小理屈「いやカタいのなんの」

生ける伝説エリッククラプトンはやがて……

3大ギタリスト、と言う言葉があります。私達の世代には、それは「ジェフ・ベック」「ジミー・ペイジ」「エリック・クラプトン」という英国人ギタリストの事でしたが、ある日この3大ギタリストの話を、私よりも若い人としていたら、
「布袋さんとね…」
と言われて、相当ショックを受けたことがありました。布袋寅泰さんも、自分がそう言われたと知ったら、一寸苦笑いだったろうな。
しかしこのエピソードも、既に10年前。今の若い人にとって、3大ギタリスト、という言葉があるのかどうか、それすらもよく判らないです(尤も私も普段、3大ギタリストなんて言葉は、グレートな3人!とか説明してしまいそうではある、まあ私の体現しているロックなんてその程度です。うっかり3大ギタリストと言う言葉を使って恥かきたくない人は、ちゃんとヤードバーズから検索して調べましょう)。
d0041508_2585030.jpgが、今日のお題は、エリック・クラプトンという人を通して、才能というものの在り方について、ずっと考えていたことを書いちゃおうかな。
残念ながら拙い私ごときの力量では、ごく僅かなキーワードしか扱えないのですが。

天才ブルースマン、生ける伝説。彼は70年代からそう呼ばれていました。ドラッグや、ジョージ・ハリスン夫妻との奇妙な友情(ご存知「レイラ」は、ジョージの当時の奥様への横恋慕の産物)、ボーカルに手を出してファンを混乱させた当時は、ボブディランのロック化過程での受難を想わせます。それら全ては「伝説」のなせる業。私は恥ずかしながら、彼のリーダー作を、たった1作、それも、「アンプラグド」しか持っていないのに、ホントにクラプトンを語る資格があるんだろうか。但し私の試みようとしているのは、エリック・クラプトンというファクターを通じての時代の音楽であり、時代の音楽を理解たらしめた彼のもうひとつの才能についてです。

「コカイン」という曲があります。80年代の彼の顔は、瞼の腫れぼったさ、左右が弛んだ顔つき、まさしくドラッグから何とか帰還ってはきたものの、その余韻は全身に残っているといった風情。しかし、ワイルドな3大ギタリストの1人の彼は、ロックスターらしく破天荒を纏っていただけで、実は非常に物静かで理性的な男ではないだろうか、と言う仮説を述べたいんです。

スティーブン・ビショップの1stにおける、人を食った4小節のソロは、BIshファンにはとても有名です。しかしそのソロで、クラプトンは何もしていないに等しい。何故彼のギターが?しかし確かに、まさしく本物のクラプトンをカットアップしてきた様な渋みがあります。最低限のノートに、チョーキング。ベスト盤収録の8小節バージョンも存在するものの、それは長いのに更に奥ゆかしいもの。おそらくクラプトンは、自分が参加することでBishのアルバムに注目が集まり、彼が生き残っていけるのを期待していたんじゃないか、と私は密かに勘繰ってます。実際その後、「哀愁マンハッタン」「ボウリング・イン・パリス」といったアルバムにも参加し続け、そればかりか、自らのアルバム「オーガスト」にて共作も果たしている。
マイケルジャクソンのアルバムでボツになった、YMOの「ビハインド・ザ・マスク」を自分のソロで取上げた(作詞はマイケル・ジャクソン)時は、高橋ユキヒロのドラムをフィルコリンズが、大村憲司のギターをクラプトンがコピーするという「逆輸出の逆輸入」が起こったり。
私はここでつまり、エリック・クラプトンというギタリストの、批評眼、音楽への献身、謙虚な態度で自分の有名性をもって奉仕する態度について、幾つかの例を挙げながら証明を試みているわけです。
プリンス。80年代後半に現れた、怪物。このイケテないちびのちょび髭ブラザーは、これまでの誰にもない凄まじい才能と、戦略を持っていた。クラプトンは彼をプッシュしてやまない。
「プリンスに限って、中間はない。憎むか愛するか、そのどちらかなんだ」
プリンスの周辺には有機的なギタリストは要らない。クラプトンが関与する余地はないはずなのに、敢えてそんな発言をしたのは、実はこの小男の脆弱性を見抜いて(当時そんなことが出来る人物はひとりもいなかった。私も『プリンス、天才!』とはしゃぐだけだった)、シーンの中での彼の立ち位置を見極め、結果としてさりげなくサポートする為だ。
坂本龍一が海外レーベルと最初に契約し、BeautyというソロアルバムをNYで作っていた際、
「俺に出来ることがあったらいつでも言ってくれ。ギターソロが欲しかったらいつでも呼んでくれ」
と協力を惜しまなかった。当然「ビハインド・ザ・マスク」の作者に敬意を表してのこと。沖縄音楽を看板に据えた当時の教授のアルバムには、スーパーなゲストが入る空間がなく、これは実現しなかったのですが、その後暫く、教授の発言にはクラプトンに関する言及が非常に多かった。断っておいてびびったのかも(^^;
スティービー・レイボーンという、やはり白人のブルース・ギタリスト。ブルースとは言ってもクラプトンとは随分と違う色合いを持った、このノリノリのギタリストは、恐らく自分が白人である事に違和感を持ったり、悩んだりすることは無かったのではないだろうか、それ程迄にレイボーンのスタイルは、突き抜けて明るいものだった。しかしクラプトンは、知性と客観性と謙虚さが、おいそれと音楽を突き抜けさせない。彼の有名な、そして多くの音楽家の支えにもなっている言葉がある。
「私は自分を、素晴らしいブルースマンだと想うこともある。全くダメだ、と想うこともある。そういうものなんだよ」
ロバートジョンソンから転がり、ストーンズ、Bish、YMO、プリンス、あらゆる音楽の中にブルースのエッセンスを、そして音楽そのもののエッセンスを見つけ、Pro Tools の合理性と自分の衝動を「折り合いをつける」と喝破したインテリ。ジョアン・ジルベルトにさえ率直に敬意を表明するセンス。それは既にオーソドックスなブルースマンという器ではない様にも想える。しかし、ブルースという音楽は、恐らく彼の中で全ての音楽をカヴァーする豊潤さを持っているからこそ、何処までもブルージーな演奏をし、あらゆる音楽に、自分のブルースを添えるのでは。白人であること、イギリス人であることを気に留めつつ受け入れているのでは。

エリック・クラプトンの理性という十字架は、ブルースという音楽に魅入られてしまったからこそ、というのが、不肖たにふじの妄想。しかし、音楽せずにいられない彼の、正直な、私の大好きなエピソードをひとつ。
息子を飛行機事故で失い、同時に友人レイボーンを失った時、何とか自暴自棄になりそうな所を踏み止まり、しかし茫然自失していた。家族との死別、最悪の悲劇。近い状況を私も幾度か経験しているが、それはとても音楽を受け入れる状態じゃない、その場に及んで音楽をしてしまう自分を、とても許せなかった。なのに、つい出来てしまったんですよ。殆どペンタトニックで構成された、転調も何もない単純なその曲(タイトルは、"Too Bad" べたですな)は、結果やけに周囲で好評。なんてこった。その数年後、クラプトンの有名な曲、"tears in heaven"が大ヒット。無くなった息子を想うこの曲は、いつしかポップ・スタンダードとなり、多くの人に愛された。そう、彼は多分、作ってしまったんだと、私は想っている。茫然自失の中で、その瞬間作りたくもないはずの音楽が、彼を突き動かしてしまった。批評性とも、勿論金儲けとも違う、音楽家たる何かによって、エリックさんはこの時代も、人間として生活を続けている。
2005年に突如再結成されたクリームのステージは、みんなどう受け止めただろう。私は、ロックという以上に音楽を、ロッカーではなく芸術家を感じた。

3大ギタリストのうち、ジェフは孤高のギター少年を全うし、ジミーペイジは究極のロックバンド・スタイルを作り上げ、不動のものにしてしまった。
エリック・クラプトン。彼はボーカルに手を出し、ロック少年達に、「ボーカリストに成り下がった」と迄言われてしまっている。しかし私は、その人物も、音楽も、闇も、現在得たであろう安らぎも、尊敬している。3人のうち誰になりたい?という質問が仮にあったら、音楽家としてクラプトンになりたい。

あれ?もしかしてクラプトンと自分を比較してしまった。こいつは恐れ多いや。ごめんね。
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by momayucue | 2011-11-22 23:59 | 小理屈「いやカタいのなんの」 | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


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