もーしょんぴくちゃー

Pricillaという映画の素敵さ

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1994年。LGBTという言葉もまだ無い時代の、シドニー。LもGもBもTも、それぞれの現場でマイノリティーとしての闘いを強いられ、ただ、共闘とか団結には至らなくても、それなりにシンパシーはあったんじゃないかと想われます。嗜好の違いはあっても、敵は差別や偏見や裁量、と共通してますし。

私は1986年の夏から半年N.Y.にて食うや食わずのビンボー生活をしていた。その当時は、土地柄もあってレイシズムはあまり無かったと記憶してます。黒人の友達も出来るしルームシェアでもお互いが別々な人に対してゲイってこともあった。そんな中でも、30年前はまだ地方都市では難しく、益してや地方は大変だったと想像出来ます。
映画「プリシラ」は、冒頭に書いたシドニーが舞台になっています。原題は、"The Adventures of Pricilla,Queen of the Desert"となっていて、日本では大胆に「プリシラ」だけにしちゃった。「砂漠の女王『プリシラ』の冒険」という邦題も面白かったかも。しかし、子供が興味持って観たがったらあとから大変かな。94年公開のこの映画のタイミングなら、ネットも活発じゃなく昨今ほどクレーマー気質は顕在化してなかったから、それはそれで期待しちゃうな。プリシラを子供達が真似するパラレルワールド…。

ではあらすじを。南半球随一の大都市、オーストラリアのシドニーで、ドラァグクイーンをしている3人。世代は少しずつ違うけど、それぞれに派手でお下劣で淋しがり屋なオカマちゃん。世代毎に、年齢から次第に人気も仕事も無くなっていくオカマの悲哀や、バイセクシャルで社会性との狭間に悩むオカマ、まだ若くてイケイケなオカマ、三者三様。彼女等が、ショウの仕事を得てオーストラリアの砂漠を、バスで横断する。目指すは、アリススプリングのホテル。ロードムービー…にしては全編ディスコサウンドだし、所謂ぼくの好きな「ザ・ロードムービー」とは風合いが違います。

最高にいい映画。ジーンと来る。

さて、どう違うのか?いや待て、ロードムービーって、なんだっけ?
旅の物語。延々と続く移動と、出逢い。
これは必要充分条件
そして導かれる内面の吐露。
淡い音楽と、ゆっくりとした台詞。
あとの方は、テイスト。
で、プリシラですわよあーた。それぞれの人物描写はもうめっちゃある。でも…、音楽は、ディスコです。ノリノリです。台詞は普通に多い。全員「パリ・テキサス」の10倍は喋る。じっとしていられないパーソナリティーの人ばかりだしね。

順を追って、少しだけネタの小出しその1。
優しい映画。彼女たちのもたらす癒しは、あまり癒しなんて言葉を使わない私にも、
とてもとても優しい。
ヒーリング・ミュージックとか、あるじゃないですか(リンク先に一寸だけ悪意が(ry! )。ニューエイジ的な、オーガニック且つエコーの乱用みたいなの。敢えて対比の為にニューエイジとか言っちゃうけど、実際にはそう酷いものでもない。ただ「癒し」とかで正面突破するのは、どうも経済原理が働くっちゅうかね。何か人を馬鹿にしたみたいなのが少なくない。
プリシラの素敵なところは、その目線が、決して人を見下さないところ。他人を罵倒しても、自分達はもっとマイナーだという位置から始めてるところ。実際のオカマちゃんたちも、大概そう。まあ、マツコさんみたいなおやじオカマも出てきて、やや混戦してますが、それもまた癒されたりして。

少しだけネタの小出しその2。
土地。オーストラリア先住民との交流や、
保守的なクソ田舎のクソマナー。
彼等がもし3人じゃなく、たった独りだったらその旅がどんなに苦しかったろう。仲間が、チームが、群像が、強くなるのだ。

ネタの小出しその3。本丸。オチそのものではないけれど、
著しくオチに近付くので、ネタバレ警察はご用心。

「私達は、都会に守られてたのね」

都会で、人の冷たさに疲れることもあるけれど、それでも人は集まると寛容になるのだ。クソ田舎のクソマナーは、恐ろしく不寛容で、たった独りだと本当に居場所がない。シドニーは、都会だ。都会が守ってくれている…、その感覚は、具体的に何処が、と指摘するのは難しいんだけど、喧噪とか、流行とか、混雑故の距離感とか、そして、「誰もが孤独」ということとか、が、孤独なドラァグクイーンも肯定してくれる。
あってる?多分そういうことだと想うんだ。上記の、都会に守られてたという認識は、私も、あなたも、癒しのドラァグクイーンさえも、癒してくれる。
適切な喩えかどうかわからない。けれど、大地ではないコンクリート、交通手段のばら撒く有害物質、保存料だらけの食事、生きるためという目的から外れてしまった健康志向…etcetc…。この、ジャンク達は、疲れたクラウドの延命さえも引き受けてくれる。

たまに地方に行くと、冗談の通じない雰囲気を感じることがあります。マイノリティーを排除する保守的な気質。駅からバスで40分の温泉地とかをのんびり歩いてみたりすると、ふと気付いたら古い一軒家のどれも、ブロック塀には自民党か公明党のポスターしかないのに気付いた、なんてことないですか?私はあって、一寸こわくなったんです。新進の政党を支持しようものなら、すぐに噂になってあそこのウチはああだこうだと言われる。お祭りの時に地元の代議士が顔を出して、いかにも頼まれたようにマイク持って挨拶する。そんな体質を変えるのは難しいし、もしかすると迷惑なのかも知れないです。変わる必要を感じてないから。
そして、密かにマイノリティーだった潜在的LGBTの人が隠れて苦しんでいたり、革命を起こしたいのに支持されないから保守になったり。

私達は、すべからく、心は都会に置かないといけないんじゃないか。地方の発展とか、大切だし、私も不便じゃない田舎ならばサイコーだと想う。でも、みずから幾つかの特徴がマイノリティーであるたにふじは、都会の優しさ、都会の癒しを、心には感じてるし、それは誇りでもあるのです。

プリシラよ、ためらいを蹴散らせ!














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by momayucue | 2017-07-15 17:08 | もーしょんぴくちゃー | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


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