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つれづれ

11/キリンジ

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敢えてバンドを名乗った、たにぴ@もまゆきゅです。

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドを始めるとき、
「バンド」にしたかったんです。
2人で始めたから、ユニットという呼び方が当時から流行ってたし、
男女でも、男男でも、女女でも、色んなパターンがあった。
だから、何にしても辻褄はあったんだけど、
ユニットというのは何だか今イチ捻くれてないな、と。
捻くれたかったんですね。

KIRINJIというバンドというか兄弟グループを始めて、
当初をホリゴメズという名前だった。
それを「きりんじ」なるしこ名っぽいものに変えた時の気分は、
「省略出来ない名前にしたい」
ということだったとか。ぼくらとは逆だ。
もまゆきゅは、省略しないとやってらんないし、省略しても言いにくい。
そのキリンジが、兄弟グループから形をシフトしました。
弟が独立し、兄がしこ名を引き継いだ。
聞くところに依ると、弟泰行のライヴのメンバーは、青山陽一バンドに近かった模様。
そして、兄は、編成からして完全にバンドになった。

ぼくは長らく、キリンジをあまり好きではなかったんです。
どうしようもなく気になっていたのに、
ある種のマニアをくすぐるだけくすぐって利用しているような、
本音の視えなさが、しゃくだった。
本音のつもりだったのかも知れないけれど。
少しずつ歩み寄って(向こうは寄ってないか)、或る日、"Drifter"にやられてしまった。
で、兄のソロアルバムが物凄く好きだったんです。
それからもうひとつ忘れられないのは、「それもきっとしあわせ/鈴木亜美」
泣いた泣いた。

果たして、新生キリンジのメンバーも、周囲も、皆が、
新しいこのキリンジをバンドサイズのバンドと認識している。
一寸うがった見方をすると例えば、キリンジの「声」だった弟が暖簾を継ぎ、
兄が個人名で活動することになったとしたら、どうだろう。
きっと兄は、自分の音楽性をフルに広げて、前衛音楽から映画音楽から、
プロデュースやゲストシンガーや…、禁じ手をなくしてしまったろう。
ことによると、冨田恵一さんと比べても、もっと高樹さんの方が自由自在だったかも。
それが、バンドというスタイルをとって、暖簾というかしこ名を継いだ。
ぼくがどう想ったかは、
いかなバンドというスタイルであっても、これは高樹キリンジだ、というもの。
それに全員が、パーツを超えて貢献している。科学反応と言えばそれ。
つまり、状況を受け入れる中で、冒険を最小限に抑えたけれど、
それでも冒険だったというわけ。多分この感想は合ってると想う。
当の新旧キリンジ達も、ファンも、スタッフさえ、
同じことをイメージしたに違いない、「進水式」「心晴れ晴れ」。
多分、堀米高樹さんという人は、全くKIRINJIと無関係な音像も作れるけれど、
今は、ちゃんと周囲の不安を払拭する挨拶をしようとしたんだと想う。
ヤスも、ちゃんとやってくだろうし、
自分も大丈夫だし、みんなやっていこう。
熱いロック魂とかではないから、今迄通りみんないこう。

さてぼくは、この処独善的に(というと言葉は悪いけど)、
フル・コントロールな音楽を抑えてます。
ちょこちょこっとはしてるけど。
もまゆきゅでは比較的、手の内を出しては却下とか採用とかをされるという、
「役割のある合議制」を取ってました。
それをあまり不自由だと想わないところが、メンタル的に高樹寄りなんだけど、
不自由じゃないなりに、「不自由でも自由」じゃない自由も、
広げようかなと想ってます。
体調の変化もかなりあるし、時間は無限どころか、僅かです。
by momayucue | 2014-08-26 23:45 | つれづれ | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


by momayucue
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