つれづれ

誰にもわからない、ボヘミアン・ラプソディー

d0041508_2248231.jpg

d0041508_22482351.jpg

ほぼリアルタイム世代でありながら、ぼくはクイーンをあまり通ってません。しかし、あまりにも奇抜でユニークな曲達は、いちいちが発明だったと事あるごとに言ってます。普通の発想じゃないんですよ。ロックともポップスとも呼び難いし、どっから出てきたかわからなくて、Queenというバンドがそうだったとしか言いようがない。ポップミュージック的な基礎項目、ブルースでもカントリーでもクラシックでもジャズでもいいんだけど、ベーシックなものの探求よりも、彼等の発明と考えた方が余程すっきりするんです。

逆もまた真なり。クイーンのカヴァーを積極的にしているバンドは非常に稀です。ハードロックのバンドなら、レッド・ツェッペリンやホワイトスネイクのカヴァーをしたりする。フュージョンならラリー・カールトンのルーム335とか、定番があるし、逆引きも出来る。しかしもしももしももしも、クイーンのカヴァーをしているアルバムがあったとしますよ、その人達は、何者ですか?どんなバンドって言えますか?プログレが一番近いかなと想ってみましたが、はてそのクイーンカヴァーさんはピンク・フロイドかな、YESかな…。どうもそうではなくて、もっとPOP寄りで、でありながらPOPSともそぐわない。オペラ要素が色濃いバンドなんて、後にも先にもクイーンだけだ。

既にそこかしこで、映画「ボヘミアン・ラプソディー」の検証がされています。検証とはつまり、史実と違う点、正しい点、それらをどう落とし処にするかについての議論というか主張というか。

……主張って言えばさ、最近すっかり議論らしい議論を見なくなったね。もう何処もかしこも、いかに相手の意見を聞かずに主張だけするかの話ばかりになってる……。

…はさておき、要点は楽曲の革新さとメンバーの役割とフレディのセクシャリティーと傲慢と葛藤とバンドの団結です。事実はこっちの方が先とか色々あるだろうし(あまり知らんけど)、それで醒めちゃうこともあるのかも。ファンで詳しければ尚更。でも、いいんじゃないかなこれで。音楽監修にギターのブライアン・メイとドラムスのロジャー・テイラーが参加してて、おそらくストーリーで受け入れられない部分があったら抗議したり降りたりしただろうし、肝心なところは間違ってないと想っていいでしょう。

フレディ・マーキュリーのセクシャリティについては、当時から話題になってたし、それによってバンドの結束は揺るがなかったし、差別もなかった。彼と彼のファミリーに比べたら現代人もそうとう遅れていると言っていいくらいに、彼等はフェアで友情に満ちていた。この点は実は映画以上で、実際にはLive Aidの直前まで連中はワールドツアーやってたし、エイズ感染だってバンドとしての公式発表で、決してマスコミにすっぱ抜きなんてさせなかった。トランプ時代よりも、現代の日本国民よりも、遥かに多様性に対してオープン。むしろオピニオン・リーダーとして自然にふるまうべきだと自覚していたのかも知れないです。

ところで、フレディの声について、幾つかの分析が世の中にはあるようです。音域は凄くないとか、ビブラートが特殊とか、倍音が云々とか…。しかし、ぼくには違うものが聴こえます。多分、誰でも聴こえてるのに、そういった言及が目立ったところでされていないだけなんです。彼の声には、誰もがそう感じるであろう特徴があります。思春期です。
ドラッグや派手な性生活や、数々の無軌道伝説を、ロックバンドは標準で持っているもんだよな、とぼくは想ってますが、その多くは、ぼくには受け入れられないんです。それは世間的にはむしろ逆で、大事なエレメントみたいですけどね。ストーンズも、ヤードバーズも、ツェッペリンも、EL&Pも、アイアン・メイデンも、Xも、ビートルズでさえも多少は持っているそれは、マッチョイムズ、野蛮な男性のイメージ。ぼくは昔からそこにあまり関心がありません。基本的にロックを生き様みたいに捉えるよりも、音楽でありアートであると受け取るのは、その男根主義的な、拳銃主義的なモノがイヤだからです。男も女も、その間の様々な者たちも、破滅に向かってしまう季節はあるでしょう。だけどそれをあのマッチョイズムと混同は出来ない。自分がマッチョイズムをやることはないと断言出来ます。さてクイーン。フレディ・マーキュリーの声、声量よりも、技術よりも、もっと重要なものが聴こえないですか?
デビュー当時のフレディ、筋肉質ですし、ゲイを明らかにしてからも闘牛士の衣装を着たり、一瞬マッチョな感じがするかも。しかし、それとは違う。彼の声は、ナイーブな思春期の少年のそれであり、もしかすると性別を超えています。どんなにタフなシンガーであろうとも、中性的で、純粋に音楽が人間をなぎ倒していくパワーがある。オースン・スコット・カートの「ソングマスター」が地球に実在するとしたら、フレディなんじゃないかと想います。様々な屈折や属性の問題を抱え、それが全て音楽そのものになってしまう。メッセージではない、音楽そのものです。バンドは、そんなシンガーの立ち方に感化され共鳴し、ギターのタイミングはさながらコーラスそのもののようになる。ドラムは手数よりもパワーよりも、聴くものを歌わせるビートを叩く。ベースはコードを支える基本的なラインともうひとつ、死ぬ程重要な役割りがある。歌えるベースラインです。
クイーンは、ヴォーカルだけでなく全てのパートを歌いたくなるよ。あんなに変な曲だからこそ。

そのことと、フレディがゲイパーソンだったことが関係があるのか、ぼくにはわからない。ドラァグクイーンからの絶大な人気と関係があるのか、ぼくにはわからない。ただ彼等の音楽に助けられたり倒れそうになるのを支えてもらったり肯定してもらったり一緒にWe Will Rock Youしてもらえたのは、フレディのようにナイーブで厚かましくて13歳で死にたくなって見栄っ張りで、いつもいつも困っている人々だった。もしくは、強くてもマッチョでも心の何処かにあるそんな「立場」だった。

あと数年後だったら、彼の病は何とか存命出来た。そしてその音楽は今もそうブライアン・メイ等が名乗っているように、クイーンとしてクリエイトされていた、ような気がする。

でも彼は死んでしまって、本当にそうなったのか、誰にも、わからない。










by momayucue | 2018-11-21 22:48 | つれづれ | Comments(0)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


by momayucue
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31