曰く、エレベーター・ミュージック。曰く、シャンペン・ミュージック。
イージー・リスニングという、すっかり確立している古典的な音楽ジャンルは、その後ろ向きに扱われることにおいても、確立されている。エレベーターに乗っている間だけ聞こえる、何の引っかかりもない、すぐにその場を立ち去る人の為の、いきずりのBGM。しかしそれは限りなく上品であり、この上なく美しく、官能的。刺激を極力抑えたその音楽は、通俗的と蔑まれることも少なくない。イージー・リスニングをやりたい、という若い音楽家志望の人に、凡そ遇ったことがない。私にとっては、ニューエイジなんてものこそが無限に通俗的なんだが。ハーレクイン・ロマンスみたい?それって、AORのことじゃないかな。
AORとイージー・リスニングは、何処かその処遇が似ている。
数年前、音楽ライター金澤寿和氏の労作「AOR、light mellow」によって、ひと頃は本当に侮蔑されていたAORというジャンルの市民権は、見事復活した。否、全盛期でさえあまり好意的な意味で用いられなかったこの言葉は、もしや初めて褒め言葉として使われたのでは。
では、イージー・リスニングはどうだろう。昨今のラウンジもの、これは多少骨子が変わっているものの、イージー・リスニングのひとつの姿と言っていい。何しろ緩めのハウスなら、Sex and the city のサントラにも入る程。
そう、私がここで目論んでいるのは、イージー・リスニングを音楽的に鑑賞に耐えるもの、鑑賞すべき作品として贔屓したい、という野望だ。これだけ音楽が氾濫すると、どんな音楽だってエレベーターで聴ける。であれば、エレベーター空間から復権してゆく音楽があるのも、悪くないんじゃないか。
ジャッキー・グレーソン(Jackie Gleason)。高度なテンションコードも、命懸けにブロウするサックスもいらない。これに比べリャあなた、リチャードクレーダーマン
なんて、あんなのはロックンロールですよ。
3
/
o ) ♪
)