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もーしょんぴくちゃー

ラッキー=ハリー・ディーン・スタントン

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たにふじです。

映画俳優ではないですが、音楽を作る時に、自分に期待されていることをちゃんとやりたいと想いながらも、自分の知らない自分を出してみたいとも想うわけですよ。アコギでのインストを依頼された時に、普通に癒し系じゃなくて、ハーモニーにもリズムにも、普段その依頼主が使っていないテイストを挟み込んでみたり。まあ怒られたら引っ込めるのですが、完全な予定調和って退屈じゃないですか。なので「こういうのもイケるでしょ?」みたいなことをしてみたくなる。映画俳優は、監督の目指す作品像というものがあって、俳優は基本的にそれを実現するパーツです。キャスティングのときに、「水谷豊にまたチンピラみたいな役をやらせたいな」とか「吉永小百合に殺し屋とかどうかな」とか、意外性を求めたりハマり役も必要だったりして、考える。それを引き受けた俳優は、監督の意図を理解して演じる。その時に、俳優ってどの程度異物感を出そうとするもんなんだろう。異物感でなかったとしても、一寸気合い入れて怪演にしちゃおうとか、それも最後はお任せなんだろうけど。

Harry Dean Stantonは、ぼくのような趣味の人間には非常に味わい深い俳優です。パリ・テキサスでのトラヴィス。超然としていて、幽霊のような、幼児のような、タイムスリップして現代に行き着いたような、解脱した佇まい。いや実はよく見ると、ハリーは、どの映画でも、主役ではないだけで、その飄々キャラのままだった。
どんな映画でも、です。

不器用とも、器用とも呼べそう。どっちでもいい。ハリー・ディーン・スタントン。そのままの男が、またそのままで、あて書きされた映画で演じていた。「ラッキー」
そのあて書きっぷりがほんとに凄いんですよ。最早残酷!

90歳の孤独な、でも達者な独居老人、ラッキーさん。アメリカのどっか南西部で、体操をし、珈琲を飲み、恐れることなく煙草を吸い、バーで酒を呑みながら馴染み客と毒を吐きあう。亀が逃げたとか、保険屋がどうとか、眩暈して倒れたけど検査しても何も無くてぼんやりと不安とか、…。

以上…。

いやあ、凄いですね。もうそこに立ち上がってくるのは、人物だけでした。事件ってものもないから、人々の日常しかなくてさ、めんどくさいけど可愛げがあるじいさんが、変な映画ばかり撮ってる割りには常識人な監督が演じる友人と、亀の会話するとかさ、家で倒れたけど何事も無かったのにびびってるとかさ、とかさとかさとかさ…。
要するに、普通の映画だと、登場人物のざっくりとした説明に使われる3分くらいの内容が、1時間半の映画になってるんです。これね、あらすじって程のものも、ぼくから見たら「ない」んです。パンフレットとかには、何かストーリーらしきものが書かれてるけど、そこに大した意味はないです。では、退屈か…、そうそこが問題なんです。

愛おしき日常とか、少しだけ非日常とか、そういったことなんだろうか。限りなくそう見えるけど、どうもぼくはそう受け取りたくない。非日常ではないし、愛しくもない。そんなに特別な価値なんてなくて、それでもいいんだ。ハッピーじゃなくて、90年の間に少しはラッキーがあって、これといったこともなく、亀の歩みみたいに人生が過ぎる。何が悪い?だって殆どの人生が、猫生が、犬生が、亀生が、サボテン生が、そうじゃない?それを映画にして、何が悪い?だってぼくは観たじゃん、その映画を。ハリーの顔だけで。

ラッキーは、何故歌い出したんだろうね。人間って、急にあんなふうになけなしの陽気さを周りに振る舞いたくなるよね。海兵隊員は沖縄で出逢った少女に何か決定的に人生を変えられたわけでもなくて、ふとした時に想い出す、そんなものだよね。辻褄とか伏線とか読み取らなくていい。穏やかな4コマ漫画よりも更に穏やかな風景が、映画1本分になってるだけで、充分にいいものなんだよ。だって、現実を現実に描かせたんだもの。ラッキーをあて書きされたハリーは、演じる必要もなかったんじゃないかな。歳も同じで、背格好も風貌も作る必要なくて、台詞も自分の言葉として違和感ない。マーロウみたいな切れ味じゃなくて、「場を繕う為に喋るより、気まずくても黙ってる方がいい」とか。「調子はどうだ?」「それを知りたい」とか、気障でも何でもないんですよそんなの。小津っぽいかも知れないし(日本だったら「幸男」とかいうタイトルで故笠智衆さん)、ヴィム・ヴェンダースっぽいかも知れない。ただねー、それらを更に解脱させてもうすぐ死ぬくらいなんだもーんみたいに薄口だから、その老けっぷりが芸術的。修行してない。ハリー・ディーン・スタントンは、もう事実としてそこに映ってる。

いったいどうしてこんな映画が作られたんだろう。ぼくにとってはハリーは超大事な俳優だけど、どんな俳優も、俳優人生の後期にこんな映画を撮ってもらってない。ラッキーだ。ハリー・ディーン・スタントンには、「ラッキー」がある。監督も、共演のディヴィッド・リンチも、みんなハリーに「ラッキー」という映画を送ってる。ラッキーだ。


















by momayucue | 2018-06-19 21:01 | もーしょんぴくちゃー | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


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