ヴィム・ヴェンダースというドイツ人の映画監督。
ぼくはそれ程沢山の映画を観た訳ではないし、
音楽と違って、映画には求めるものがそもそも単純です。
音楽だったら、かなりな神経を使って受け止められるものを、
なるべく、なるべく漏らさず受け止めたい。
しかし、映画にはそんなねばりを持たないです。
だから何度も勉強してでも理解したいとは想わない。
その時、わかったものが全てです。
2度目があるかどうかは、巡りあわせ次第です。
アクション・ムービーみたいなものは、
ストレートに楽しい。
出来ればあまり上品に纏めたものじゃない方が、すかっとする。
知的な伏線が沢山あったら、そりゃいいです。
ぼくの中ではね、やっぱりダイ・ハードからレベルが変わった気がする。
今年だったら、ほんとに毎年一寸しか観ない新作でも、
「アルゴ」
今後、音楽だけでなく、たまに、昔観た映画や、TVや、
その他何でもぼんやり書いていこうと想ってます。
基本的に、音楽グループのblogで、音楽と日々という感じでずっと書いていて、
今年に入ってからは少したにふじの中で方針を変えて、
ちゃんと、書いている音楽についてレコメンドをしようとしています。
バンドのblogですが、漸く一般のblogに追いついた。
想い付いたことを何となく述べる場所にした。
「ちょっとたにふじ、何様よ!」
と想うかも知れないですが、出来れば音楽も映画もその他何でも、
これ迄以上にご贔屓を。
改めて、この言葉にならない映画の観返しをした。
色と、音楽と、画面のリズムと、映画の占有する時間との一体感が凄くて、
テーマを吸収し尽くすにはかなりな体力が要る。
映画の全てがある、と、とある監督が述べていたが、
全くそうだ。映画の重力が感じられる。
主人公は、冒頭、かなり奇天烈な人物として登場し、
やがて観客に馴染むようになり、
子供と和解し、
妻と再会し、
そして、
静かな別離が訪れる。
彼等の心のうちは殆ど説明などされない。
解釈の為の余白が、広大な時間と色と音楽を用いて用意されるだけ。
ただ、余白は余白として雄弁で、並の暮らしでは有り得ない主人公の切迫した愛が、
観客に、ちゃんと降りてくる。
この雄弁さが無かったら、一寸理解出来ないでしょ、これ。
愛が、束縛と駆け引きとして物質化して、
家族がみな手痛い火傷を負い、
再生の為に、それぞれの救いを用意しようとする。
いまどきのホラーの根底にありそうなテーマ…。
しかし、"Paris Texas"の心理は、そんなエンターティンメントに向かわない。
そこには、人間しかいない。
砂漠と、都市と、交通と、シナプス。
ところで、この映画では「愛が、束縛と駆け引きとして物質化し」とか書いてみちゃった
けどさ、
実際どうだろう。近頃じゃストーカーもホラーだが、極端とは言い難いかも。
でも、ぼくはやっぱりストーカーになりたくない。
しかし、押し付けたくないし、意志を尊重して、負担にならないようにしたいし、
仕事を続け、懸命に趣味にいそしみ、
そしてそれが却って、お互いの退路を断ってしまう話は、
あるでしょう、巷に。
お国柄も何もない、世界中に満ち満ちている悲しみです。
ブルーレイ。
サウンドトラックの凄み。
或る人は、テキサスの中にパリという地名があることが、
西部劇の様な砂漠の、救いだと言ってました。
映画の、美しく聡明で優しい少年は、
物語の救いです。
ナスターシャ・キンスキーの美しさも、ぼくには希望だと想う。
ハリー・ディーン・スタントンの小汚さは、
…男性の行き場の無さだね。
映画の全てが、実は、解釈の為の広大な余白。
ぼくは、何処までも、そこを歩く。記憶を失くしながら。