ASD、自閉症スペクトラム

0>0.5のパニック

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9~10歳。小学4年生。
担任が、野村先生。

正直、「先生」とかつけたくない。以下野村さんと書きます。

野村さんは、中年の女性教師。
ぼくは、学校の先生という人種が好きだった。
どうも同級生とも下上級生ともあまり馴染めず、輪に入れない傾向がありました。人気者になりたいとか想わなかった。ただ人気者の視野に入ることも出来ないといのは何とかならんかともがいてた。自分の何処が変わってるのかわからないけど、どうやら結果がそうなってたんです、いつも。昼休みのドッジボールも、チーム分けに自然に入れることは無くて、しかも苛められてるという露骨なものでもなくて、…何となく居心地が悪い。
しかし先生って、若くても年寄でも、まあ大人だから、そこそこ構ってくれる。言葉も通じる、というか相手は生徒だし読み取ろうとしてくれる。

ただ、野村さんは、好きじゃなかった。明らかに他の先生達と違った。ユーモアが無かった。1年の担任期間、冗談を言って生徒を笑わせてた記憶がない。国語の授業でぼくが書いた詩に対して、大して必要もないのに修正が施されたけれど、それが当時住んでいた多摩地区の子供詩集に採用された時には、その修正は元に戻されていた。ぼくの方がセンスが良かったとか言いたいんじゃなくて、「必要もないのに、権威を示したいだけで修正させ、見抜かれた」のだ。それから、壁新聞なんかで先生に取材とかするでしょう。「好きな歌は?TVは?」みたいな。先生って色々だから、「日曜洋画劇場」とか、「ロッテ歌のアルバム」とか、「時事放談」とか、当然多様なものが出てくる。だけどそれなりに配慮ってものがあって、生徒が作る壁新聞に、「旅への誘い」なんてメロドラマを応えるって、…。これを読んでくださっている方は、そんな世代じゃないでしょうし、「岸辺のアルバム」程の後世に語られる作品でもないから、こんなタイトル聞いたことないでしょう。ただぼくの違和感だけが伝わってくれたらそれでいいです。先生達の好きなTV番組が縦に並んでる中で、1列だけ、「旅への誘い」とある状況を。

要するに、「でもしか」だったわけ。

それはまあやり過ごせる。誰だってでもしかなもんじゃないですか。生徒だって、学校に行きたくて行ってるわけでもないし。
しかし或る日、事件が起こった。ぼくは、今もその出来事について考えている。

算数の授業。野村さんが淡々の教科書の内容を進めてた…のかな。そこはどうでもいい。彼女は何気なく、こう言った。
「0.5というのは、0よりも小さいですから…」
ぼくは、すぐに気付いて、挙手して、是正した。
「先生。0.5はゼロよりも大きいです」
野村さんは、やんわりとその小学4年生の発言を否定した。
「違うのよ。0.5っていうのは、ゼロよりも小さいの」
ぼくは引っ込めたかった。面倒に首を突っ込んだと想った。でも、幾ら何でも、酷くないかこれ?
「いえ、ゼロよりも大きいです。先生勘違いしてます」
そして益々面倒なことが起こった。クラス全員が、こいつ何言ってんだ?と言う眼でぼくを見始めた。そう、全員が、何等かの理由でなのか、単なる盲目的になのか、野村さん側についたのだ。全員だ。全員がぼくの指摘を排除しようとした。口々に、話を止めるなよとか、先生に何言ってるのとか、単なるざわつきとか。野村さんは口をへの字にして、当然でしょみんな、さあ続けましょう、という態度を取った。冷やかな空気。すうっと世界がぼくの前に線を引いて、その反対側に回り込んだ気がした。ぼくは、絶対違う、と言い続けてた。
「じゃあ、ゼロより小さい0.5と0.5を足すとどうして1になるんだよ!」
クラスで勉強出来る部類のヤツが挙手して、こう言った。
「それは、そうなってるんです」

次の授業は、音楽だった。音楽の授業中ずっと、泣き虫のぼくは泣いていた。

音楽室から自分達のクラスに戻って、野村さんが最初に言った言葉。
「みなさんすみませんでした。たにふじ君が正しかったです。0.5は、ゼロよりも大きいです」
その時の野村さんの表情も、クラスの反応も、ぼくは全然憶えていない。すぐに次の授業が始まったのかどうかも憶えていない。ただ、気は晴れなかったし、達成感も無かったし、誰一人謝らなかった。野村さんが、「みなさん」に謝った以外は。

今でもぼくはこの事件に学び続けている。何度も、想い出して、絶望している。

大人だからと言って、信用出来るわけじゃない。
間違いを認める場合と、嘘をついたり言いはったりする場合がある。
引っ込みがつかない…という感情がある。
誰もが、扇動され巻き込まれ盲信する。
そして、気まずい想いをしても、言い訳をして、たいして反省しない。

この経験からぼくが、学んだこと、それは決してぼくが成長したなんて傲慢なことじゃない。自身がそちら側に回った経験も、1000回や2000回じゃない。ただ上記のこと以外に、ぼく個人がぼく個人について知ったこともある。流しておけばいいことを、流せない傾向が、どうやら絶望的に強い。長い物に巻かれてしまいたいのに、巧くいかない。それが、ぼくだ。























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by momayucue | 2018-04-09 22:55 | ASD、自閉症スペクトラム | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


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