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小理屈「いやカタいのなんの」

スター・ウォーズ擁護派にとっての映画の整合性と、音楽の整合性

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周回遅れで「ローグ・ワン」を観たスター・ウォーズ弱者のたにふじです。

巷では最新の「エピソード8 最後のジェダイ」が、製作側や映画批評家の大絶賛の向こうで、ファンの超絶Disが飛び交ってます。ローグ・ワンの時にも触れた通りです。

結果的に、「最後のジェダイ」もちゃんと鑑賞し、いやこれいいじゃん!と想った私は、大前提としてSWの熱狂的ファンではないけどおかげさまで(誰の?)そこそこ細かいことも解るようになってきました。それでも、あれがいいって言ってる段階でもうアウトだという言い分が後を絶たず、凄いのは、
「持ち上げてる奴はディズニーの手先だ」
なんて。それは無理でしょう。
要するに、ストーリーの不備が酷いと言いたいようです。

で、今回は、そんなのに付き合ってる場合なの?という、さながら「進撃の巨人」の時のヒトをなめきった話から、そもそも現実に整合性なんてあるのか?ということを、音楽含め改めて書きたいと想います。つまり、「最後のジェダイ」を色々文句つけてる人が多いけど、そんなのは問題じゃないだろ!ということです。

きっかけは別にスター・ウォーズじゃなくて、#MeToo とダウンタウンのレイシズム問題です。
2017年から2018年にかけて、今も世間で諸々騒がれているふたつの事件。この手の話で揉めるのは大概がそうであるように、一方が個人の体験やスキルで切り分ける所謂「個別案件」で判断しているのに対して、もう一方は時代の空気によってゆっくりと大きく変わっている「潮流」とのぶつかり合いでした。その話が今どちらに振られているかを、意識したりしなかったり、テクニカルに敢えて外したりして、噛みあわなくなって揉める(「Black Box」という本やその著者の事件がネット等で荒れていたのは、本当に無茶な個人攻撃にしか想えなくて、私は彼女に対して行われた犯罪や司法の動きや行政や、全ての言い訳を、全く絶望的なものとして見ているんですね)。

これ、スター・ウォーズとかと関係無さそうでしょう。でも、後で、重要な伏線ですからね。

#MeToo のムーブメントで賛否が両方あったことと、ダウンタウン黒塗り差別の件は、いずれにしても個別の話と潮流の噛み合わなさです。

私個人の話。「最後のジェダイ」の何処が好きって、ルークがカッコいい。悩み、迷い、逃げ、しかし命をかけてファースト・オーダーのカイロ・レンを翻弄しきった。それに、カイロ・レンとレイの交感に、物語の未来がある。あの2人の葛藤とせめぎ合いが、あの時代の銀河の行方を決めた。そして、腕はいいけどお調子者だったポーが、タフな大人に成長する。私が個人的不満だったのは、たったひとつ、生き残ったレジスタンスが、こじんまりと見えてしまったこと。もう一寸、「独りひとりは弱くても、団結してる」感が欲しかった。団結はしてるのかもだけど今イチ脅威じゃないみたいに見えちゃう(次作のタイトルロールでは「撤退しポーとフィンだけになったレジスタンスは、ストームトルーパーから寝返る者をスカウトに奔走した」みたいになっちゃいそうで不安)。

あとは、問題ない。

では、問題だと言ってる輩に、反論してきますよ。はいスタート。

ポーの指揮官としての成長物語にする為には、作戦を伏せるのは、、一般社会では幾らでもあるでしょう。濱口秀司さんという人が唱えてるんですけど、マニュアルから手順→成果→カルチャーという順序で修業をすると、98%が師匠を越えない。越えてもらう為には、ぞうきんがけからやらないといけない。ただ効率が悪いし時間がかかるので、そこはケースバイケースで判断するしかないし、師匠としての自分が成長するタイミングでもある。つまりね、映画でも漫画でも何でもいいけど、現実よりも整合性を求めて却っておかしなことになるよりは、「現実的になった方が」いいんですよ。極端な例を挙げると、「ダイ・ハード」はマックレーンと黒人の警官以外はみんなバカだらけだったでしょう。官僚的というニュアンスなら兎も角、ただバカなだけ。そんなものはスター・ウォーズ以上にリアリティないです。整合性なんてそんなものだとも言えるし、現実だってそんなものとも言える。ローグ・ワンが好きなのはそこで、以前書いたとおりです。

フィンとローズのズッコケ旅行。あそこで走らされてた動物を飼ってた少年が、最後にフォースの片鱗を見せるのだから、フォースは消えない、ジェダイは受け継がれるという着地をちゃんとしてる。ちょっとディズニーくさいが、ディズニーなんだからディズニーくさくて当然です。っていうか、SWってそんな話でしょう。アナキンとオビワンのコントみたいな始まりとか、すべるギャグばかりじゃん。そこが好きなんじゃないのみんな?

無重力なのに爆弾を落としてるって言ってる人もいたな。SWってずっとそうだよね。Xファイターも何もみんな画面で上向いて揃って飛んでるし。宇宙って空気もないから、爆発すると風圧で隣のXファイターが壊れたりしなくて、破片が飛んでくるか、それよりも先に光の放熱でやられる。でもそんないちいち戦闘シーンに文句言う奴は、一生ゼロ・グラビティをゴーグルつけて3Dで観てないといけない。あ、もっと決定的なことを言いますと、最後のジェダイ冒頭の戦闘シーンは、何処かの惑星に近い。つまり重力圏内なんです。そしたらさ、多少軽くても止まってればゆくゆくは物は落ちるんです。

レイが薄い、というのは、その通りで、今回はレイはパーツ。半人前のポーが成長することと、レイアとルークの再会と、ルークの内面と、カイロ・レンの若くてかっこいいヒールがデビューしたことが、これからのレイの物語にも繋がるでしょう。「エイリアン」の主人公はシガニー・ウィーバー演じるリプリーだけど、彼女が主人公になったのは、結果なんです。クレジットで見たら、シガニー・ウィーバーは最初じゃないし、映画冒頭では明らかにクローズアップされてない。それは余談ですが、レイとカイロ・レンのクロニクルが大きな軸にありつつ複数の話が当たり前に動いていくだけです。

私は、SWには普通に面白ければいい程度の期待しかしてないです。想い入れが走り過ぎてDisってる意見なんて鬱陶しいし、何より図式として「ピープル対ジョージ・ルーカス」そのままだ。製作側、批評家などの玄人筋は一様に絶賛し、ユーザー側の人はブーイング。おかげで、批判している人は「ピープル」だ。

さて、音楽の話だ(やっと本題に近付いたけど、まだ先だ)。

音楽を聴く人って、自由じゃないですか。好きなときに、好きな音楽を聴ける。多分リスナーとしての桑田佳祐さんはスティーヴ・ライヒだって聴くでしょう。でも、音楽を演る立場って、かなり不自由になる。サザン・オールスターズがミニマル・ミュージックをやりたいかどうかは兎も角、やったら当然誰も聴かない。それがどんなに優れていたとしても、求められてないから。はっぴぃえんどの細野さんがイエロー・マジック・オーケストラを始めたとき、旧来のファンは面食らい、拒否反応を起こした。それが解消されるには大変な手間と時間と粘りが必要だったし、今でも解消なんぞしとらんわ!って人もいる。細野さんにしろ教授にしろ、例えに出した桑田さんにしろ、リスナーに求められてること以上に、自分に蓄積された音楽は多いし、その中からやってみたいことも多い。でもやると文句を言われちゃって、全部受け入れると「信者」みたいで気持ち悪い(…教授に対するたにふじみたいなもの)です。
やりたいことを振り切ってやってしまう、というのは、職業にしている音楽家であれば当然蓄積も技術も鍛練もしてるけれど、実行は茨の道。とか言ってたにふじ自身は、ファンがいないのをいいことに、お金の都合がつく範囲でやりたいことどんどんやってきましたが…。

また、逆もある。

ボサノヴァは、ラテンですよ、括りの中では。フラメンコも、サンバも、サルサも、タンゴも、ラテンです。でも、総称でのラテンはわかるけど、それらのひとつを「ラテン」って呼ぶとめっちゃ違和感がある。アルファベットで綴られる言語を全部英語って言っちゃうみたいな。この辺は、
「ああオレって音楽になると了見が狭いんだな…」
で納得して黙るあたり。ところが、絶対にイヤなこと、受け入れられないことがある。
"Summertime"というタイトルの、ガーシュイン作曲の超名曲。メロディック・マイナーのコードに乗って、黒人のお母さんの哀しい想いが歌われる。この曲を、まるで「宇宙のファンタジー」みたいにファンキーでネアカなアレンジで、
「夏は楽しいわ。魚が飛び跳ねて、木綿畑は豊作♪」
ってやってるバンドを見たことがあります。これは、生理的にダメだった。

無邪気さや、想い入れは、一人ひとり違うから、自分の中で解決しても、大きな世間の流れで見ると外れることがある。逆に、世間はお前にそれを求めてないって言い分が自分目線の押し付けになってないかも考えないといけない。私は殆ど病的に、
「その行為は価値観の押し付けじゃないか。または、或る人の自由が危険なメッセージになってないか」
を測る癖がついてしまってます。なるべく、許されたいし、許したいし、笑いたい。しかし自分なりの了見の狭さだってある。どうしても差別主義は嫌いだし差別する行為は一切合財滅びて欲しい。


さて、実は今日のテキストは、大きな意味で伏線になってます
アントニオ・カルロス・ジョビンとクラウス・オガーマンの邂逅による、音楽の話です。
是非ぜひ、、お楽しみに。












by momayucue | 2018-01-17 22:43 | 小理屈「いやカタいのなんの」 | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


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