もーしょんぴくちゃー

戦場でワルツを 眩しいアニメーション

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「おくりびと」という日本映画がアカデミー賞を受賞した年に、「戦場でワルツを」というアニメーション映画が、注目されました。こちらこそが本命、とも言われていたけれど、残念ながらオスカーを逃したけれど、映像表現も、テーマも、ストーリーも、価値の高い、堂々たる映画作品でした。
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舞台はレバノン紛争。イスラエルのアリ・フォルマンは当時19歳。国防軍の歩兵だった。大まかな設定は(事実そのままらしい)、1986年の紛争時の記憶を、24年後に戦友に再会した彼は、何故かすっかり失っていた。何故かってそれは、心的抑圧に決まっているのだが、現実世界でも映画監督である彼は、当時の戦友達を取材し、失われている記憶や、戦争と向き合う旅に出る、というものです。サイコな展開も、痛快なアクションも、現実を描写した映画だから、ありません。紛争というリアルがあるだけ。しかし言う迄もなく、そのリアルさはアニメであっても、…いや寧ろアニメーションだからこそ、飛び抜けてリアルだ。

アリ・フォルマンは、淡々と、現実的に、記憶を取り戻していきます。劇的なきっかけとか、ショックを受けて記憶を呼び戻すとか、頭痛とともに云々すら無くて、少しずつ。
ワルツを踊るようにマシンガンを乱射する男のシーン。船上で見た夢。歯でも磨くように時間が来ると出かける、運転と銃のめくら撃ち。夜の海を泳いで銃撃を逃れる男。聞き書きを映像にしているが、アニメーションだと、この聞き書きと回想の繋がりがパーフェクトに出来ます。その為にフォルマン監督がこの手法を採用したのか、ぼくには一寸まだ解らない。ただ、ストーリーへの貢献度は、もうこれ以上ないって位パーフェクト。

アニメであることについて。このシーンの繋がり方以外にも、この作品はアニメーションであることに主張が多々あります。非現実の風景と現実の時間軸との境界をシームレスに、とか何とかいうからには、非現実が充分に作家性を持ってないといけないでしょう。全裸の巨大な女が海から船に上がってくる夢、VFXで超写実的な映像にすることも、今の技術なら出来るでしょうけど、シームレスになるかどうか。寧ろ、飛躍を強調する演出になるでしょう。エアコンの効いたビルの中と、泥だらけの戦場、という対比を。でもここでは、一気通貫を選択してます。
冒頭の、26匹の野犬が襲ってくるシーン。基本的な線の強さが活きる。そう、この映画は、線がずっと太いんです。繊細ではなく、強い。青年誌の劇画が動き出すような、或る時は無骨な、或る時は野蛮な、或る時はぎくしゃくとしたドラマを纏うこの線は、乱暴ながら雄弁です。
裸で海から上がる少年歩兵達。炎に照らされる海と、男性器も含めた裸。オレンジに近い黄色は、眩しい。全体に眩しい映像は、まるでヴィットリオ・ストラーロのキャメラみたいです。
俳優達の、…と言ってもアニメーションだけど…、視線の動き。目線が、パワフルで、当然だけど誰一人として、朗らかで明るくない。
音楽も、素晴らしく効果的だし、単独でもとてもいいと想う。唐突に流れるオーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダークのヒット曲。中東のタフな反戦ロックも随所に。全篇のオリジナルBGMも、映像の眩しさを加速させる文字通り出色な出来。
それからもうひとつ大事な点を。ぼくはこの映画をDVDで持っているのだけど、ずっと日本語吹き替えで観ていたんです。アニメーションだし、声優が声をあてているのであれば、不慣れなヘブライ語でも、日本語でも、それ程印象が変わることはないだろうと想っていました。しかし、違うんです。どういうことかと言うと、取材の相手、戦友達の数名が、なんと自分の声でインタビューに答えている音声を使っているんです。意味はそれは全くわからないけれど、差し挟まれるノイズも含め、全ての臨場感が、通常のアニメーションの場合と全く違う。実写映画で俳優の声を聞くことよりも、もしかすると意味が強いかも知れないです。
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最後に、フォルマン監督は自分の体験を想い出しました。ラスト数分だけ、当時のニュース映像なのか、何処かの取材映像なのか、が挿入されて、ぼくらが見ていたのは、夢ではないのだ、というグロテスクな事実をつきつけて、彼の旅は、彼から我々にバトンを渡す。

で、終わりです。

人類は戦争をしてしまう生き物だ。どんな生物も大概、争う。戦争の悲惨さだとか、種の性だとか、そう言った壮大なテーマには、この映画は踏み込みません。1986年の「サブラ・シャティーラの虐殺」という、ただひとつの事件に、真っ直ぐ突進する、だけです。
「事実だ」
と。
アニメーションであっても敢えて世界観を広げ過ぎなかっただけに、監督の心象は明確に、観客に伝わってきます。


中東では昔も今も紛争が絶えない。ぼくには、どうすることも出来ないし、殆ど理解も出来ない。当初は、大概の戦争がそうであるように、ある種の代理戦争だった。アメリカもイギリスもかつてのギリシャもソ連も、日本でさえも、別な地域に戦争を肩代わりさせている。民族紛争という包括も、ぼく個人には理解の外です。宗教的な、数千年の祖先の恨みの責任を取らされているのか、或いはそれさえ何処かの大国に植え付けられた観念なのか。いずれにしても、もう血は流れています。血で洗うサイクルがルールになっています。止めようと願っている人は世界中にも当事者にも沢山いるけれど、一寸やそっとでは、いやどれ程のエネルギーを注ぎ込んでも、やむ気配がない。例えばこの作品にも、あまりにも視点が偏っていると言った指摘はあります。当然でしょう。紛争なんだから反対側の立場からしたら、いかに虐殺の加害者側から描かれていても、
「洗練された作品だが、プロパガンダだ」
という論調も有り得ます。2006年のイスラエルは、この作品からだと2014年よりも穏やかな情勢に見えるけれど、本当は違うだろう、もっと快楽的に戦争してたろう!と言いたいかも知れない。独りの人間が実際に体験した戦争を静かに語るとしたら、ぼくには皮肉でも何でもなく、
「過不足無い、等身大の良心的な物語だ」
と想えるのですが、反対側には、反対側の独り独りの人間がいるわけだし。

「アクト・オブ・キリング」というドキュメンタリーが、歴史上の虐殺事件を契機に一個人の体験を掘り下げ、人間という種に内在する凶悪な性と希望を描き出す離れ業を成し得たのに比べ、このアニメーション映画は、自分の体験を、過剰になることを避けて、時にスタイリッシュに映る程クールに描きました。


映画熱にうなされている最近のぼくも、アニメーションは流石に関わり方が解らない。どんな風に監督するものなのか、演出するものなのか、皆目わからない(音楽ならかろうじて出来ることがあるにしても)。だから、ひたすら身を任せ、圧倒されていました。
戦場でも、人は踊るもの?踊るように機関銃を乱射するっていうのは、詩的な表現をしただけなのかな。
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by momayucue | 2014-12-06 23:15 | もーしょんぴくちゃー | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


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