小理屈「いやカタいのなんの」

ジョンケージの天才論〜好きでもないのにものが上手?

矢野顕子さん。今でこそレコーディングにゲストで呼ばれる程に親しく、且つ演奏家として信頼もされているパット・メセニーを、彼女が最初に知ったきっかけは、大村憲司さんに、
「1日に10時間以上練習するギタリストがいるんだよ」
と紹介されたことだそうです。
大村憲司だって、息子さん曰く、
「家で、ギターを持っていない親父を見た事がない」程で、2階に上がるのも降りてくるのもストラップでギターを下げていたらしいのに。しかしパット・メセニーの活動を見ていると、ギターの練習なんてしなくても、ツアーをやってレコーディングしている時間だけで、1日5時間分くらいに達してしまいそうです。
別の話。最近バンマスのかんどりゆうこさんに、自分の読んだ本の事を聞かされました。バンマスは打ちのめされ、悲嘆に暮れています。
「ガードナーの『マエストロ』って本を読んだの。主人公は、1日10時間練習するんだって。私はそんなに出来ないな」
「天才的奏者は1万時間の練習を経ているが、平凡な奏者は4千時間程度だった」という調査結果があるそうです。まず平凡な奏者と天才的奏者を切り分ける基準もよく解らないし、本当にそんな調査が可能なのかも解らない。しかし近頃、たまに見かけるセンテンスです。

10時間という単位が出てくるのが、どうも不思議。こういう場合、案外おおもとのソースはひとつなんじゃないか、と想ってしまうのが私の意地悪な癖。
まあ、10時間と言うのはひとつのメタファーで、そのボリュームに天才の秘密があるのではなく、天才の傾向、属性があるのでは、と、常々考えています。一寸差別用語の様相を呈してきましたね。まいいや。一般的な水準よりも右肩上がりの傾斜が強いのは当然としても、もういいだろうというレベルを超えても、ついついやってしまう。やらずにいられない。これが、10時間という、一寸考えると人が起きている時間から食事や移動を除いた殆どの活動時間を、練習に充ててしまうという真相なのでは。鍛錬の為というよりも、快楽の為。マラソンで良く言う、ランナーズ・ハイです。喩えば、私だって年柄年中音楽のことばかりしていたい、でもね、普通しないでしょう。周囲の人にも迷惑をかけるし、音楽ばかりやっているリスクだって、考えないわけにはいかない。試験勉強しないと…、仕事上の調べ物しないと…、お母さんの手伝いしなく
ちゃ…、食いっぱぐれない様に対策を…、云々。それを逡巡しないで済むのが、10時間やってしまうタイプの天才。
たにふじ説:ある種のデリカシーの欠損や、単純に快楽への溺沈が、結果として天才の仕事を生む。

では、一方で何故、たった独りでも世界のポップミュージックに重大な業績を残し得た「天才」4人が、イギリスのリバプールに、全く同時期にひとつのバンドに集合したのかを想うと、答えを偶然と片付けるわけにはいかないでしょう。あまりビートルズに詳しくない私ですが、状況や周囲の証言を追うと、どうやらジョン・レノンが、他のメンバーを引き上げたと想われます。さてジョン・レノンは、果たして自ら立ったのか。そうかも知れないし、またそうでないとすると、別の、彼程でない誰かが、押し上げたのかも知れない(マネージャーのブライアン・エプスタインは、ジョン・レノンに報われぬ恋をしていた?)。天才とは、引き上げたり、押し上げたりをしうる。所謂ライバル関係がお互いを刺激する、という現象ですね。コアとなる「天才的な事件」が起こると、それによって近くの天才は刺激され、連鎖を起こす。そうすると、天才的資質というものは、百万人に独りではなく、百人に3〜4人……かも。もっといるかも。
たにふじ説:天才は、きっかけによって発火する。環境が天才を刺激する。例えばいじめを受ける人間は、その体験から社会的に脱落するもの、さほど影響ない大人になるもの、そして、「子供の頃はいじめられた」とカミングアウトするビッグな人物などに将来なる。この3つめ「ビッグな奴指数」は、わりに低くない。多分、非いじめ被害者達よりも、高い値になる様に想われます。

余談ですが、おしなべて「いじめなんて凡庸な輩のやる行為」ってわけです。いじめる行為から、人は何も学べない。

スポーツの様に、勝ち負けがありそうでないのが音楽です。あるスポーツの専門家に、
「音楽はいいねー。スポーツと違って、勝敗がはっきりしているから」
と言われたことがあります。その真意はなかなか微妙なところではありますが、例えばカーリングの得点方式の様に売上をもって音楽の勝敗を決する人は、いないでしょう。スティーヴン・ビショップとビル・ラバウンティのどっちが勝つなんて、いかにも議論が荒れそう。結論がない。

音楽は、接戦をものした作品だけが勝ち残るわけではありません。実はスポーツだって、天才独りではゲームが出来ないけど、音楽の場合は、最上級の作品だけでなく、隙を楽しむものでもあります。好きで好きでたまらなくて、どうしても音楽をしてしまうドーパミン型プレイヤー。一方で音楽なんて大嫌いなのに、時代に渇望されてしまったムード歌謡の歌手。天才にも様々な都合があります。
きっかけと、欠落のバリエーションです。

聴く音楽から、する音楽へ。生きることの天才ジョン・ケージ。例えばエリック・サティは、最近CMでも使われた「ヴォクサシオン(嫌がらせ)」で、聴衆と演奏者に、ランナーズハイみたいな経験を強いたり(1分程度のディミニッシュ風フレーズを860回繰り返す。単純計算で14時間半かかるじゃん!)、休憩がテーマの作曲をして、休憩時間に弾いた。聴衆があれって想って聴こうとすると、「聴くんじゃない」と怒ったらしい。可愛いエピソードだねえ。更にその先、ジョン・ケージの作品は、作品性或いは演奏方法に価値があるというよりも、作品に参加することが作品、という、最もコンテンポラリー、且つ最も原初的な動機があります。トレーニングなんて(一般に)楽しくない。それなら、ひたすら楽しいことをしよう。演奏者も、そして聴衆も「聴く」という作品行為に参加しよう。
うーむ、ありではないか!
高橋アキさんという、現代音楽界を代表するピアニストが、以前、
「ジョン・ケージは、演奏家に充分に恵まれているとは言えない。もっともっと優秀な演奏家によって演奏されるべきだ」
という旨の発言をしています。しかしケージの作品には、1日10時間練習する生活は必要ない。そう、楽しいあまりについやらかしてしまう、遠慮から心を解き放つ、そんな行為さえ今日は容易でないんです。

でまあ、そういった音楽体験のツールに、自分達がなることには、凄く興味があるんだけど、もまゆきゅがそれやってもね、受け入れてもらえないでしょ。まず真っ当なことやってからでないと。

突然ね、自分の作品が好きになったんです。素晴らしい「真っ当な」アルバムになるよ。ほんとに、はやく皆さんにお届けしたい。時間ばかり経ってますが、わくわくしてるんです。d0041508_23574642.jpg
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Commented by mackymusic at 2009-01-04 00:55
うん、天才と言われている人ほど、実ははじめから
そのことができていたのではなく、知らず知らずの
うちに練習や訓練に没頭した末に能力を身に付けて
いたりしますよね。イチローなんかそのよい例。

でも、10時間ぐらい物事に没頭することって、たまに
ありませんか? 結構あるような気が…何の天才に
なっているのかはわからないけど。暇つぶしの天才?
Commented by たにぴ@急に眠れない at 2009-01-05 01:29 x
Mackyさま、こんばんは。
そうです、その没頭してる姿は端からは迷惑でしょ。何も手伝ってもくれないんだからねぇ。
by momayucue | 2006-11-16 23:58 | 小理屈「いやカタいのなんの」 | Comments(2)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


by momayucue
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