もーしょんぴくちゃー

エマ・ワトソン主演「美女と野獣」からの~、フェミニズムの現在(なんちて)

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ディズニー・アニメは、基本的にミュージカルです。
最近のCGアニメ作品で、例えば「ズートピア」は、登場人物が殆ど歌いません。歌うのは歌手役が歌う場面だけ。歌う場面で歌わなかったら、歌う場面じゃな…(ry …、ゲホッ、失礼しました。しかし、ミュージカルじゃないズートピアでも、音楽のつけ方はキャラクターの動きにめっちゃシンクロしてます。これがアニメの美女と野獣になると、もうミュージカルのフォーマットそのもの。そして、エマ・ワトソン主演の今作は、本物の人間が歌って踊る伝統的ミュージカルとして作られている。しかもそのノウハウもプロ意識も圧倒的で、一寸なぞってみましたレベルとは、段違い。好みとか時流とか資本関係とか色々あっても、また、確かに精密機械みたいでおカネの匂いうんぷうんぷではあっても、やっぱディズニーの底力恐るべし!です。

軽く「美女と野獣」についておさらいすると、野獣の住む城に迷い込み、薔薇を盗んだ父親の身代わりに城に幽閉された娘「ベル」が、やがて野獣を理解し、魔法を解くと、なななあんと王子様だった、っちゅう話です。この骨格に尾ひれが色々ついて、私が以前観たディズニーアニメでは、傲慢で目的の為なら手段を択ばないヒールも登場する。それに、時代を反映してか、ベルはイマドキの自由な精神の持ち主。だから村でも一寸変わり者に設定されてます。つまり、エマ・ワトソン版の最新ストーリーと同じものが出来上がってたんです。
あとは元々の話の耽美的なニュアンスをいかに残し、且つ物語を強い必然性で運ぶことが必要になります。

父親想いの優しい娘だが、野獣を恐れない勝ち気さが必要。
薔薇を盗むお父さん。この「盗む」を正当化する設定が必要。
野獣が魔法をかけられる理由と、それが観客に許される流れが必要。
悪人なのに村人に人気があり、物語を危険に晒すヒールが必要。
そして、その悪人にふさわしい行為と天罰が必要。

私が知っている美女と野獣の映画化第一作は、名匠ジャン・コクトーのそれです。20代の頃にその映画を(TVでですが)観た私は、ベルが、カーテンが風に揺れる廊下を彷徨う場面で、ほんっとに驚きました。ストーリーの妖しさに画面の美しさ。これでもう感動する。間一髪!とか、息詰まる駆け引き!とか、露骨なエロ!とか、要らないんです。動画アートの全てが当時もうそこにありました。
コクトーの時代なら、きっと充分でしょうけど、今は映像ビジネスが溢れかえってる。
ほんの数年前、フランスで、レア・セドゥがベルを、ヴァンサン・カッセルが野獣王子を演じた 美女と野獣もあったけれど、そちらは、勧善懲悪のヒロイズムを徹底排除した妖しげな物語のままでした。映像は現代的にCGを使ってますが、全世界にメッセージをなんて野望はなくて、ひたすら、官能がスクリーンに投影されていればいいのだという潔いポリシー。ヒットしたかと言うと世界的には…、知らんけど、日本では存在を気付かれてもいないよね。これも映画好きな人は是非観て欲しい。美しいです。
しかし勿論ディズニーなら、もっと直接的な物語で、頭ひとつふたつ抜き出たいところでしょう。

旧アニメ版では、ベルは少しエスニックな血が混じった顔だった。そして、冒頭では「村でも変わり者なので、消えてもいい」という扱われ方。しかし、見事なのはエマ・ワトソン。こんにちフェミニズムのリーダー的な女優でもあるエマが、本好きで世界を夢見る女性を演じるのは、大きなアドバンスがあります。これは、ズートピアでも明らかだったように、ディズニーは今恐らく、フェミニズムとダイバシティーと扇動に負けない勇気を重要なことだと考えている。私の勝手な推理ですけど、それが結実した作品であり、今のアメリカに必要な作品なんです、この最新型「美女と野獣」は。

王子に呪いをかける魔女。彼女は、性善説に立っていて、王子の魔法がいつか解ける日が来るのを待ち望んでいるように振る舞う。これ迄であれば、魔女はダークサイドの象徴だったでしょう。それが愛によって敗れるという展開。ところがこの物語では、ある種の是正を買って出てる。
ガストンという戦争バカで自分はサイコーだと信じ切ってる悪役。こいつは、私の眼にはトランプもしくはトランプ的マッチョイズムがモデルに見えます。彼は最初は単なるバカだけど、やがては、ベルを奪い取る為なら村人を扇動して野獣を征伐しようとするし、あげくに命を助けられたのに野獣を銃で撃ち殺そうとする。ガストンの侍従は、共依存的なプラトニックラブを抱えているが、やがて真実を見つめる勇気を持つ。
最期、大団円。城で野獣を支えてきた使いのものVS暴徒。闘いで時間を稼ぎ、何とか野獣の呪いが解けるのを待ち臨む。自らのLGBTをスカッと解放する者も現れる。誰も、本気で殺し合いなんて望んでないのだ、あいつが扇動して、道を誤っただけなんだ。それに気付くことこそが、誇り高き自浄だ。

救いを求めるものに救いを。解放されるべきを解放する。已む無き場合には裁きを。ちゃんとアメリカを告発し、世界情勢を告発し、争いを否定し、ロビイズムよりも愛が強いと夢を語り、物語と音楽と映像と編集の全てを使い倒す。


しかし…。
それでアメリカは実際どうなってる?いやいやいや、日本はどう?差別と扇動と無知が独裁の援護射撃をしている。アートはもう役に立たないのか。
いやいやいや、オレは反抗するけどね。反抗する為なら、ジャン・コクトーの美しさに立ち返る気満々。













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by momayucue | 2017-06-22 19:15 | もーしょんぴくちゃー | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


by momayucue
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