もーしょんぴくちゃー

リップヴァンウィンクルの花嫁/岩井俊二と黒木華の壮絶な幸福論

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非常に長い映画であることと、所謂シネコンクラスでは上映していないことと、ぼく自身の健康上の問題があったことと、同行してくれる人もいなくて(けちくさくてすまん)、なかなかチャンスが無かった、「リップヴァンウィンクルの花嫁」を、殆ど決死の覚悟で、観てきました。

どういう訳か巷に殆ど情報が無く、いったいどんなストーリーなのか、事前には皆目見当がつかない。ただ、かなりキツイ展開でありながら最後に希望が見えるとか何とか…。いやそれじゃわかんないから…。
それでも、岩井俊二という監督が、ぼくはこの作品以前から、ずっと気になってました。
同年齢であることや、映像も音楽も、何処かを淡くしてしまう気質とか、色々。

リップヴァンウィンクルとは、アメリカに伝わる浦島太郎的なお話。村人のリップヴァンウィンクルは或る日山に入り、うとうとしてそのまま眠ってしまう。目が覚めると、何十年も過ぎていて、村に帰ったら家族もみんな他界してて、かろうじて存命だった娘さんと暮らす…という、まあそれだけではないでしょうけど、そんな方向の話。
この固有名詞は、日本ではつとに、松田優作の「野獣死すべし」にちらっと出てくるので有名。

クラムボン、カムパネルラ等、宮澤賢治由来の名前といい、お伽噺からの引用が多いんだろうな、と想われます。

皆川七海さん。全ての川は七つの海にそそぐ、という名前です。劇中ではそんな説明はないけれど、名前は既に切なく悲劇的で且つ、…
且つ、希望がある。

ここから先があらすじです。ネタバレ苦手な人は読まないでね。

宮澤賢治(クラムボン、カムパネルラ)の世界と、ガンダム(アムロ、ランバラル、アズナブル)の世界と、アメリカ民話(リップヴァンウィンクル)の世界が、交錯している時空。
引っ込み思案の皆川七海は、ネットで恋人をみつけ、結婚した。ささやかだし退屈だし、棘にさされることも時にはあるけれど、まあまあ、幸せ。その棘のひとつには、彼女には、結婚式に来てくれる親戚や友人が、とても少ないこと。結納で逢った旦那さんのご両親も、何処か棘を感じるし、憂鬱だ。
両親は離婚し、友達も少ない。そして彼女は、奇妙なサービス業の男を知り、彼に、仕事を依頼する。安室行枡、アムロイキマスという名前の、若く、眼付きの鋭い、胡散臭い男は、ピンチを切り抜けて報酬を得るのが生業。例えば、結婚式に出席するサクラのチームを演出すること(これが七海の披露宴の仕事)。素行調査。物語が進むうちに、裏の顔もあり、どうやら七海に固執する何か企みがあるらしいことがわかる。
七海は、実に小さな陰謀によって離婚に追い込まれ、何もかも失ってしまう。協議離婚とかじゃない、バッグ3つに全て詰め込んで、雨の中追い出されるのだ。そうそう、七海の別れる夫役、華の無い顔も醸し出す首の辺りの寒さも重みの無い言葉も、完璧。演技に見えないなあ、おかげで誰も彼に想い入れしないだろう。
逃げ込んだビジネスホテルのルームメイクの仕事を得た七海。そこで、安室に再会出来た。彼にまず、かつて自分が依頼したような披露宴の偽出席者のアルバイトを斡旋され、次に、幽霊屋敷風な無人の豪邸で住み込みメイドという仕事を紹介される。ルームメイクの仕事を安室が辞めさせる手際も、慣れきっていて、笑っちゃう程胡散臭い。それから、何処かに不安な気配がありながらも緩やかな、メイドの暮らしが始まる。恐らく都心からそれ程離れてはいないのに、霞みの向こうにあるその豪邸は、いつ頃かのパーティーの散らかりがそのまま残っていて、有毒な水棲動物の水槽が幾つもあって、街のざわめきも無いしTVも音楽もない(ように見える)。ほんとに、軽井沢とかじゃないのなら幽霊屋敷のよう。

そこで、真白というもうひとりのメイドに出逢う。妙に濃いキャラの真白はついこないだ、披露宴バイトで意気投合した女性だ。そう、この長い長い映画は、真白と七海の物語だった。それが漸くわかる。

ぼくもそうだし、多くの人は、映画を大雑把に、理解する映画と、解釈する映画に分けてないだろうか。アクションものもパニックものもミステリーも恋愛モノも、だいたい、話は伝わってくるじゃないですか。多少変わっていても、理解するでしょう。あれが伏線でこうなって、あの表情はあれを物語っていて…、で、それがストーリーに直結している。ところが例えば「ファイト・クラブ」のような映画のエンディングは、その後どうなったかをめいめいが解釈しなくてはならない。なかなかうまく説明が出来ないんですが、「リップヴァンウィンクルの花嫁」は、場面として難解なところは殆どないんだけれど、解釈によって随分と捉え方が変わる。あれは、何故なんだろう。あそこは、いつからそうなったんだろう。どうして七海はそうなれたんだろう。安室は、何を想っていたのだろう。と、皆が解釈に向かう。正解がない。

Coccoの演じる真白は、まるで霊能者のようだった。圧倒的な善と引力。人を注目させ、その場の注目を集めてしまう。そういうタイプには2種類あって、いじめの中心人物になるタイプと、いじめられる側のタイプ。今の真白からはどちらに属していたかわからない。今は今、です。
綾野剛の安室、眼付きが常に次に何をするかわからない佇まい。終盤のお骨を届けるシーン、ぼくは彼が、
「ふざけんなくそばばぁ!」
とか言って暴れ出すのではないかと想った。身構えてた。しかし全く逆だった。暴れたのは暴れたんだけど…。
そして皆川七海。カメラの前に自分が映っているだけの女優とは、黒木華さんは、違うようだ。いつも自分から進むのだけれどその踏み出す一歩がとても小さい。ナイーブ過ぎる性格の現れ方は、全く演技に見えないし、踏み込んで言ってしまうと、ぼくには、他人事に想えない。ぼくだったら、声が小さくてマイクを出されたら、抵抗したら悪い気がして使ってしまうだろう。七海は、おれだわ。予告編でずっと私達が眼にしていた「白い猫のかんむり」は、何の比喩か。一番素朴な解釈が、「誰もが嘘をついていて、猫を被っていて、しかし、それは白い」ってことろかな。狸でも狐でもなく、猫。そして、白い。つまり誰もが、可愛らしく、しかし何かを偽っている。では、七海の偽りは…?多分怒りを発散出来なくて受け入れてその結果ただただ、泣いてる。泣いてしまうことによる、ギリギリの生存力。

ぼくは、戦争も、闘いも、誹謗中傷も、兎に角嫌い。選挙がある度に日本が戦争に近付いている気配に怯えて挙動不審になるし、芸能ニュースにいきり立つネットの書き込みを見ると、滅びてくれた方がいいと悲しくなる。度を超えて世の中のことに影響を受けてしまう。他人の悪意にすぐにやられる。逆に災害や事件性のあるトラブルには対処出来たりする。よっこらしょと事態を牽引し、判断材料を集め、リーダーに貢献出来る。問題は、意志どうしの関係だ。真白は、些細な好意にペイがあることに救われる。ペイが無かったら些細な好意もなくなってしまわないかが怖いのだと想う。七海は、無償でいいつもりなのに、どちらかと言うと支払う側の人間と自分を定義しているのに、何故か転がり込んでくる。まぐれ?なのか?そして安室は、清濁併せ呑む。

ネットの中、市井の人々の書き込みの類は、実に見事に噛みあっていない。そしてそれは、メールでも同じなんじゃないか、とも想う。何故噛み合わないかというと、誰かの言葉を一旦受け取った誰かが、自分の解釈以外に眼をくれなくなるから。純粋とも言えるし、非生産的な正義も少なくない。サービスや、親切は、タフなのだけれど、無私の奉仕なんて、いいものではない。

しかし、「存在」は、しても肯定される。疎んじられても、それは疎んじる側の都合でもあるので、ガチで気にしなくたっていい。目的だって何だって、無くても生きていくでしょう。人間なんて生き物なんだし、死ぬ理由なんて、そうそうない。真白が劇中で言っていたように、
「私独りいなくなってもわかんないよね」
だからこそ、小さな人間は小さいまま生きていいんだ。

リップヴァンウィンクルの花嫁、に感じたあの幸福感は、説明するのがとても難しくて、まだまだ、心のなかで独り言を繰り返してしまいそうです。

寂しさをいとおしめる物語でした。




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by momayucue | 2016-05-21 17:04 | もーしょんぴくちゃー | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


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