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小理屈「いやカタいのなんの」

音楽の暴力、音楽の殺人、音楽の弁護士

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久々に堅い話を。

ある友人のblogに、拙作"No Pentatonic"の紹介をしていただき、御礼のコメントをいつもの調子で
「いえーい!」とか言って書いてたら、
「★たにぴさん、
『ノー・ペンタ』、愛聴していますよ。
手作り感が伝わってきて、聴いていてほっこりします。
たにぴさんは、何気に社会派ですよね。」
なる、とても素敵な返信コメントを頂きました。
これだけ読むと一寸唐突な感じもしますが、ここで「社会派」と書いて頂いたのは、丁度その前後、もまゆきゅblogのつれづれBGMが、What's Going On/Marvin Gayeで、更に、果たして音楽は平和ツールたりうるか、へとリンクさせていたからだとお察しします。
私自身は一応投票もしてますし、平凡に、身の丈なりに社会と接したり離れたりしながら暮らしてます。しかし、実のところノンポリで、あまり正義感も強くないし、正しいものがなぁんかキライだったり、スケベだったりしてます。多分ね、社会派なんて言っていただけちゃうのは、話が堅いから、だと想うんですよね。
あ、そうか、だからモテないんだ。なあんだ。

正しいものがキライ…。例えばですね、一寸個人的な言い分ですが、私は「偽善」という表現に、非常に抵抗を感じるんです。いえ、偽善者と言われる人や、偽善的な組織、行為に抵抗を感じることは、殆ど無く、むしろ言ってる人に対して抵抗を感じるんです。マイナーな意見です。で、どういう事かと言うと、「言ってる人も言われてる人も、善良な部分とスケベな部分と、場合によっては極悪な部分とがあるに違いない。両方あるのに、なんであなたは一方的に言えちゃうのよ」と感じるんです。自分だって善と悪と偽善とを持ってるでしょう、と。まあ、ここはレアな意見という事で、スルーして下さいませ。だって言ってる人は、どう贔屓目に見ても九分九里善人ですし。

さて、音楽の話に戻さないとね。
ジョン・ハッセルがファラフィナと共演していた、エスニックがトレンドだった80年代後半。宗教学者の中沢新一さんが彼等のコンサートを評して
「イギリス人は植民化に長けている。ジョンハッセルは陰気な顔をして真ん中に座っているが、明らかにその場の音楽を支配している」
と語りました。実際の植民地が良いのか悪いのか、正直ケースバイケース、はっきりわからんのですよ。そこがノンポリたる所以。しかし音楽は、結果的にスリリングであれば、いい。同じく植民地慣れしてる(?)ピーター・ガブリエルが、"SO"をリリースした頃、それまでの彼のサウンドと大きく異なり、インダストリアルなサウンドよりも、ファンキーでマッチョで、彼なりに陽気なサウンドに変わり、実際世界中のあらゆるリアルな音楽を、対等に体験した者だけの迫力がありました。

音楽的植民地主義。政治的なことは解らなくても(自慢してるわけじゃないっすよ)、音楽なら、植民地主義はあり得る、と私は想っています。ロックンロールのミュージシャンの多くは、「こいつでひと儲けだぜ!」とかが却ってポーズになってます。プロデューサーとしても有名なドラムのナラダ・マイケル・ウォルデンは、ずばり、
「オレには、いいフレーズやコード進行が、カネに見えるんだ」
と言い切ってます。その潔さたるや、走れメロスにさえ匹敵する。
ポップ・ミュージック商人の例は、綺麗な話も汚い話も、いくらでもあるでしょう。ベリー・ゴーディのモータウン。
「売れたからいい音楽でもない、と同時に、売れないからよくない音楽、じゃない」のは、大方の納得する所。その一方に、いまだにきちんと承服されていない、もうひとつの真実がある。
「売れたから、或いは売れセンだからよくない音楽、ではない。売れることは、罪ではない」
ポップミュージックの世界は、何度か、全く買う理由のない代物が大勢に買われていく現場を目撃してきた、と私は想っています。それがどれか、どれとどれか、は、小心者ゆえここには書きません。マーケティング、膨大かつ巧妙な広告戦略により、音楽出版ビジネス業界は、投資回収に見合う「良い素材」を、それこそ毎度大博打で販売していく。という考えはまだ甘くてトーシローなのかな。

破竹の勢い、90年代の小室哲哉さん。彼がTMネットワークを成功に導く前夜、売れない時代のことを、とあるインタビューで語っていました。
「兎に角、レコード会社の想定通りに動くんですよ。何枚イニシャルを出すと、どれだけが実売で、どれだけが市場在庫、どれだけが会社在庫で返品になるか。彼等は知っているのね。それが悔しくてね、何とか彼等の予想を裏切ってやろうと思った」
結果彼は、いわゆるユーロビートの派手なサウンドでアニメのタイアップを勝ち取り、やがて音楽ビジネスどころか、音楽インフラのビジネスにまで進出する大成功を収めるのはご存知の通り。
この話を教訓にすると、音楽ビジネスマン達は、どういうものが売れる、売れない、というセオリーを概ね持っている、ということになります。
もし、大ヒットを飛ばしたい故に民族音楽を強奪するのなら、やめた方がいい。ヒットするかしないか、既に答えは業界の何処かに転がっている。民族音楽を強奪する動機は、刺激的な、新しい何かが産まれるか否か。いや、新しいかどうかなんて、たかが知れている。もっとシンプルに、自分を鼓舞するものが出来るか否か。

ところで、もうひとつ問題が無かったでしたっけ。カネですよカネ。いや、さっきまでの話題に上ってたカネじゃなくて。
音楽はお金を払って買うものでもあり、お金を払って作るものでもあります。機材、インフラや、演奏家の能力により、また、かける時間などによって、仕上がりは随分変わります。有名な演奏家は、当然びっくりする位高額なギャランティが発生します。もし優秀な演奏者が主要マーケット以外の国にいたとしたら、きっとギャラは安い。いざアフリカへ。いざ中南米へ。札束を切れ。ついでに騙せ。

アフロアメリカンの音楽家達は、随分と契約で騙されてきた。JBもB.B.Kingも、カネには物凄くシビアだと言います。歴史の仕打ちから考えたら当然でしょう。如何に無知な私でも、奴隷制度がこんな結果を生んだことに賛成なんてしません。映画「クロスロード」でライ・クーダーと共演した伝説のブルースマン達。彼らはライを信頼し、自分達のハコバンにライを招待します。汗をかき、何度もステージを下りてはまた呼ばれるライ。その時、ひとりのブルースマンが彼に耳打ちする。
「ところで、先月のギャラってのはいつ貰えるんだい?疑うわけじゃないんだが」
ライは、ゆっくりと説明します。来月振り込まれる。その方が君にとっても得なんだ。
「来月じゃだめだ。俺には、今要るんだよ…」
その昔、雑誌「Switch」に載った話。ライは大きく息をつき、宙をみつめる。結論は知りません。Switchに書かれてなかったんです。ただ彼も、音楽に献身してきた一人として、そのビジネス的格差を痛感してきた一人です。

ビル・フラナガンの小説にある世界は、ある意味健全な部類かも。ありそうな人物とエピソードばかりです。J-POPって、世界中の音楽産業の中でも、非常に大きな資本が動くマーケットと言われています。つまり世界の音楽ビジネスの、10数パーセントの売り上げとかになってしまう。それなのに、世界のヒットチャートで、日本の楽曲は全く知られていない。このいびつな状況は、そのまま暴力にもなっている。80年代、猫も杓子も海外レコーディング。相場を破壊したギャラを払う、日本人のレコーディング。とりわけニュー・ミュージックだとかCity Popsとか、一見目利きのありそうな、日本的な洗練を帯びたアーティストさんが、内心バカにしながら演奏するロスのスタジオメンをバックに、歌う。いびつであるのは間違いないけれども、良し悪しだけとは言い切れない。日本国内には、しっかりとマーケットがあり、評価は今日迄続いてるのです。ロスのヤク中セッションマンには、日本の音楽が理解出来ないだけのこと。カネでのっとる植民地主義とやらも、近頃はほんと
一筋縄ではいかない。無理矢理音楽を売り捌く。途上国から音楽制作を巻き上げる。もしやそのビジネスの過程で、音楽そのものと違う運動神経を酷使し、夢を見なくなっているかも知れない。いや、カネの夢ばかり見る様になるかも知れない。やがて暴力や、殺人が、ビジネスの中で起こってしまう。これまで私は、ドリームガールズのカネ塗れな世界を、ビル・フラナガンの書いたA&Rの世界を、常に音楽が流れている、背筋を伸ばしたショウビズの世界として愛していました(TPOはあるだろうけどね)。ノンポリでいたいんです。第一、ビジネス云々でなくても、音楽はそれ自体、危険極まりないもの。音楽の為にこれまで、どれ程の血が流れただろう。もっとも、ビジネスという意味での旧い音楽出版の体勢は、どうやら風前の灯らしい。

「数字にしか興味のない、楽曲をひとつも聴いたことのないA&Rだけになった海外のメジャーレーベルには、もう我慢出来なくなった」
というのが、世界の何処のレーベルとでも契約出来る筈の坂本龍一が、近年エイベックスのブランドを選択した理由だそうです。クインシー・ジョーンズにインタビューした、かなり大物(と言いつつ名前忘れちゃった、出典媒体はレコーディング・マガジンなんだけど)の皮肉屋日本人アレンジャーが、
「あなたは見事に、ミュージックとビジネスを両立させましたね…」
と言いかけたその時、言葉が終わらないうちに、クインシーはたたみかけたそうです。
「私は全くブレずに一貫して『ミュージック・ビジネス』をやってきた」
言われた彼は、その言葉が「何日も経ってから、ボディブロウの様に効いてきた」と言ってます。しかしそのクインシー、最近はFoxでコメディのプロデューサー。音楽の世界ではあまり名前を聞かない。
「結局弁護士が出てくるんじゃない。最初から弁護士にしか会わないんだよ」

もしもリンキンパークが、グリーンディが、マネージメントと逢った事も無い…、それが現実ならもう英米のメジャーでいる理由はない。逆輸出で、日本のレーベルと契約していいのでは。例えば最近の安室奈美恵さん。あれは絶対に、スタッフが物凄い情熱をかけて作っている。
しかし音楽はビジネスのごく僅かな商材で、もはや業界のビジネスマンは、音楽にヤラレてしまったりもしない?さすれば、暴力も殺人も起こらないです。民事裁判の世界のみ、音楽のヤバさを、契約が骨抜きにしてしまう…。

ぼくらが持っている僅かばかりのコネクションでは、音楽をパブリシティに乗せて、全国に均一に購入可能にするなんて、一寸不可能。しかし仮に、いつか法律のプロの力を借りることになっても、どうしてもその弁護士に言わせたい言葉があります。
それは、
「シュガーベイブからずっと達郎は押さえてるよ」
「学生時代にディープ・パープルのコピーやってたのを、再開したいんだ」
「もまゆきゅのこの曲くらいなら、頑張れば私でもピアノで弾けない?」
そう、自分が弁護しようとしているものが何かを、知って、愛してる人と、契約したいんです。愛するに足る音楽を、ぼくらも懸命に捜し続けます。
Commented by とど at 2007-09-03 20:01 x
うはぁ~、何か読まれてる気がする…。
実は、病気がピークだった4月頃、舞い降りてきた4小節のフレーズがあって(クリフォード・ブラウンの「Joy Spring」的コードが頭では鳴っていた)、それを何とか形にしたいと考えてる今日この頃なんです(照)。
手始めに、つい昨日、タッチの重いエレピの前に長時間座っていても苦にならなさそうな、ピアノ専用のイスを近所の楽器店で注文してきました。(アコピ下取り時に、ピアノのイスも処分してしまっていたので。)
ま、結果的に、矢野さんのピアノ・ソロ曲の練習だけになってしまっても、それはいいんですがね。
Commented by kozoooooo! at 2007-09-03 20:03 x
堅い?話、一気に読ませていただきました。

笑えたはずの「たにぴ&ゆーこ」の脳内メーカー結果が全然ちがって見えてきます。

流石です。やられました。

・・・もしかしてたにぴさん、言い訳上手な子供でした?
Commented by とど at 2007-09-04 18:16 x
改めて読み返すと、ナゾなコメントですね。我ながら(滝汗)。
もまゆきゅの弁護人気取りなのかしらね、ワタクシは…。
Commented by たにぴ at 2007-09-04 19:16 x
とどさま、こんちは!
弁護人は大変だから、代弁者くらいな感じで、
今後とも宜しくお願いします。
こぞーさま、
いやいや、言い訳なんざからっきしダメでしたよ。
むしろ今に至る迄、何でも責任を取らされる役廻りでした。
by momayucue | 2007-09-03 16:55 | 小理屈「いやカタいのなんの」 | Comments(4)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


by momayucue
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