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もーしょんぴくちゃー

「第9地区」とサリフ・ケイタの"Solo"

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映画、「第9地区」については、一度さらっと書いてました。2011年5月、まだかなりシリアスな時期だったけど、何とか打破しないと、と葛藤してるたにふじがいました。これに、かのSalif Keitaを併せて、また無茶な運転をしようとしてますねえ。

まずは映画から。「第9地区」です。
簡単にしてしまうと、差別の話であり、階層の話であり、答えのない疑問の話であり、ルーツの話です。
よりによって…というか、この物語で、宇宙船はかの南アフリカ共和国の上空に出現する。たったこれだけの設定で、充分に状況は複雑になってしまいます。
例えば宇宙人が東京に現れたら、日本最大の都市に来た侵略者との単純な戦いというステレオタイプが成り立つ。N.Y.も、サンフランシスコも、ロンドンでも、…北京でも多分いけそうだ。
しかしヨハネスブルグだったら…。物語は、人種差別の色濃い南アフリカ共和国を舞台にするだけで、一気に多様化します。

科学技術が進歩しているというよりは、
「C++のクラスが数多く用意され、組み立てるだけで高度なことが出来るけれど、優秀なプログラマーが揃ってる訳じゃない」
とでも解釈したらいいのかな、民度の低いエイリアン。兎に角人類に出来ないような宇宙飛行や兵器の構築やロックを、かちゃかちゃっと成し遂げてしまうのに、巨大な母船の中では食糧危機に喘いでいるというシチュエーション。南アフリカ共和国と脆弱で無知なエイリアン達。これは、自動的に隠喩として機能してしまうでしょう。遠い星から来たけれどどうやら彼等はアンタッチャブルなんだ。現に人間側の多国籍連合MNUに居住区を追いやられてしまうし、サインをするとか何とかいった体裁も殆ど詐欺に近い。芸が細かいというか、設定の中にはエイリアンの人権保護団体といったフレーズまで出てくる。野蛮な弱者。容姿から「エビ」と蔑まれる。しかし彼等は、強力な兵器を持っていて、それを自分達のDNA(なのかどうか…)で認証して操作出来た為、その破壊力を巡る利権が存在する…人間側に。
そして本編の主役ヴィカス。彼は、権力者の娘さんと結婚した故に大抜擢された、エイリアン移住プロジェクトのリーダー。出世に舞い上がった状態で自らを口八丁のネゴシエイターと錯覚し、痛いめに遭いながらもエイリアンを説得する。あまりにも主役っぽくない髪形や表情に、最初大丈夫か?と心配になるんだけど、途中から、様子が変わる。或るエイリアン親子の家を、例の調子で立ち退きを迫る時、デュカスは、クリストファーという名のこのエイリアンは、他と違うことに気付く。こいつはまともだ…ヴィカスは会話で苦戦する。とは言え何とかことをやり過ごそうとした。しかしその際、誤って何かの液体を浴びてしまう。
当然エイリアンだから原理は解らない、けれどその後ヴィカスはその液体のせいで、刻々と、エイリアンに「変わっていって」しまう。自分が変化する恐怖と、差別の対象になる恐怖と、初めて理解する彼等の心情。彼の左半分は徐々にエビになり、同時に人間には扱えない彼等の兵器を使えるようになっていく為、その謎を巡るMNUとギャングとの抗争にも巻き込まれる。唯一の仲間は、クリストファー親子だけだ。

このエイリアンがもしエビらいくな容姿じゃなく、日本のヒーロー風なかっこいい奴だったら、物語の重層構造は機能を失います。粗暴で無知でキャットフードを喰らう醜悪なエイリアンが、砂埃の吹き荒れる貧民街に住むからこそ、第9の地区は新たな物語を産みます。兵器を操れる敵だったら人類は敵う筈もないでしょう。ウルトラマンみたいなヒーローが出てこなければ、侵略されるがままです。人間が頑張ってもせいぜいがインディペンデンス・ディのレベルなのですが、この作品の美しさを支えるものは、単純なカタルシスではありません。地上有数の差別地区と、更にその下位にもなりそうなエイリアン。狩りの対象に近いものがあります。英語は喋ってるけど、イルカ程にも庇ってもらってない。最初冴えない人類代表ヴィカスは、差別する側からされる側になり、追われ、やがて闘い、そして、家族だけを遠くから愛し続けるタフなヒーローになっていく。
ラストシーンの頃には、あのエビのシルエットが、醜いままで美しいものになる。
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それでも、あくまで差別されるものに対しての視点をテーマにした「第9地区」に比較するというのも問題だ、と認めざるを得ないけれど、次に登場するのは、アフリカの音楽家の中でも飛びぬけた天才、Salif Keita。
アフリカにはユッスー・ンドゥールや数名スターがいますが、サリフさんの緩急と憂いは、他のシンガー達と違う。どちらかというとユッスーもキング・サニー・アデもトゥレ・クンダも、闘争し、革命を起こす為の筋肉を有する音楽になっている。強靭さが誰の眼にも明らか。しかし、サリフ・ケイタの場合は、ぼくには違った音楽を感じます。孤独で、弱い。強靭なのに弱い。
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彼は、マイノリティの中でもあまりに特殊な位置にいます。
アフリカの、マリ出身。しかも何世紀にも渡る王家の血筋を引いている。但し、血筋を引いていながら、肌が黒くない。彼の肌は、黒人なのに白いのです。アルビノと呼ばれる色素劣性遺伝の形で王家に生まれたサリフ・ケイタは、その血族から、迫害されたのです。貴族が一族から追い出されたら…、民衆の側にとっても忌み嫌う対象になる。
彼は何にも属さない人間になりました。
音楽が、彼を何者かにする。属さなくても、何者かになることが出来た。サリフ・ケイタの強靭なのに孤独な歌声と音楽性は、少しずつ、容姿の神秘性もあいまって語られ、噂になった。そして、パリに移り住み、"solo"というアルバムが生まれる。そして、ワールド・ミュージックという現象の最前列に立つことになる。


噎せ返るアフリカの埃っぽい大地に、誰もが当たり前のように受け入れてしまう差別の風土がある。貧富と、有色や血筋や劣性遺伝を含む階級。そしてその一瞬の横断。あっさりと上から下に転がり落ちた主人公達の、孤独。「第9地区」のヴィカスには、映画冒頭には欺瞞とか不遜とかもついてまわっている。しかしいつかそれがどれ程醜いことかを感じざるを得ない立場になっていきます。逆にサリフ・ケイタは、もしかすると、人間とはそういう生き物なのだという諦念を最初から持っていたのかも知れないです。


有名な話として、UFOの目撃は近年ブラジルが圧倒的に多い。未確認飛行物体産出国です。ペレストロイカ前後、西側のポップ文化が流入したロシアにも、一気にオカルティズムがブームになりました。このことはつまり、経済状態と神秘主義は、ある種の計算式による放物線を描いていることを示します。

映画の快楽は、地上の何処にもないか、或いは滅多に見ることの出来ない風景や物語を見聞きすることだと想います。そこでは様々なものをさも撮影したかのように観ることが出来ます。宇宙から来た巨大なUFO、これをスクリーンで見るという行為。それを、ひたすら鮮明にするのか現実の出来事のようにするのか、どちらにしても、パラドックスをつきつけ、疑問を容赦なくつきつけ、見るものを否定し、ざわつかせ、いっそ眼をそむけさせる。音楽にも、映画にも、それは出来る筈です。孤独。ビート。観察。怒りと癒し。善と悪。共感と、拒絶。殊に、共感と拒絶は、見方を変えると全てのフェイズに影を落とします。つまり、伝わる人には伝わる、伝わらなかったとしても、譲れないものがある。そしてその譲らなさが共感のマテリアルになるんです。


とどのつまり、アートとは感情なんでしょうか。物語の果てにある、情緒。もっと適切な言葉がある筈だ。考えてみますね。
by momayucue | 2014-10-05 00:38 | もーしょんぴくちゃー | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


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