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今日のはげみ

弱者のシステム、強者の論理、について。

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社会全体の富、という言葉があるそうです。
そんなもの、どうやって計るのか、どうやって分配するのか、分配がどういう状態なのか、そして、社会全体が富んだ時、富んでいないところがあるのか。それとも、そんな定量的な言葉なんてなくて、たまたま誰かが言っただけなのか。

ベンチャーキャピタル「デフタ・パートナーズ」の原丈人さんは、
「有望な企業や個人に投資して、随分大勢の億万長者を生んできたけれど、金持ちになると矢鱈大きな家に住んで、掃除出来なくて家政婦を雇って、家に誰かがいるから落ち着かない。彼等の殆どが幸せそうに見えないんです」
と言ってます。
富裕層、世界中のごくごく僅かな富裕層が、世界中の富を管理し、個人の裁量でかろうじて分配しているという時代。それは、社会全体の富とは言わない。視野の狭い利害に過ぎないです。所謂ハンディキャップでなくても弱者は様々な形で存在し、強者の不幸なままの富を掠め取っている構造。

比較的最近、とある有名人が、
「働けない人は働かなくてもいい。働ける人の生産性を下げるだけだ。彼等が働かないことによって社会全体の富が増し、生活保護が増える可能性に、馬鹿は気付いていない」
という趣旨の発言をしていました。つまんで見ただけなので言いたいことはもう少し違うのかも知れないけれど、役に立たない人間は消費と蕩尽に生きろ、ということなのかな。

高橋源一郎という、一応無頼派ということになるのかな、小説家がいます。何故か矢鱈モテるし、かなり過激な論客と言っていいと想います。彼が、「弱さ」という価値について、到底私には出来ない知力で、実に感動的なことを述べている。曰く、
「次男が障害を持って、『うめくことしかままならないこの子を、受け止めるのは、守るのは、自分だけの仕事だ』と感じた。それは、私が彼に教えられた圧倒的な肯定感だ」
ということになると想います。

そのことと、弱者が社会全体の富というものに関与出来ないという視点とは、かなり多くの食い違いがあります。

弱いものはただ弱いだけでそのものの半径数メートルを肯定している。これは私には、成熟や豊かさの着地すべき場所に想えるけれど、社会全体の富というふわふわとした概念は、もっとリーチが長く、株主という生産しない人達に富を与え、富めるものが分配する論理になっている。弱者も、強者も、果たしてシステムと呼べるだろうか。半径数メートルにおける実効性は、良い意味で暴力的な愛情で、すぐそこに彼等がいたら誰かが庇いだすでしょう。私だってそうします。しかし、その弱者のシステムは、全体を覆うひとつの傘にはならない。では、強者の経済は、機能しているかどうか。幾つかの視点で、否定出来る。格差の極端さは増長するばかりなこと。社会全体に、入らない世界があること。意識下に増加するものがあること。です。増加するもの、とは、差別意識、選民意識、ひたすら自己肯定と自己否定です。

強くなれ、と誰もが言う。私は、ある部分に於いては強い部類の人種であるし、より強くなりたいとも、勝ちたいとも、想う。しかし一方で、勝ち負けを嫌悪している面もある。その理由は、敗者が出るからだ。いや、運動会でビリになるのがシステムとして否定されるべきだと言いたいのではなくて、ビリになっても、何処かで笑っていられて誰かに愛されるべきだと、強く強く想う。しかし富だとか経済だとかストックの世界では、それは疎みの階層だ。ビジネスに失敗した人間を救済するシステムはあっても、ビジネスに参画すら出来ない層へのシステムに関心がなく、一寸(いっすん)の虫に与えられるのは、五分の魂だけで、常に、私の知る限り常に、社会全体の富の外側にいる。

そうです、社会全体の富なんて、全然全体じゃない。

弱者の半径システムは、地方や、小さなコミュニティや、家族の中に見ることが出来ます。それは、全体という社会ではいつも替えが利き、見捨てられ、強くなることを目指すしかない。その中でも、強くならないものや、誰かの強さに縋って生きる暴力に似た愛情のようなものが、いつもある。弱さを愛したいと想うんです。

「バカは気付かない。弱者は働くな」
と言い放ったその有名人でさえ、眼の前の弱者を庇わないとバツが悪いというそのこと自体が有するパワーに、たったひとつの普遍的システムがある。親子に、家族に、あらゆる愛に、理由なんて、本当はないのだ。無くても機能する普遍的システムとして、私は全ての弱さを肯定し、支持し、傅きます。

そして。

弱者にも、そんな暴力的なパワーがあることに誰もが傅き、そのシステム的なパワーを構築する為に、マナーとして、馬鹿呼ばわりはいけない。バカって言う奴がバカなんですよ。
時々想うんです。
「王様は裸だよ」
と指摘した無垢な子供は、知的にはやっぱり子供だと。
王様は悪人だったかどうか、暴君だったかどうか、私は記憶に無いし関心もないけれど、本来は、王様を騙して裸の行進をさせた詐欺師こそが最低だ。そういう人物が結果的に圧政を増長させるのだし、第一あのシチュエーションで、王様を笑う資格が誰にある?

「ぼくは、ぼくの弱さが好きなんだ」


by momayucue | 2016-02-20 23:43 | 今日のはげみ | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


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