小理屈「いやカタいのなんの」

政治って意外とHipHop、が、炎上したことについて

当blogを始めた頃は、twitterは世にありませんでした。まだ出たての頃は様々な有名人が楽しんだり絡まれたりしてましたが、最近は、かつての新鮮さは流石に薄れています。いやー、昔は私「炎上」という言葉も知らなかったもんな。2ちゃんねるの時代からあったらしいが。

2017年の夏、新潟で、自民党が作ったポスターに記された、
「政治って意外とHipHop、勉強中」
というキャッチコピーに、現役のラッパーやHipHop関係者が怒りまくるという炎上がありました。たいしてHipHop好きな方でもない私も、見た瞬間にアドレナリンが出たけれど、その後一寸立ち止まります。

何で怒った?だって、HipHopって、大半が政治的だよね?

アメリカで1980年代に始ったヒップホップ。アフリカ・バンバータやDJ文化。ギャングの生活。麻薬と暴力。社会の底辺からの目線。野蛮であり、アナーキー。当然それらは、進化すればする程、政治色を強める。
日本でも、ほぼ同時期からHipHopを始めた層があります。世界中でHipHopが価値を上げ、やがては、ポップ・ミュージックはHipHopや、ラップから影響を受けるようになる。逆も然りで、HipHopの方も、Jazzから、カントリーから、レゲエから、クラシックから…貪欲にエッセンスを取り込み、アートとして定着していく。音楽のスタイルも基本的なループやDJ達が繰り出すテクニックは刺激的で、且つ時間と共に洗練されたものになる。今世紀のポップ音楽はざっくり半分がHipHopの影響を受けているし、メロディーもラップとあんまり変わらんなこれ…というものばかり。
つまり、こういうこと。
「今やポップ音楽の主流は、本物のHipHopか、偽物のHipHopかになっている」
ラップは、インテリであろうとビッチであろうと内容は基本怒れる主張なのですが、それなりにナンパな連中も出てきます。みんながみんなパブリック・エネミーになることもない。日本では、君と出逢って初めて愛の意味を知る~みたいな青春ラップ(たにふじの造語)も大きなヒットを飛ばす。それでも、所謂フォークが反戦のアイコンだったように、HipHopは、そのベースが、反体制のアジテートです。

凄い乱暴な総括だな。どうか怒りを買いませんように(買うか…買うかもな)。

話を新潟に戻そう

最初にこの広告に怒りを表明したのは、Kダブ・シャインというラッパー。しかしtwitterで噛み付いた彼は、ひと呼吸置くとその後はとても冷静です。レゲエだろうと、ロックンロールだろうと、多分頭に来ただろう、今回は自民党だったが、自民党がもっと調子いい時でも(今これを書いてる2017年は、安倍政権のアラが膨大に噴出し、ネットでの不評を超えてとうとうTVメディアでも新聞でも批判が噴出した)、多少違ったとしても違和感はあったろうし、結局の処、強力な野党が同じことをしたとしても、基本的に肌が合わないだろう、と分析して見せた。
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確かにざっとそこ迄予想は出来ます。この数年、三宅洋平という人物が国政や都政でかなりの評を集めたし、政策や主張は兎も角、まず三宅さんは、「肌が合う」という要素が大きい。そう、新潟のポスターは、HipHopと、「肌が合ってなかった」のだ。だから私も、最初に起こったのは、違和感であり、もっと言うと、嫌悪感だった。
何故肌が合わないのか?そもそもHipHopって、差別や貧困や理不尽への怒りだったのに。政治的だった筈なのに。「意外と」が良くなかった?「勉強中」が良くなかった?それはきっとそうかもね。それらを総称すると、センスってことになる。では、この怒れるおっさんのたにふじがコピーを考えよう…。
「HipHopは、政治的だ!」
捻りはないけれど、だいぶましなキャッチコピーになった気がしてます。政治はHipHopかというと順序が逆で、本来は、HipHopやロックやフォークやアートや、もしかすると、無音も、政治なんです。余談ですが、もし政治色の皆無な娯楽が好きなら、そういうのを淡々と選択して下さい。ミュージシャンや芸術家の作品に制限をかけたいのなんて無理だ。自分でやるか、自分に合う娯楽を選ぶかしかない。続けると、核としてHipHopは政治的だから、「意外と」は排除しないと反発を買う。

何故、「HipHopは、政治的だ」ではなく、「政治って意外とHipHop、勉強中」になったんだろうか。答えは誰でもわかるでしょう。書いた人物は、
「HipHopはたいして『政治』じゃないみたいだな。そこを何とかしたいな」
と考えたのでしょう。しかしどう考えても、「HipHopは政治的」という順序では、反体制色が強く、自民党は無条件に否定される。与党だし、保守だし、体制だもの。なので精一杯の落とし処として、「政治って意外とHipHop、勉強中」という、2重3重に規制緩和をかけたところ、HipHop当事者達は違うだろうと反発した。とは言え、寧ろHipHopに全く関心が無い世代や層には、一定のアピールに成功したのかも。

ここで、ひとつどうやら素通り出来ない情報が入る。新潟の自民党という特殊な事情です。
アメリカはデトロイトという都市。ここは、今やかつて都市だった…と言われかねない状況がある。自動車産業でかつて隆盛を誇ったデトロイトは、今や犯罪と貧困と過疎の街。"It Follows""Don't Breathe"といった映画の舞台になっているここは、最も「逃げ出したい街」に数えられる。イギリスで、"Attack The Brock"という低予算のエイリアン映画が高評価を得た。このブロックとは、不況に喘ぐ英国でまさしく割りを喰った10代の子供達がギャング化しているが、ふとしたことからエイリアンと闘う羽目になる、という話。カネのない、希望も見出せない街。アメリカでも、イギリスでも、彼等のイヤフォンにはHipHopが流れる。脳が痙攣する程の音量で。そして、既存の政治なんてクソだ、と感じている。しかしね、田舎は違う。地下鉄はなく、車でしか移動出来ない。作物は値下がりするのに収穫は天気任せ。そこでは宗教と土着としがらみが強い。
新潟に戻ると、そこには、日本人なら誰もが知っている成功事例があります。田中角栄です。
田中角栄は、中卒で自民党から政界に出て、首相に迄登り詰めました。新潟は彼を支援し続けた。田中さんは、国政の頂点に立っても、いち地方の新潟をずっとシードし続けたのです。新潟県民にとって、今も田中さんは、ヒーローであり、かっこいい存在でいる。

政治がHipHopである意味は、国内の他の都市に比べたら、政治というものがタフな領域で、案外県民は政治に絶望していない。その温度はもしかすると、「政治って意外とHipHop、勉強中」が東京から見たよりも的外れではないのかも知れないです。うまく表現出来たろうか。飛躍し過ぎだろうか。ともあれ私個人には、
「あれ?新潟って、そうなのか…」
と再考させるだけの何かがありました。

ところで、先程の「余談」はいつもの通り、伏線なんです。
音楽に政治を持ち込むな、という論調は、実は殆ど無い。よく言われているように、本当に音楽やアートに対してその手の難癖をつけているのは、実際の数百分の1。Yahoo!のコメント欄に重複IDが多いのでユニーク処理をかけたら右翼的なコメントがほぼ全滅して、重複IDを使いこなせなかった極左コメントだけが残ったなんてこともありましたっけ。まあ、そんなもんですよ。私はあんまりまともな人物ではなく、日本という国家にも君が代にもサッカー代表にも執着がありません。非国民と呼ばれても、国籍は日本だけどまあそうですね、と返すと想う。ただただ、戦争が嫌いで、戦争したがる奴が嫌いで、だったら国とかも執着しなくていいや、と。つまり、出来る限り生活で政治を感じたくないので、政治的になる。…で、合ってるだろうか。ややこしいな。
矛盾は例えば、世界が完全な平和を手に入れて、
「全ての就職を認め、全ての恋は叶い、全ての争いにおいて、どちらもが相手に勝つ、あまりにも困難なパズル」
を解決したら、私達はさながらお花畑のような音楽やアートだけで満たされることに…なる。しかしもう既にこのパズル自体が破綻してるんです。No-Zerosum-Gameという言葉の美しさは、儚さから来ている。諦めることと、諦めないことと、どちらにも、全うする美しさがある。くたばるまで、生きるのだ。

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by momayucue | 2017-10-31 23:45 | 小理屈「いやカタいのなんの」 | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


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