しみじみしてる、たにぴ@もまゆきゅです。
N.Y.で、アナログのアルバムを買ってた。
Brian Eno & David Byrne という才人中の才人ふたりによる、
驚異のインストゥルメンタル集。
今はご覧の通り、ボーナストラック満載でCDにもなってるのですが、
何故かカットされてる曲もあるのです。
コーラン。宗教的な事情から苦情が入り、CDには入らなかった。
両方持ってるぼくは、一応網羅してるわけです。
これは何て訳すの?
「幽玄の茂みの中の我が人生」で合ってるのかな。
殆ど進行らしい進行はない、ループ的な音楽です。
エスニックな素材と、ブラック・ミュージック。
このコンセプトと音像は、リリースされた81年の時点では、
圧倒的に新鮮だった筈。86年でもぼくはびっくりした。
ワールド・ミュージックって言葉はあったっけか。憶えてないけど、
多分ないです。
しかも、その後出てくるワールド・ミュージックの大方を、
軽く凌駕して、なで斬りにしてしまう。
ピーター・ガブリエルでさえ、85年辺りから少しずつ取り入れていって、
「最後の誘惑」のサウンドトラックでそれをやりきったのは、1988年でした。
トーキングヘッズの当時のコンセプトから見ると、
アイデアの宝庫ことENOが持ち込んだ、とばかりは言えない。
David Byrneのその後の活動を見ても、
ブラジルや、キューバや、様々なエスニック音楽に関心を示しながら、
決してそのままにせず、自分の寝技に持ち込むところから、
両者互角のプロデュースなんでしょうね。
ニック・ケイブというロック・ミュージシャンは、
ディヴィッド・バーンを当時物凄く毛嫌いしていて、
「カルチャー・バルチャー!」と罵ってました。固有文化を搾取する奴!と。
数年後に、全世界でその盗みっぷりが大流行するのだけど。
さて、これが所謂文化搾取になるかどうか、これは、
果てしなく意見が分かれています。
或る人は、
「ポール・サイモンのやり方は、底が浅い」
と批判する。しかし、底が浅いとNGで、深いとOKというのは、
果たして搾取という行為と関係があるのだろうか。
無いでしょう。深いとか浅いとかでも、搾取には違いない。寧ろ深い搾取の方が問題だ。
問題…深い搾取とは、所謂オマージュという言葉があるけれど、
原典への尊敬を込めていればいいのか。
では更に、搾取をしていない音楽や、映画や、作品や、アートは、あるのか。
マイノリティからの搾取がいけない、マジョリティからなら無理が無い?
そんな馬鹿な。実際にはストーンズがライ・クーダーからパクりながらヴァーヴの儲けをくすねてる。
今日のアルバムの音楽は、搾取なのか。カネ払ってるのか。
払うって、誰に?いやもう盗むというか、
多かれ少なかれ「頂く」しかないでしょう。
ディヴィッド・バーン、ブライアン・イーノ、どちらも、
作家性という視点でぼくは信頼出来るんです。
しかし、搾取を許す場合はどんな場合なんだろう。
使われた方が、これはまるっきりオレの手柄じゃねえか、と感じたら、
きっとダメだよね。使った側に対して、こいつはいい仕事だ、と想えないのなら。
なんて、それさえ個人で違うだろうし、セクハラみたいなもんなのかも。
…って言ったらセクハラかな。
ひとつ、この作品から浅くパクったワールド・ミュージックどもに対して、
浅過ぎてだせえよ、とそれから、
感動も再評価もこっちのものだよ、とそれから、
その儲けは全部搾取だ、と言いたい。