もーしょんぴくちゃー

クリストファー・ノーランのBATMAN

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すみません、ノーラン・バットマンについてけっこうネタバレしちゃうけど、ご用心をば。


今、ハリウッド製の大作映画は、かなりの部分アメコミかリメイクに頼ってます。発端は多分ティム・バートンのBATMANが大ヒットしたからだと想うのですが、例によってあんまり自信を持っては言えません。

私の主観では、アメコミ革命の3本柱は、
バットマン/ティム・バートン(1989)
スパイダーマン/サム・ライミ(2002)
と来て、2005年にクリストファー・ノーランが新たなバットマンを始め、シリーズ2作目のダークナイトで一寸レベルが変わった。
このDarkなKnightつまり暗闇の騎士は、高潔な人間も罠に堕ちて悪に回ってしまうことに怖れを感じながら、また大衆が扇動されて差別と分断に導かれる様を見ながらも、最後の最期に、良心を信じるというアクロバティックな理想主義を、パーフェクトなタイミングと映像と演出の説得力で描き切りました。でまあ、今更なんですがこのパーフェクトな映画を、散々マーベルものが出揃って最早とっくに食傷なたにふじが、一寸擁護したくなって書き始めたんです。

「擁護」?え、なんでこれを擁護するの?だって誰も文句ないでしょう?
それがね、いるんです。それもある層には結構な影響力がある人が。

主な言い分としては、
「レイティングを気にしている。ここ迄やるのに残酷シーンを気にするのが腰引けてる。ジョーカーを演じているヒース・レジャーが素晴らしいからこそ、そこで躊躇わずにばっさりやって欲しかった。それさえあればこの映画は歴史に残る傑作になっただろう…。」
「本来荒唐無稽なヒーローものをリアルに描こうとして、そのこと自体が目的化している」
云々。

どうしても私に理解出来ないのは、残酷なシーンがあれば歴史に残る傑作に…なるのか?ってことです。
想い切るのは大事だけどさ、逆に残酷なシーンって、時代と共にリアリズムと派手さのインフレになってくだけなんです。それを最重要テーマとするのなら、「マイルストーン」としての価値が出る。しかし、そうじゃなかったら、敢えてこの作品にスプラッターなんて要らないし、却って幼児性が水増しされるだけだ。
現に(先に「とっくに食傷な…」と書いた通り)私見ですが一連のMARVELものは、所謂スーパーヒーローが結集してより強大な敵に立ち向かうストーリーを、もう何回も繰り返しています。破壊力はどんどん増していき、チームは毎回疑心暗鬼と友情の再生を通過し、結果として、展開が異様に速く音楽でずっと観客を煽り永遠の戦争とか言って舞い上がってる。闘いは、終わらせなきゃいけないのに、何故そんな…?観てないからわからんが…。結局のところ、音楽でも映画でも、ある沸点に達すると、ひたすら興奮を増幅させるだけになり、バブルが弾けることを忘れてしまう。
そうならないものが、古びない、10年後20年後も傑作と呼ばれるんだと想うのです。

主人公ブルース・ウェインはウェイン財閥の御曹司。幼い頃井戸に落ちた経験と眼の前で両親を殺された記憶が、常に自分を苛む。悪を一掃したい…、しかし、悪は無くならない。何故なら社会が悪を産むシステムになっているから。ではどうするか、人々が悪に走らない社会にする。その為に彼は葛藤する。謎めいたヒーローや、裁判の機能。しかし人々はあっさりと恐怖に屈し、腐敗に染まり、差別と偏見から攻撃し合う。
非常にシリアスなテーマを、非常にシリアスに描くのが、ノーランの目的です。
であれば、スプラッターなシーンは却って荒唐無稽になってしまうでしょう。そしてこの選択にはもうひとつの擁護論が繋がります。

「荒唐無稽なものをリアルに描こうとしてそのこと自体が目的化して…」
皆さんこれ意味判りますか?私にはよくわからないです。荒唐無稽なものをリアルにしたくて、それが目的化…、目的じゃなかったら何?手段なの?手段だとしたら目的は?…いやいやバットマンをリアルにする目的は、充分に目的でしょう。なんか韻を踏んでるみたいでわけわかんなくなりそうですが、要するに「そのこと自体が目的化」しててダメってのはおかしいでしょう、ということです。ノーランは、それをちゃんと自分のいつもの作品レベルでやりたかったんです。

この映画の最も恐ろしいところは、普通の人間達、一般市民たちが、いかにも扇動されやすく、あっさりと暴徒になってしまう様です。そして、悪の象徴的な人物例えばジョーカーは、高潔な筈のヒーロー検事を転向させ、精神異常者を利用し、正論を吐いて市民を混乱させる。はっきり言って「ダークナイト・ライジング」なんてそうとう酷い話。貧困層が支配者層にレジスタンスを行うと、悪役ベインらの指導力でレジスタンスは権力を握り、…そのまま支配者層に残虐な復讐をするんだから。人間、どっちもどっちだなあ…、って…。実はバットマン=ブルース・ウェインが守っている平和と秩序は、性善説とは逆なもので、一寸揺すぶられるとあっさりと崩れる。しかも、支配側からも被支配者からもです。虚しいね。彼自身、ある種畏怖される存在として振る舞っている。
なのに、性善説を信じて、ヒトは最後に善行を行うと信じて、それに賭けて闘い、誰も殺さない。

ぼくはここに少し疑問を持ってはいます。
3部作の中で、「バットマン・ビギンズ」では明らかに、殺人をしてます。崩れゆく鉄道の中で敵に引導を渡す。助けずに、そのまま死なせるんです。いや、別にいいんだけど、それなら次作でもジョーカーにそれやって良かったんじゃないか…。3作目になるともっと顕著。ベインを、ちゃんと死なせる。ポリシーに少しずつ迷いがあって、やはり2作目の「ダークナイト」は格別に凄い。その暗さも、迷いも、性善説も。
ただそこの疑問にもちゃんと役割りはあって、逆に3作目「ダークナイト・ライジング」は、身も蓋も無さが凄い。最早主張の余地無し。次第に安定してきたゴッサムの街をベイン一味が再び恐慌に陥れて、体制側と反体制側が完全にいがみ合って、しかもどっちも非があるという…。例えばジョーカーが2隻の船にそれぞれ市民と犯罪者とを乗せて、お互いにお互いの船を爆破するスイッチを渡したでしょう。その時は最悪の事態を免れたんだけど、ベインはその船の乗客を本当に闘わせたイメージです。誰にも歯止めが効かなかった。それは、今の時代とまるっきり符合します。人種差別も性差別も、全て階級差別に絡め取られてしまう。更にその階級というのは、共同体への忠誠度によって測られているように想われます。アメリカではライフル協会の顔色を見ないと政治家は落選する。日本では現政権が世論をコントロールすることに躍起になって、雑誌は出すわ圧力はかけるわ…その背景は、今度は財団の利権。

利権とか、欲とかの巨大さはとっくに個体の生存本能を越えていて、ダークナイトとはまさにそんなテーマの物語である、…気がします。酷い世界を、酷い自分達が、生きていく。
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by momayucue | 2018-07-09 22:52 | もーしょんぴくちゃー | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


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