地味な音楽が好きな、たにぴ@もまゆきゅです。
ぼくがもしレコード&CD屋さんを自分の趣味丸出しでやったとするでしょう。
店内でかける音楽は、所謂ロックでも、凄い地味な音ばかりで、
今風に言うと「あがる」曲がない。
店内が盛り上がるマイケルみたいなのがない。
現代音楽とかも好きでかけちゃう。
全くその、お店として成立しなーい!くらいな勢いですな。
VALENTIN SILVESTROV は、ジャケットとECMというレーベルで、
きっとこれは地味(^^;だろうと…。
で、予想を遥かに上回る地味さ。
ぼくはこの地味さを、延々車で聴いていたい。
シルヴェストロフという作曲家は、1960年代頃から活動している。
当初は、現代音楽の難解さの象徴のように言われていた。
強面の前衛だった。
それに反動があったのか、自己否定を始めたのか、判らないけれど、
近年は、反射そのもののようなシンプルさと、
拒絶なんて絶対にしない優しい音楽。2006年のこのピアノ・アルバムです。
演奏も、マスタリングさえも地味で、全く肌を刺激する所がない。
はっとさせない。
環境音楽を越えて、最早借景音楽てな佇まいです。
こういう変化を、根っからのファンは得てして歓迎しない。
ずっとアヴァンギャルドでいて欲しいものみたいです。
ぼくは、自分がリスナーでもあるし、
寧ろ作ってる時間よりも当然聴く時間の方が長いですから、
それにいつも巨大な違和感がある。
音楽を聴くという行為には、一緒に歌う、気合入れる為に聴く、勉強のBGMに、
或いは、映画やTVドラマの劇伴としてかかってるものを受け入れる、
等々、沢山の業況が考えられる。
好きで聴いてない人でも、サスペンスでドラえもんみたいな曲が流れたら、
違和感で感電しそうになるでしょう。
作曲する人だって、同じです。
「失楽園」を観てる時に、BGMが「ロッキー」だったらいやです。
じゃあ、ビル・コンティは失楽園を観ないのか?
観ないかも知れないけど、観たって変じゃない。
どんな作曲家が、自分のトレードマークみたいなものばかり聴きたいわけない。
そして、作りたいのだって色々だ。
多少似合う似合わないはあるでしょうけど、
コアなファンの我儘でやりたい音楽を制限されるんじゃ、
お互いに損でしょう。
ぼくは余程他人に文句言うのが嫌いみたいで、
他人に文句言ってる人に文句言いたくなるんだよね。
議論でさえ一寸抵抗がある。議論に分類されてるものでさえ、
「それって説得じゃなくて勝ち負けでしょう」
みたいな。
ましてやくさすだけの言葉は見るのもいやだ。
ばりばりの前衛から、言葉の本質的な癒しの音楽にジャンプしたシルヴェストロフ。
生半可な癒しならイヤだけど、これは、本当に素晴らしい音楽だよ。
ぼくは、誰のどんな変化も、受け入れる。
酷かったらやだけど。なんちて。