もーしょんぴくちゃー

魂の重量は、21 grams と言う説が

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まだオカルトが苦手だった子供の頃、魂の重さは7g、と本で読みました。死ぬと、水分が瞬間に抜けていく量、脂質の最期の燃焼、等々一応玄人が推測し得た中から、実際に、死ぬ瞬間の生体から遺体になる方の身体を測りに乗せ、直後に軽くなった分を差し引きし、根拠が見えない分が7g残った。すなわちこれが魂の重さ、という内容。
最近は、もう少しちゃんとした実験の内容を本で読むことが出来ます。但し、別説なのかぼくの記憶違いなのか、今では、オカルティズムを含めても、21グラムという定説(じゃないか…)。3倍になった。同じ実験で犬も行ったけれど差が無かったことから、実験失敗説も魂は体重に比例して犬は軽かった説もあったりして、緩い論争の状態です。ただ、周辺情報から見ても、100年前と比較的最近の事で、思いの外厳密に試験されたようで、当時、この21グラムは何か見落としてないかと慎重になったようです。


これが何故、この映画のタイトルになったのだろう。
21grams. アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督。

キングコング以来ぼくはナオミ・ワッツのファンになってしまった。綺麗で、下積みに近い時代があって、女優っぽい。気前がいい(エロ系サービスが多い)。日本が苦手らしいけど、あんまりそういう人もいないし、単にイヤな想い出があるだけみたいだし、政治絡みじゃなければいいでしょう。彼女と、ジミー・ペイジ似の巨漢、ベニチ
オ・デル・トロと、ショーン・ペン。いい俳優が揃った。更に、一寸錯乱気味の奥さん役でシャーロット・ゲインズブールも、すっかり才気を押さえた脇役として出演している。
彼等が翻弄される、life that going on.…。そう、どんなに悲劇が起きても、人生は続く。Life goes on。

心臓の移植を巡る、やりきれない、しかし絶望によく似た形や色の、希望のある、人間模様の、話です。

筋金入りのやさぐれた過去を回心し、クリスチャンとして暮らそうとしているが、今も世間に赦されてはいない、ついてない男。
その男に家族を根こそぎ殺され(交通事故)、希望を失った女。
その事故で死んだ男の心臓を移植され、九死に一生を得た、家庭がうまくいってない男。
事故がなければ無関係だった彼等が、お互いを知ったり知ろうとしたり、しながら、重くて不確かでネガティブな、しかし絆としか言えないような関係を得る。残酷だが、どこかが、かすかに、暖かい。
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演技派の俳優達が、とことんこの物語に、極めて日常的な、ヒーローも超常現象も出番のない物語に、文字通り尽している。この映画の特殊なところは、…特殊ではないのか、…特徴的なところは、音楽と、徹底的に編集を施された時間軸。

先ず音楽から行きますかね。
Gustavo Santolalla、片仮名だとグスターボ・サンタオラヤと記述されてます。アルゼンチンの音楽家がメインに、とてもミニマムな、80%ギターのフレーズだけの時間の音楽が、全篇を、しんみりと漂う。そして、音楽無しの時間もとても長い。こんな風に音楽をつけられたら、もう泣けって感じです。そこに時折り、タンゴが入り、弦楽が入り。こういう映画は日本だとなかなか無くて、むしろNHKの単発ドラマで、「その街の子供」とか、余韻が近かった(こちらの音楽は、今をときめく大友良英さん)。あ、「風花」とかは映画だ。あれもテイストは似ている(これも音楽大友さんだ)。ただこの21グラムの悲しさは、登場人物にとっては現在進行形で、更に、更に
さらに希望が小さい。彼等の普通指数は、震災の経験も性風俗業でもないし(意味不明ですね。でもここで解説はしません)。今作の音楽に戻ると、極めつけは、エンドロールの曲。サントラには入っていないらしいのですが、 "Some Devil/Dave Matthews"という、エレキギターとヴォーカルだけの歌。深いエコー。これがあまりにも映画を象徴していて、完璧な選曲。この映画の為に書いたんじゃないのこれ?
映画のカラーを決定するのに、音楽は非常にパワフル。完成度も格段に高められるし、ムードを正反対に持って行くことだって出来る筈。笑顔を、憂い顔に見せる為に、ライティングやズームや諸々を駆使するよりも、音楽でふっとそう見せてしまうことが、良し悪しは兎も角、パワフルです。最小限に使用された、最小限の音数の音楽パートが、常套句でありながらこの作品では抜群の効果で、しかもそれらが最後のエンドロール曲に奉仕してるようなカタルシスがある。
いやあ、カタルシスとは言わないよなあ…。でも、腑に落ちる。

そして、「徹底的に編集を施された時間軸」の話に。
解体、は、多分してないと想うんです。ぼくの印象ですが。ゴダールとかは映画の時間軸を解体している。しかしここでアレハンドロ監督は、時間軸をばらばらに、しかも細切れにしているけれど、これは明確に、新たな時間軸の構築であって、映画の枠組みの中でしか存在しません。施された編集は、前後が入り乱れていて、しかも呑み込める程の時間がない、数秒のショットもどんどん割り込んでくる。しかしそれらは乱暴でも脱構築でもなくて、慎重に、予感させ、記憶され、その後の辻褄を主張しています。
 さっきのあの血まみれは…大丈夫なんだろうか。
 この後彼女はちゃんと落ち着くんだよな。
 撃った。撃ってた…。
 並んで立ってるってことは…。
そうした予感を観客に伝え、映画の1秒たりとも無駄にしないように配置しています。特殊さを求めるのではなく、ただ、登場人物の丁寧な描写なだけです。ぼくが見かけたこの映画の評だと、兎に角付き合わされてる感に耐えられないだとか、やり過ぎだとか、ネガティブな意見が多いようです。ぼくは、もっとやり過ぎて前衛的にすることも出来たけどそれはこの監督の狙いじゃなかった、と感じてた。実際この細切れは、スピード感ではなく、遅さを感じさせます。遅さとは、人間の生活で感じる時間そのもののこと。ナオミ・ワッツ演じるクリスティーナが、
「あの子に、赤い靴紐を使わせてたのよ。青を欲しがったけど、あげなかった…」
と嗚咽する場面。この痛み、靴紐を自由にさせなかった悔いの象徴する哀しみは、彼女固有のものでなかなか他人に伝わらない。ぼくはあの場面で皮膚がひりひりする程辛くなったんだけど、それは、熱演によるものだろうか。それもそうだけれど、ぼくが想ったのは、あのいたたまれない時間の中に、まさに今自分がいるということでした。アレハンドロ監督に巻き込まれたんです。
もしもただごろんと物語を投げ出していたら、良く出来た重苦しいメロドラマを観た、ということになるでしょう。でもぼくは、放り込まれたんです。



そうそう、この劇伴の方を書いたグスターボ・サンタオラヤは、この後まさに21gramテイストの映画にまつわる仕事が続くんです。ブロークバック・マウンテン。バベル。アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン。オン・ザ・ロード。突き進んでるなあ。ぼくの入る余地が駆逐されてしまうじゃないか。





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by momayucue | 2014-08-31 22:26 | もーしょんぴくちゃー | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


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