もーしょんぴくちゃー

物語の虚無、虚無を物語にすること 後半にオブリビオン

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夢オチという禁じ手が物語にはあります。要するに、全ては誰かの夢だったという決着は、発明した最初の誰かが最後で、それ以降はある種のギャグとしか機能しない…筈。全てが夢だった…それなら、どんな物語でも5秒で完結出来る。しかし歴史上最初の夢オチの意外性がどんなにパワフルでも、2度めは通じないでしょう。絶体絶命!しかしそこで主人公は眼が覚めた。そしてその夢を教訓に人生を全うする。どうですかそれ?その後の姿が無いと、キツイですよね。

夢オチはそれでも絶滅せずに、様々なバリエーションを産みつつ、時折りぼくらを驚かせます。つまり、夢とは何かを作り続けたり、夢が覚めた後の世界を再定義したり、と手を変え品を変え。
マトリックスは、自分の視ている世界が実はインプットに過ぎなかったというところからスタートする、フィジカルと光速情報の闘い。コンピューターは試験管の中に人間を飼って何がしたかったんでしょうね。特に生産性がない気がするけれど、何となくカッコいい。
個人的に一番驚かされた、感動もしたし傑作だと想ったのは、ぼくの場合「最後の誘惑」です。イエス・キリストが観た夢の、美しさ(ほんとかよ)と恐ろしさと烈火の様な凡庸さ。ピーター・ガブリエルの音楽も凄まじかった。普通凡庸って烈火の様じゃないでしょう。でも、この物語の恐ろしさはクリスチャンでなくても理解出来ると想います。

「映画シリーズ」で今回は、特定の作品ではなくてとある作風というか、ジャンルでもないしなんつーかわからないですが、まあそういうモノを論じてみよっかなと想ったのですが、なかなか難しいですな。何しろ夢オチと解ってしまったらもう観る意味がどっと無くなるので、有名で典型的な夢オチの作品を語ることが出来ないというジレンマ。
ホラーだと、悪夢が実体化し人間を殺すとか、しかも無限にループするのがありますよね。夢オチナイ、ですが、観客には夢オチです。で、何とか醒めろ助かれ!とか想うわけでしょう。それが、醒めたのかどうか微妙な形で終わったり、うまいこと醒めたり。典型というか、その分野の王様は、マイケル・ジャクソンのスリラーでしょう。ヒロインは悪夢から醒めた。しかし観客は、まだ悪夢を予感する。
SFでは、トロンものというか、電脳空間でアクションが繰り広げられる物語が勃興し、そもそも世界が全て電脳だったらというサイバーなところで遊んでいる。唯心論や観念論を更に物質化・情報化して定義し、脳に刺激を加えることで成立しているゲーム的世界。それを是とするか非とするかの争いが、ドラマになる。神学とか哲学の領域を取り込むのはSFがやりたがる話なので、観念や思弁から人間対神という図式を拡散させる。自己の存在を揺らがせることで、例えばもしかすると自分はレプリカントなのではないか…と記憶にも疑いを持つ。夢かも知れない…。アンドロイドは電気羊の夢がどうしたとか、自分が観ている記憶は本当の記憶なのかインプットされたものなのかとか。自分が誰かの夢の登場人物に過ぎないとかもう死んでる人の残留思念とかクローンが見知らぬ夢に悩まされるとか、えーとえーとえーと…。

さて、突然ですが、特定の作品に行ってみよう。「オブリビオン」、観ました?

Oblivionという単語が、忘れるという意味なので、もうそこを明かした状態で話が始まっている。トム・クルーズ演じるジャックは、想い出せない何かを抱えつつ任務を遂行する、兵器の整備士。彼が取り戻していくものは何か、がドラマチックな訳です。
ところで、観た人は恐らく皆共通な感想を持ったんではないでしょうか、画面が繊細で緻密で大胆で美しいけれど、有機的でない。なあんか無機質だなあ。登場人物が少ないからか。フレームがだだっ広いからか。基本色となっているのが白だからか。テンポがそうだからか。いやもうそれら全部です。有機的にしないように慎重に編集され、音楽があてがわれている。
彼、ジャックは、やがて自分が何者かを知る。この知った自分ってのがねえ、何者であったか、何者でもなかったか、どう解釈するかによって、パラドックスの内容が変わる。もしも彼が、他の誰でもない自分自身であったならば、その自分は地球上に何人、何組、いたのだろう。彼等はその後どこでどうしたのだろう。彼等に想いを馳せる必要はない?ジャック達は皆同じように自分自身なんじゃないか。
登場人物にいかに感情移入させるかは、映画の重要なファクターだ。しかしこの作品は、ダブルバインド、トリプルバインドを駆使して、それを拒絶している。納得した瞬間にするりと残酷な側面が覗く。レジスタンスがここに至るまで殺してきたのは、ジャックと寸分違わぬ人だった筈だ。ジャック達は全員、書物に関心を持ち、スーパーボウルにノスタルジーを感じた訳ではないとしたら、彼等を繋ぐもの、分かつものがあるのだろうか。それとも…。
「オブリビオン」に綴られた物語は、廃墟になって尚美しい地上の砂漠に、恐らくは個の価値を透明にして全体と個性を近くにいるか遠くて知らないかだけで割り切った。その為には、アダムとイヴのように、カインとアベルのように、プロメテウスの炎のように、大国主命のように、それが個人なのかどうかわからなくても享受する為に、膨大な虚無感が必要だった。もしも、少ない戦闘シーンが、地上から遠目に見るものだったら、地球上空の冒頭シーンで音楽がライ・クーダーのギター1本だったら、その虚無感は殆ど観客の主観すら拒絶し得たかも知れない。盛り上がらない。ふっふっふ、完全にアートフィルムになっちゃったかも。トム・クルーズを主演に据え、VFXをふんだんに用いた大作としては困難な選択だけれど、そこ迄拒絶しまくったら、別な傑作が出来たと想います。しかし、安打は継続の為には大切だ。ここ止まりのメタな映画であっても、ぼくは充分に拍手を送ります。


孫悟空って、ほら、自分の毛から自分の分身を幾らでも作れるでしょう。彼は一度、魔界のものに壺に閉じ込められそうになった。その壺の中には、どんなものも溶かしてしまう毒が。しかし悟空は、毛を壺の外に投げ、分身として事無きを得た。
あらら、では壺の中では可哀想なオリジナル悟空が苦しみながら死んだのだろうな。
ぼくはその呑気な日テレ活劇を観てて、瞬間に戦慄した。ぐ、ぐろい…。




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by momayucue | 2014-07-03 23:00 | もーしょんぴくちゃー | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


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