ディック・リー
Dick Lee
1989年にアルバム、"Mad Chinaman"の大ヒットで注目を浴びたシンガポールのハンサムボーイ。私は、当時活況だったWAVEの池袋ビルで、たまたまこのアルバムを聴き、釘付けに、いえ、金縛りになりました。アホみたいなミクスチャー・ポップス。音楽性はちゃんと高いのに根がMr.Booだった、みたいなズレっぷりに、お店で何度もずっこけ、しかもマスターテープが伸びてて音がメビウスの輪になってる曲もあるので、ずっこけた上に無重力、みたいな状態になりました。ATAさんやらと家で聴いて大笑いして、これいい!と大絶賛。
やがて、ミュージック・マガジンとかもほっとかなくなりました。
「坂本龍一や細野晴臣よりも楽しいワールド・ミュージックをやっている…」
というほぼ原文ママな取り上げ方も、嫌味じゃなく言いたいことはよくわかる。11PMにゲストで出た時は、XのYOSHIKIさんと並んでたのかな。ディックは当時中国歌劇の恰好をして(ぶっちゃけ孫悟空)踊りながら歌ったり無邪気なラップをしたり、ヴォーカルは人に任せて本人はHey!とか言ってるだけの曲があったりだった。派手なメイクをしたりするのは何故ですか?と司会者に尋ねられて、YOSHIKIはArtだとか何とか答えるのに対し、彼は、"Because I am BAKA!!"と答えたのを観て、人物のファンにもなりました。なんてイイ奴なんだ。普通にしてたら寺脇康文を更にカッコよくした様なルックスなのに、もしかしたらこの手の顔立ちは、ギャグ好きな宿命なんだろうか。
しかし、才能と明るさと、アジアという地理的なことが作用して、彼には大きな期待がかかり出す。いや具体的に期待を示されたかどうかは解らないけれど、彼は少し変わっていくんです。正直なところぼくには、迷走に見えた、と言ってもいい。
「シンガポール人、中国人、日本人、インドネシア人、タイ人、いいじゃないかそんなのは。ぼくらはアジア人、エイジアンだ。エイジアンと名乗ろう!」
こんなメッセージをコンサートで語り、オーディエンスを煽るようになる。人によっては健全な意見に想えるかも知れない。実際彼は健全だったのかも知れないです。裕福な中国系シンガポール人として生まれ、英国に留学し、西洋のポップ・カルチャーの中で育ったディック。80年代、まだ日本市場には斜陽になるなんて気配もなく、世界進出を目指すのなら、日本を窓にして、とごく普通に彼は考えたのではないでしょうか。勿論推測ですが、何分シンガポールのマーケットはとてもとても小さい。彼も、
「あの貿易中心の独立都市国家からポール・マッカートニーが来た!!」
と一泡吹かせたいと想ったのではないか。よって、アジア統合コンセプトが生まれた。
問題はふたつ。
ひとつは、文化やアートだけならいいのに、それらがカネになり、メッセージになり、国家の勢力に直結する。それがアジア人というくくりで束ねられるのは、やはり政治的な色合いが滲まざるを得ないでしょう。西洋諸国から見たら穏やかでない。
もうひとつそれに、アジアって、何処だ?インドは?パキスタンは?バングラデシュは?モンゴルは?台湾は?彼の属性の外にある本来のアジアさえも、おいおい冗談じゃないよ、と眉をひそめたでしょう。
「みんな仲良く、いつまでも。」
ともいかず、結局Dick Leeは失速した。自らの社交性が、彼を封じてしまったのです。
ただ、大風呂敷をもとに戻し、丁寧に音楽を作れば、何の大袈裟な問題も起きない。彼はずっとずっと、クリエイターとして活動していました。2000年、新世紀に彼は、他人に書いた曲や未発表曲を地味なアレンジでセルフ・カヴァーしました。それが今日の主役、"Everything"です。
ギャグなし。地味ながら良心のあるアレンジ。落ち着いたサウンド。それに彼の歌唱も、張り上げたりシャウトするのも無くはないけれど、少し高めで真っ直ぐな声。白状します。冒頭の曲を聴いたとき、これは地味だなあ…と想ってしまった。しかし曲が進むに連れ、大好きになった。一巡したあとまた1曲めをかける。やはりいいなこれ。
酸いも甘いも嗅ぎ分けた年齢のディック・リー。彼が選んだ音楽は、野心的な大作でも、圧倒的陽性なものでもなかった。過去の栄光を踏襲しない、物静かで誠実なAORでした。
恐らく、当時から彼のファンだという人なら、もっとダイナミックなものが好きで、この作品は余技に見えるかも知れない。企画モノっぽく。そして、AORマニアとは、はなから重ならない。AORマニアとは基本的に、70年代からのミュージシャンをフォローし、その世代をリスペクトする若手を品定めしてるから、ふと零れ落ちた意外な傑作を歯牙にすらかけなかったのかも知れない。このふたつの「かも知れない」が重なって、このアルバムは、あまり語られることがないようです。いや、忘れないで。コメディアンのシャレオツな音楽には、そこを通過したからこそのバランスがある。なあんてわかりませんが、まあ、聴いてみてよ。ビックリーするからさ。