もーしょんぴくちゃー

戦争映画のリアル

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戦争の映画をこのところ観ています。
スターリングラード、ハクソーリッジ、プライベート・ライアン、フューリー、野火、日本のいちばん長い日、
Etcetcetc......

それぞれの個性が出るですね。でですね、非常にざっくりとした感想と分類をします。
幾つかの戦争映画を分類対比することで、戦争の特殊性が明確になるようにしたいという動機です。若干偉そうな言い分になりますし、右翼的にも左翼的にも反撥されると想われます。

ネタバレばりばりなのでご注意を。

「日本のいちばん長い日」は、この中で際立って特殊です。何がかと言うと、本土決戦をしていない日本国内でのドラマだからです。で、これについては後で言及することにしますね。

「スターリングラード」は、伝説の狙撃手と呼ばれた男の物語。「薔薇の名前」などで知られる、ジャン・ジャック・アノー監督。史上最大(つまり最悪)の市街戦と呼ばれたスターリングラード攻防戦。ある新米兵士がふとしたきっかけで銃を持ち、次々に狙撃で手柄を立てる。その中で、味方軍でのドラマや、顔も知らない敵軍の狙撃手との知的駆け引きを繰り広げる。舞台設定が市街戦で、何故か女性兵士もいて、風呂もない状況であろうが、已むに已まれずセックスしたりも含めて、極限。
「ハクソーリッジ」。メル・ギブソンの宗教観に根差したヒーローもの。これも実在の人物。崖がどうとか日本の戦争スタイルがどうとかは取り敢えず私はどうでもいいです。実際に彼のような人物がいて、望んで兵役に出たのに決して銃を持たなかった。現場の悲惨さはかなりなものだけど、手榴弾を蹴ったりとヒロイックではあるし、まあやっぱりアクションもの。
プライベート・ライアンフューリーは、アクションものじゃない。何とか戦争に近付こうとしている。但し、現場に。戦場に。そこはお世辞にも会議室に繋がっている現場とは言えない。通信も補給も滞り、ばかすか人が死んでいく。
ばかすか、じゃない映画が、「野火」。しかもことここに至っては、全く通信なんてないし、あっても戦局を正しく伝える種類のものじゃなかった。ジャングルで孤立した病人の兵士が、ふらふらとほっつき歩くのが精一杯の体力で、ゾンビのようになりながらゾンビにはなれず息絶える。本当の戦場は、本当のジュラ紀がそうであったように、スカスカ。あんな一枚の映像の中に主要な恐竜がうろうろしてる訳が無く、お互いはお互いの距離を孤独に保っている。

気付いてくれてるとありがたいのですが、ここ迄で私は、どの国とどの国の対戦かというところを、全く無視しています。ただひとつ本土決戦でない東京での話が今から出て来ますが、これも特に日本がどうこうということではありません。ナショナリズムは、ぼくには要らないんです。
「日本のいちばん長い日」は、ノンフィクションのルポを映画化したもので、緻密に、8月15日を迎える日本の、本土内の、戦争を止めようとする側と本土決戦に持ち込もうとする側との攻防の様子を、文字通り長い一日を、追っています。
私が観たこの映画の印象は、ひとつやふたつではそりゃないですが、こうして他の現場主義の映画と並べると、明確に違いが出ますよね。

戦争には、大きくふたつの要素があります。兵士と家族。敵と味方。そう、戦争じゃなくたってふたつに分かれるさ。決まってる。で、たにふじの言いたい要素は、戦場と、それ以外、です。戦争映画で戦争の悲惨さを見せつけるのは、それ以外の人に兵士のリアルを伝える為でしょう、恐らく。しかし「日本のいちばん長い日」では、兵士ばかりが出てくるのに、戦場が、無い。あの時間軸には、国家の威信とか誇りとか眼をむいて喚き散らす兵士が出てくるけれど、誰も前線で敵とあいまみえていないんです。緊迫感溢れる演出も、正確さも、戦場とかけ離れたところで起こっている共同幻想です。
こいつらの理想は、最前線のコマを弄んでいる。知らないんですよ、今の右翼や(勿論左翼も)、政治家が知らないように。いや、今の奴等よりはましです。戦争を感じていたでしょう。しかし、最前線でシベリアで凍傷になって手足を失って帰国した者達にとっては、自分達がいったい何の為に動くものに怯えながら穴を掘ってたのか…と疑念を抱くに充分に、バカでスカスカなものだったでしょう。
現場を、ヒロイックに描いたりも悲惨に描いたりも出来る。そして、1日の史実を丁寧に描くことも出来る(ミフネに切腹までさせて)。しかし、いつもいつも想うことがあります。

フューリーを観て、戦争の理不尽さを私は強く感じます。いや、どの作品も、戦争なんて命の理不尽な浪費じゃないか、と強く感じます。しかし一方には、闘う美学に心酔する人もいて、敵国をそのまま敵国と鵜呑みにする人もいて、自分のアイデンティティーを確認したり、奮い立たせたりもしてる。国家なんて無くなればいいのに、愛国心なんてみんな捨てればいいのに、と私が想う時、ハクソーリッジの主人公ドスは私を否定するでしょうし、その戦争映画の人物も、愛国心こそが重要だと私を責めるでしょうね。しかし、それさえ無ければ、愛国心さえ無ければ、戦争なんてない。報復?いやその前に侵略が無くなるでしょう。全てが、理不尽な愛国心による、と、いつもいつも結論はそこに辿り着く。

戦争は悲惨だ、と訴えても、戦争を終わらせる為に闘う、と言い出すヤツは絶対にいる。

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戦場と、作戦室と、市民生活は、全く違ったレベルの出来事なのに、同じ方向を向かされる。謎の愛国心です。私がそれを最も克明に語ってくれたと感じた作品は、「この世界の片隅に」というアニメーション映画で、何故かというとそこには当時の女性達の戦場へ届きようもない眼線が一人称になっているからです。アメリカであの映画が公開された時、おおかたの反応は、
「これのどこが感動的なのか、まだ理解が追い付かない」
という戸惑いだったと聞いています。さもありなん。しかしあれが本土決戦に至らなかった日本という国の事情でしょう。得体の知れない愛国心。そう、それでは戦地のリアルとは比較出来ない。

だからこそ、戦争とは、こう起きて、こう誘導されて、戦場ではこう伝わって、こう殺し合って、そして、「こうしか理解しない首脳部」がいて、…迄を一気に描く戦争映画が、あって欲しいと想います。これが戦争なのかよ、と、右からも左からも幻想をもぎ取って欲しいと想います。


さてさて、頑張って避けてたことを、ここで。
日本にはふたつ、レアな戦争体験がある筈です。
ひとつめは、もしかすると世界ではそんなバカげた例があるのかも知れないですが、沖縄決戦です。
本土からも蔑ろにされ、愛国心だのを踏みにじられた戦場。戦争を知らない私が他の例を知らないだけかも知れないですが、沖縄うちなんちゅうが日本にアンビバレントな感情を持つのは(今もって差別してるやまとんちゅうもいるし)当然でしょう。寧ろ、あんないい人ばかりなのが不思議だし希望です。
ふたつめは、原爆です。被爆国なんです。
私のような一本抜けてる人間には、1940年代に爆弾として使ってた古臭い技術をいまだに科学的には兎も角政治的にも経済的にも制御出来ない人間が、太陽光や風力と言った殆ど無限大のエネルギーに移行する感性もないことが信じられない。バカじゃねえの人類!?と想う。それを戦争とかって、…。ステルスで見つからずにさっと領土に入って制圧した方が有効活用出来る領域も全然多い。
日本は、戦争なんてしてはダメなんです。勝てないし、内輪を裏切るし、不慣れだし、今は圧倒的に小国だし。日本が世界に誇れるのは、恐らく、平和ボケだけでしょう。地球上全ての人間が、平和ボケにさえなれないし、平和ボケ出来る時代を望んでる。そう、戦争なんて、平和ボケも知らない気の毒な人達のすることなんです。

一方で、戦争を誰もが憎んでいるかというと、案外そうでもない。私だって、若い頃に、いや何処でもいいから戦場で戦いてぇ…と苛々してた。16で卒業したけどな。ただ、当時から「愛国心」なんてものがベースにはなってなかった。悪い奴は、他国の時も自国の時もあった。なちゅらる・ぼーん・非国民。


後は、「地獄の黙示録」を未観というのは、致命的なようでいて、要するに映画マニアって訳じゃないもーんという意味でニュートラルなのさ。
観たいけど。





















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Commented by ぽにょ at 2018-10-20 22:44 x
地獄の黙示録なんてマスターベーション映画ではなく、炎628を是非ご覧あれ!
Commented by momayucue at 2018-10-21 12:34
ぼにょさん、初めまして。
コメントありがとうございます。

ふたつお伝えします。
ひとつめ。本当に推薦したい映画がある時に、
取り上げられている作品をマスターなんちゃらとなじるのは、逆効果です。

もうひとつ。個人的には、映画がマスターベーションなのは全く問題ない。音楽も小説も、全然ありだと想います。

「炎628」は良さそうですが、あなたの書き込みはあなた自身の価値を下げたかもね。


by momayucue | 2018-10-18 01:12 | もーしょんぴくちゃー | Comments(2)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


by momayucue