行的な大敗退…っていうかお金かけ過ぎた…もそうだけど、ヒーローものだとグッズ販売が見込めるじゃないですか。だから、最も安全なのは、SFでヒーローものでキャラクターが沢山出せて売れて、布石にもなる。

何しろ特段映画ファンでもなかったところからこうしてblogにも映画のことを書き始めたので、スター・ウォーズにも全く詳しくないですし、子供も楽しめるお気楽な映画だと想ってたんです。いえ、正確には、今もそんな認識。ただ、最近ふとしたきっかけで、俄然興味が湧いてきたんです。

そのきっかけですが、「ピープル.vs.ジョージ・ルーカス」というドキュメンタリー。記録映像と、批評家や有名ファンへの取材で構成された、要するに、スター・ウォーズの熱烈なファンと、生みの親であるジョージ・ルーカスの愛憎入り混じる関係の話です。真っ当な映画作家であるルーカスは、自分の作品を配給会社に無断で編集されることを避けようとルーカス・フィルムという独立プロダクションを製作し、全てを自分で管理出来るようにして、スター・ウォーズの製作を始めた。当初はそれで全てがうまくいっていました。作者とファンの蜜月です。
それが、やがてちぐはぐになる。その時期を全くオンタイムで観ていないのですが、シリーズ4作目が作られるということになり、全世界のSWオタク達が、予告編を観た段階で空に浮きそうな程期待している中、…見事にすべった。

私が知っているスター・ウォーズの成り立ちは、
・全9エピソードからなる(と最初から決まっていた)
・エピソード4~6迄が先に作られて(旧三部作)、その後、そのプロローグに至る迄のエピソード1~3が出来た。
・ルーク・スカイウォーカーと彼を巡るジェダイなるエスパー血族との、精神修行の物語。
てな感じでした。
まあこの程度の筋の追い方だと、そりゃあ子供向けな代物ですよね。しかし、物語の中には、幾つもの仕掛けがある。
・ルークとダースベイダーの関係。
・ハン・ソロとレイア姫とルークのバランス。
・ダースベイダーがダースベイダーになった背景。
・全編を通して出てくるドロイド。
・管理社会。
・ナチスや時代背景に呼応したヒールと、ムラビトの勝利。
と、深読みは幾らでも出来るフックが散りばめられているけれど、所詮は子供向けSF。勧善懲悪だったり、良心が残っていたりと、都合よく軽く作られている。

ところで、ジョージ・ルーカスという人物は、そんなシンプルな人物だろうか。

当然、ひとりの人間として屈折と才能と意志と自我とを持ち、家族や隣人との折り合いをつけたりしながら、シンプルな欲望を複雑に運転することになります。誰しも、社会ではシンプルではいられない。そしてそれが、「ピープル.vs.ジョージ・ルーカス」に現れる、ファンとの衝突です。

殆どSWの全権を握ったルーカスは、(恐らくジュラシック・パークを観て)コンピューターによる動画生成を現実的なものと判断しエピソードを1から作り出すことにしたようです。着ぐるみや、コマ撮りのマペットアニメーションでは、彼の目指す有機的な動作が表現出来なかった…のか、寧ろ新しい技術を知り士気が上がったのか、兎に角、そうなった。

見事にすべった理由は、幾つかの新キャラクターがウケなかった、アナキンがダースベイダーになる着地点をどうしても説明せざるを得ず、不要に重く暗くなったし強引でもあった、等々でしょうか。受け売り情報からの予想ですけれど。もうひとつ、CGキャラクターはかぶりものよりも遥かに平面的だったのが個人的には気になります。
ただ、ルーカスが全勢力を注いで作ったのは、メイキング等から間違いない。もっと好かれる筈だった新キャラクターがコテンパンに嫌われて気の毒です。あれ程の商材を作ったルーカスでさえ、しくじることはあるんです。ジャージャー・ピンクスが体調35cmだったら違ったかもなのにね。
可愛さ余って憎さ百倍とはよく言ったもの。全権を握るジョージ・ルーカスの作品へのエディットは、ファン眼線からすると度を超え始める。撃ち合いでどっちが先に撃ったかを変えてしまったり、キャラクター形成に影響が少なくないことも含まれます。SWを偏愛しているファンは、
「僕達のスター・ウォーズを返せ!」
と言う事態になった。大切なSWを切り刻むジョージ・ルーカスは、敵になる。

私自身が、音楽やら何やらをひっそりとクリエイトしますし、立場としては、ファンに支持されようが嫌われようが、クリエイターは自分の好きな作品を作り、過去の気に入らない作品を修正し、時には破棄したりしていい。その権利はある。ただ、他人の記憶を上書きは出来ないでしょう。ファンも同様で、自分の愛する作品を自分の中で守っていい。但し、作者に自分向けの作品を迫る権利はない。と、想っています。誰もが我儘でいい。責任なんてない。ファンが喜ぶだけのものを作ってるなんて、奴隷だ。ましてや、調べてみると諸説出てくるように、SWとは、ジョージ・ルーカスの心的変遷を物語でもある。アメリカの何もない地方都市で、父親の家業を継ぐことを求められ、反撥した少年時代。自由と、外の世界を切望したいかにも閉鎖的な風土。何か特別な存在になりたいという夢。誰もがそうするように、彼も、自分の作品に自分を作品化したわけです。
しかし、サービスやクリエイティブは、一方で水商売と言うか、誰かがお金を払ってくれるから、成立する。場合によっては、巨大産業となった作品(まさしくスター・ウォーズそのものだ)によって派生した関連会社の利益と雇用を守る為、保守的になることもある。
経営を拡大しながら作品を守る為に、非常に陥り易い(と言うのも少し後ろめたい)着地は、作品の目的を「お客さまの為のもの」と決定してそれを目指すこと。CSがESにする訳です。それはそれであるべき姿、とも言える。どう応えるかという中に「期待を裏切る」というのも含まれるし、匙加減も様々。期待を気にしないクリエイターにもなれるでしょうが、どちらにしろその期待とは、自身の中にあるでしょう。大丈夫、これで世に問おう…。そしてコケることが人生だ。

まさかSWがそんなことになっているとは知らなかった。

イエロー・マジック・オーケストラは、まさかあれ程の現象になるとは想わず、非常にマニアックなところから始まりました。しかし、いつの間にか彼等のコンセプトは知的引用が多過ぎてファンも頭でっかちになり、その結果社会現象となっていく。一寸集まって活動し、成果が出たら解散でも良かったのに、解散も大ごとになって、身動きが取れない。3年程度で区切る筈のバンドが、6年になり、おかげでバンドとしてのありきたりな葛藤を抱え、こんにちでは再結成迄する事態。
ビートルズにしても、ファンの妄想の中では仲たがいさえ耐えられない(或いは、仲たがいさえ美しい)。SWには、もっと熱烈な対立がありました。単純な「キッズ・ムービー(本人談)」な分、夢を壊すという当然の選択肢がファンに容認されない。

「ピープル.vs.ジョージ・ルーカス」に立ち現れたモデルは、様々なところに見受けられます。「サイド・バイ・サイド~フィルムからデジタルへ」というドキュメンタリーでは、キアヌ・リーブスがガイドになって、現在最も有名な映画監督達や、撮影監督、映像技術者やメーカー迄も取材し、100年の歴史を持つフィルムによる映画製作のノウハウが、デジタルの台頭により過度期を示していることを語っています。フィルム派VSデジタル派。利便性と自由度VS緊張感と美しさ。議論よりも、その都度の選択肢として関わるしかないものを、映画の独裁者たる監督が懸命に拘る。音楽をやっている私も、小説を書いている方も、渾身の1フレーズがろくに見もしない他人に、
「こんなんじゃ意味わかんないんじゃない?」
「地味だなあ」
「売れない」
ばっさりやられます。粘って翻意を待つ時と、腑に落ちる時と、クリエイターの意地をかけて双方が議論する時とあります。自分の想い通りにやっても、やらなくても、時には作品が怪物になることがある。作品どころか人生が怪物になることも。今迄で最悪の事件は、ジョン・レノンです。彼を射殺したマーク・チャップマンは、ジョンとヨーコの久々のアルバム、「ダブル・ファンタジー」を、商業主義に堕ちたとして、自分の幻想を護る為に撃ったと自供している説を聞きました。真偽は判らない。反体制のアイコンであるジョン・レノンは、国家公安を脅かす存在としてCIAに暗殺されたのだ、という陰謀論もある程。CIAやFBIが動向をマークするのは有り得るとしても、暗殺って、また凄い。ともあれマーク・チャップマンの自供を信じるとしたら、それは完全にいかれたファン心理だ。世の中は、期待と不安と杞憂と失望に溢れている。

しかし、失望した時に、それを対象のせいにしても解決はしないですよね。

ジョージ・ルーカスは自らをアスペルガー症候群と告白しています。アスペルガー症候群とは或る種の先天的なコミュニケーション障害で、人口の1%とも言われています。アナキンがダースベイダーになる迄の3部作を観て、何処かの学者が、
「アナキンの成長過程が典型的アスペルガー症候群で、適切にコミュニケーションを取っていれば防げたのに…」
と真剣に語っている文章を読んだことがありますが、その学者の入れ込みもファン心理が度を超えているものの、ことによるとルーカスにしてみたら、我が意を得たりなのかも知れないです。行き詰まり、傲慢で天才肌な面と他人の顔色を気にやんで自由に行動出来ずに追い詰められていく様子が、ルーカスの表情には滲んでいる(気がする)。
天才にしても秀才にしても、たまたま大成功をしてしまった人間にしても、もしかすると宝くじが当たっただけでも、人間は万能感と承認欲求に押し潰されてしまうものなのかも。そして、その万能感も、承認欲求も、全て、他社との関わりの中での事件であり、そういう場合の他者とは、狂ったように残忍なものです。





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by momayucue | 2016-01-20 22:23 | もーしょんぴくちゃー | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


by momayucue
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