もーしょんぴくちゃー

ジャズ警察による、LA LA LAND = ランバダ説原論

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遂にこの映画に、決着をつける時が来ました。

どういういきさつか、世界中で皆が浮かれて絶賛している、 LA LA LAND と言うミュージカル。悪い映画とは想わないけれど、ダメな映画だとは言える(普通逆だし、ぼくも日によっては逆に言うかも)。
いきなり結論で反感かってしまいますが、監督のディミアン・チャゼル氏の心象風景に迄食い込んで八つ当りはしませんので、また、決定的な褒め方もしますので、お付き合いの程を。勘のいい方なら、blogのタイトルだけでわかっちゃうかもだけど。

ちゃんとした権威ある映画の批評家や評論家が、軒並み絶賛し、興業としても成功を収めている、LA LA LAND。一方で、ミュージカル通や、ジャズ警察(町山さん命名)からは辛く評価されています。ぼく自身はその「ジャズ警察」的な視点です。リズムでもサウンドでも、「物量にモノを言わせてるけどこれ酷くない?」と想っています。はっきり言うと、菊地成孔さんよりも辛辣。あの映画のサウンド・トラックからどの曲でもいい、ちゃんとしたギタリストやピアニストに渡して、ジャズで演奏してよと頼んだら、たちまちオリシナルよりも数段豊かなジャズが出現する。頼まれずにやる人がいるかどうかは微妙…なメロディーですが。

上記のように、ジャズ警察は言えてしまいますし、辛辣な批評をしたがる映画通の友人達があらゆる角度から、憲兵のように、野党だった頃の自民党のように、と学会のように、くさすことが出来てるのも事実だし、逆に一時はララランド・ファシズムみたいに文句を憚られる雰囲気が支配的だったのも事実だし。
そこでぼくは、双方丸く収めるどころか自分の中で決着をつけるだけの為に、こうして書き出しました。

ざっくりあらすじ。少年少女のように夢に文字通り夢中なセバスチャンとミア。不機嫌な出逢いをしながらも少しずつ打ち解け、恋に落ちる。未熟な夢は、少しずつ成長していくお互いの身に、やはり少しずつ、形を変え、叶っていく。そして恋は…。

みたいな感じです。たったこんだけ。


先ず一部で言われてた、「設定いつなんだよ」問題。
実在したクラブや名画座がもうとうにつぶれてるのに車が皆プリウスと今日的だったりして、考証警察に怒られてます。しかし、そこを、監督のチャゼル氏は、知らない訳ないです。つまりまあ、ムードとして採用してるだけ。実際、ロスに住んでる人の意見も、何となく懐かしくもイマドキでいい、と言ってましたから、うるさく言うのが不粋なのかも。SFに完璧な科学的根拠を求めたらタイムマシンが出た瞬間に白けないといけないことになる。だから、ここも白けるのはよしましょうよ、と。時代考証とか設定なんて、ノスタルジーに合目的的であればもう勝ちだ。これ、ジャズ警察の自分にも半分言ってます…。

主演の2人、ライアン・ゴズリングエマ・ストーンは頑張ってるけどダンサーには及ばない問題。
ではダンサーは俳優になれんの?とかもあるけど、どっちでもいいじゃん。ダンサーじゃないと踊っちゃいかんのか。素人だって、踊るような気持ち、駆け出したい気持ちにさせられるシーンは作れるし、そもそも現実の生活で、そういう気持ちになること、ある。カトリーヌ・ドヌーヴは ロシュフォールで凄いダンサーだったか?

おそらくこの映画は、否定するほどの出鱈目なつもりはないんですよ、合わないなら木戸銭は返せないけど帰っとくれ、な範囲なんじゃないでしょうか。ここらは。

ここから暫く、ジャズ警察談義になるので、予め謝っちゃいます。

音楽映画や、音楽を題材にしたTVドラマは沢山ありますよね。素晴らしい(DVD出るのか!)と想えるものは多くはないのですが、その警察っぷりの内訳は、
「天才ピアニストの役なのに、聴こえてるピアノが酷いか普通かだ。どうせあてぶりなのに、なんでまともな演奏を使えないんだ?」
です。今考えると、それなりのピアニストの演奏は許可も面倒でお高いのかも。でも、あまりに酷いとやっぱりヤだ。で、台詞だって、音楽に根差した会話をしてて欲しい。翻って、ララランドはこれジャズの話で、チャゼル監督は、ジャズを解ってやってる前提ですよね?
「いえ、私は挫折組ですし(これは事実で、チャゼルはジャズ学校でドラムを専攻し、プロにはなれないと諦めている)、ここでのジャズは男性のキャラ設定なだけです。合目的的であればいいんです」
と仰るなら、それ以上言えない、となりそうだけど、映画音楽は最低限、女性が恋に落ちる音楽なら、落ちるだけの曲を作曲しないとおかしい。要するに演出力を問われる。あの、たららららららぁーん、に、そんな可能性あるか?あれ、そこいらの鼻歌よりもノスタルジーに合目的的じゃないよね?そう想わない?いやあれ最高だろと想う人は、もっとありきたりなカクテル・バラードでいいからあの場面に当てはめてみて欲しい。
それでも、あの曲がいい?ジャズじゃなくてもいいから。やってみて欲しい。
夢見るピアニストの演奏場面に、興醒めさせないでくれ。たららららららぁーん、…。


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映画音楽全体のアレンジ、オーケストラの物量が増えて曲が盛り上がっていくシーンは幾つもある。しかし、カウンターメロディーも極端に貧弱だし、ハーモニーもろくすっぽない。アレンジされてるとはとても言いたくないレベル。ミュージカルとして、ルグランやバーンスタイン(位の巨匠しか知らないんですぼく)と比べるどころか、キュートな スイングガールズと比べても、本質や煌めきが欠けたものです。素人と言う呼び方は時には褒め言葉だけど、チャゼル監督も音楽のハーウィッツも、プロの音楽演出とぼくには今も想えない。

そして一応会話について。サックスがバンドを乗っ取る云々…。ジャズ警察はジャズと無関係なジャズ蘊蓄だと想うよねどうしても。背中開いて脳外科手術してるみたいな違和感だ。

さて、ここから次第にまた賛辞率が上がってくところ。

よくよく考えたら、この物語で「恋愛」は、飾りの話です。何故2人がすれ違い出したのかの描写は極端に凡庸でしょぼい。しょぼいと感じるかどうか、は個人差もあるでしょうけど。しかし、何故ミアに訪れたチャンスの時期にセバスチャンは距離を置くのか、には結構皆はてなが出たでしょう。更に、ミアは結婚し子供ももうけてるあたりを、チャゼル監督は、書く気がないみたい。
踏み込んだ言い方をすると、「書いてるつもりなのかも知れない」。つまり、ジャズが描けないように、恋愛の終わりを感じさせる才能が無いのかも知れない。いやいや、褒めてるんですって。セバスチャンとミアのお別れなんて、2人の夢に比べたら、重要じゃないんです。そうこれは、「夢と、夢にまつわる成長の物語」。ジャズも、恋も、添え物。だから、描き過ぎると夢の妨げになる。
果たしてこれがディミアン・チャゼルのサイコ的な演出なのかについては、踏み込むこともあまり気が進まないのでしませんが、異様に解り易いこの物語が、ぼく個人につきつけてくるのは、
「夢の為には、時に鈍感に生きていいのか?」
という、天才論に繋がる永年のぼくの命題です。

実は、かなりマッドなヤツなんだ、チャゼル。

いよいよ、このヒット映画のマイ核心に行きます!
ランバダ説です。

ランバダって、日本限定でなく世界中で流行りました。ラテン音楽としては、リズムもメロディーも、かなり弛くて、ラテンの愛好者に取ってはちと恥ずかしい存在のランバダですが、さながら歌謡曲のようなキャッチーさとノベリティー感で、各国で流行りました。ぼくらもばかにしながらも「どじょっこだーのー、ふなっこだーのー」とふざけて歌ってた。どう考えても楽しんでたんです。シンコペーションがどうとか、ティンバレスだなんだと文句つけてみても、あの「チャラッチャラーラー、チャラッチャラーラー」にレイプされてた。ミュージカル通、シネフィル、ジャズ警察が如何なる鋭い切っ先をもってしても、どんな素人にも伝わるあの解り易さの前には無力になる。ベルトリッチの苦悩よりも、ヴェンダースの孤独よりも、ランバダしてる映画の方が勝つ。そして、ランバダ的な感性はとてもとても大事だ。あのブームを仕掛けた人は恐らく、相当に戦略的だったろうし、代理コードもテンションコードも自覚的にすっ飛ばしたのだ。何かギョッとするパワーをぼくはランバダに感じ、敗北宣言せざるを得ない。同じように、どんな警察が小煩くパトロールして威嚇しても、結果的にはLA LA LANDは、あくまで結果的には、合目的的だったのだ。

さて、夢の為に何かを犠牲にし、結果的に夢は叶い、ほろ苦く人生に踏み出した。と言うストーリーを描くストーリーテラーに、アリバイ作りの意図は感じないですか?

才能なら、感じますか?
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by momayucue | 2017-03-17 16:31 | もーしょんぴくちゃー | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


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