ASD、自閉症スペクトラム

ノルウェイの樹海へ

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※今日のテキストは、小説並びに映画「ノルウェイの森」、フェリーニの『8 1/2』、イニャリトゥの「バードマン」の壮大なネタバレを含みます。

吉本隆明が、
「良い小説とは、『これを理解出来るのはオレだけだ』と皆に想わせる小説だ」
という言葉を残しています。

発売当初から絶大な人気を博し、現在も村上春樹の代表作として読み継がれている、「ノルウェイの森」は、ぼくのまわりでとても奇妙な現象を起こしていました。あの本が大好き、という人物にそうそう逢わない。しかし、ベストセラーとして売れまくっていた。おかしいな、どうなってるんだ、…と想うでしょう?でも、あの小説が好きな人は、多かれ少なかれ、そんな体験をしてないですか?沢山いる筈なのに、それぞれが孤独、という。

ぼくは村上春樹の熱烈なファンということではないけれど、読んだものはどれも大好きです。最も好きなものは、「回転木馬のデッドヒート」と、「羊をめぐる冒険」かな。勿論、この小説も、かなり好きで、何回も読み返した。

彼の小説はとても不思議です。リアリティがない。伝えるべきは物語なんだけど、物語よりも文体の方が残る。じんわりと、それぞれの解釈をさせる。「喪失と再生」「諦念」「カリフォルニア的な楽天」「いやそうじゃない」「誰も理解してない」「私だけがわかる」…ETC。物凄く大雑把なストーリーを言ってしまうと、「ノルウェイの森」は、…
…ワタナベが自死した親友の恋人である直子を助けようとしているうちに彼女に惹かれ、彼女はそのことに自分の混乱を増幅されて精神がおかしくなっていく。孤独なワタナベの前に、ミドリが出現する。ワタナベがミドリにも恋をし、右往左往しているうちに、タイムリミットが迫る。直子は自死を。そしてワタナベは、ミドリに電話する…。
という話。

これで、ハルキストにはかなり反感を買ったであろうことは、想像に難くないです。やれやれ。

完全に自説なので、んな話じゃねえよ!と想われてもしかたがないけれど。そういう方はそれぞれが自説を何処かで展開したり、共闘したり、スルーしたり、して下さい。ぼくがここで述べたいのは、もう少し先に送ります。

幾つか共通項を見出せるものが。
例えば、フェリーニの『8 1/2』。巨匠と謳われる映画監督が、8作目に続く9作目の構想が纏まらず、マスコミに追い回され苦しんでいる。妻と愛人に板挟みされ、主張する俳優達や、役を得ようとする俳優達。既に始まっている大バジェットのセット。しかしストーリーが無い。監督は、自死を…。その後は、…?
例えば、「バードマン」(タイトル長いので略)。かつてはヒーローものの主人公を演じ大スターだったが、俳優としての評価は得られない、リーガン。彼は一念発起、ハリウッドからブロードウェイに場を移し、文芸作品の舞台演出と主演に挑戦するが、問題は山積。批評家はハリウッドをこころよく想っていない。愛人。ヤク中の娘。酷い演技の俳優に起きた事故。そんな中でリーガンは、かつて自分が演じた「バードマン」というスーパーヒーローの幻影と会話する。プレミアの初日、ギャグのようなトラブルはYouTubeで拡散され、話題だけは万端。批評家は完全に彼を嘲っていたが、ノイローゼになった彼は、最後に舞台上で、シーンに併せて拳銃自殺を図る。自殺は失敗するが、舞台は観客からも大向こうからも絶賛された。彼はバードマンを追い払うことにした。
例えば、北野武の「ソナチネ」
それから、太宰治の「人間失格」もそう。

ノルウェイの森を彷徨うワタナベはつまり、それなりに知的でありながら、外部と内部と両方に振り回されて、「決断出来ない」んです。

彼が、例に挙げた映画の主人公達と決定的に違うこと。いや、本質的には同じなんだけど、作者の村上さんが用意した結論が、違う。ワタナベに自死をさせなかった。いや、あのまま物語が続いていたら、もしかすると、「そうせざるを得なかった」かも知れないです。物語の中で状況はゆっくりと煮詰まり、誰もが彼の感情を理解する。しかし、どうする…?他の物語では、主人公は自殺を図り、成否は兎も角物語は幕を引く。ワタナベは、台詞にもあるように、
「生きることを選んだ」。
結果。直子が自死して、悲しみの中でも選択肢は定まらざるを得ない。そう、「そうせざるを得ない」状況になった。ワタナベは、ミドリに電話します。

村上さんの短めな小説(確かデビュー2作目の「1973年のピンボール」だった気が…)の中に、こんな文がありました。
「直子は死んでしまったのだ」
普通に考えたら、この直子は、ノルウェイの森の自死した直子、ですよね。彼の小説では主人公に名前がないことが多く、その短編でも名前はうまいこと避けられてますが、もう一度普通に考えたら、「一連の物語はワタナベの人生」です。デビュー作「風の歌を聴け」で、推定ワタナベの友人の「鼠」は、小説を書くことになってます。鼠の小説では、登場人物は誰も死なないし、誰もセックスをしない、何故ならば放っておいても人間は死ぬしセックスをするから…(鼠説)。更にもう一回普通に考えると、風の歌を聴けの推定ワタナベは、
「これまでに3人の女の子と寝た」
と語ってます。
その3人、誰だ…??

パラドックスはこのくらいにして(^^;、村上さんは「風の歌を聴け」で鼠に語らせた、「誰も死なない、誰もセックスしない」というのを、まるっきり反対にした長編を書こうとしたそうです。それが、「ノルウェイの森」。当たり前だろ、という勢いで人が死んでいく。セックスもしまくる。その果てにワタナベは、決断を迫られることになってしまった。これ迄の推定ワタナベ達が、勇気を持ってやるべきことをやればよかったのに対して、認定ワタナベは、袋小路に自ら飛び込んだ。映画版の方で菊地凜子さん演じる直子(彼女の他に誰が出来るだろう。凄い女優だ)がワタナベに、
「あなたの存在が人を苦しめるのよ!」
と泣きじゃくりながら告げる。
どう立ち回っても、どんなに考えても、時間よりも残酷なものはない。

キズキは何故自殺したんだろう。直子は何故ワタナベの存在が人を苦しめると言ったんだろう。ハツミさんは何故?無限の解釈がされる。失恋で?まさか。引き裂かれて?何にだよ。行き詰まって?そうだろうけどさ。

ぼくが気になるのは、ここから先です。村上春樹の小説は、非常にメジャーな売れ方をしている。どんなに国内で大向こうからの批判があっても、実際に日本でも海外でも熱烈な支持者が大勢いて、海外での影響力は日本人の現役小説家では最も大きい。しかしその中でも「ノルウェイの森」の影響はいささか特殊です。恐らく理解出来ない人には全く理解出来ないんです。1ミリも。ひとしずくも。そして理解している人だって、かなり独善的に、ばらばらに理解してて、現にネットでは「殆どの読者がこの物語を理解していない」なんて記事が幾つも見つかる。以前mixiの村上春樹コミュニティでは、映画化のニュースが出て、やがてキャストの情報が出てくると、菊地凜子が直子なんて許せない、抗議活動する!なんて言い出すヤツが沢山いて、火消ししてあげたら管理人さんにこっそり御礼言われたことあったな。ハルキストでも、温度高い人もいる。だからそこへ異議はあまり言わないつもりですが、それでもひとつだけ、ぼくが文体から感じる明確なことがあります。

ちっとも明確じゃないか。抽象的かも。いや抽象にも程があって全然伝わらないかもな…。

「自死した人達は、或いはそれを招いた人達は、どうしようもなかったのだ。それを前にして、なす術もなく、そうなったのだ」


殊ノルウェイの森を巡る文壇の批評は、批判を大きく超えた、「しゃれた罵倒」にさえなっています。なのに、人口の数%は途轍もなく自分の内面に近いものと認知しているようです。平行線どころか、3Dの直線みたい。いかなる方向にも噛み合わない。どちらにしろ、最終的な評論めいたものを述べる気はぼくにはないのですが、登場人物達が特定の人達に共感を得ている理由は、その「なす術もなく、そうなってしまう」のが伝わってくるからです。「どうしようもなかった」のが伝わってくるからです。それが伝わらない人には幾らでも欠点が浮かぶでしょう、しかし、異空間なんです。3Dなんです。
村上春樹さんは何処かに、
「どうして皆僕の小説の主人公を僕と同一視するんだろう。彼等は登場人物なのに…」
という趣旨の言葉を寄せています。しかし読者の感想は当然でしょう。主人公に名前が使われず「ぼく」となっていて、その上に登場人物の名前が、仕様の同じ別々の作品に使われて、関連を匂わせているんだから。

ぼくがぼくなりにハルキストであることは言う迄もありません。

しかし、ぼくはどちらだろう。ワタナベのように生きるのか。キズキのように、そうとは解らないうちにそちらへ踏み入るのか。
永沢のような人物は周辺に見当たらない(現実社会にいたら少し間が抜けた人物だろうと想う)。













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by momayucue | 2018-04-24 08:26 | ASD、自閉症スペクトラム | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


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