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小理屈「いやカタいのなんの」

未来派野郎論

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教授の作品は、映像もの、パフォーマンス、オリジナルアルバム、コラボレーションもの、映画のサントラ、等々たっくさん有ります。中には俳優として出演したものとかもあって、やれることややれないのにやったこと様々です。とは言っても、だいたいアーティスト…とりわけミュージシャンなんてのは、興味持てることがあったりしたら、アクションしてしまうものです。亡くなったロックンローラーも、ロックンロールな映画に俳優として出演したり制作したり、ロックンロールな前衛音楽をプロデュースしたり、内外の芸術家とロックンロールな交流をしたりしてます。私もそうですが要するに、ジャンルじゃないんです。興味の範囲なんですよね。逆に言うと、幅広いようでやはりテイストは無限ではない。

ここ数年、活動はアグレッシブではあるけれどビート・ポップスからは若干遠ざかっている感がある、教授こと坂本龍一。2020年早々にはNHKで「どてらYMO」の放送があるらしい(執筆時は未見)ですが、今世紀に入ってメインの音楽制作は殆どが現代音楽やアンビエント軸足のもの。結果、若い頃から独特だった抒情的な和声や響きそのものが、より際立っています。もうやりたい放題でしょう。同窓生の幸宏さんが昔のアルバムをリ・ヴォーカルしたり、細野さんもソロ・デビュー作を全面再構築したりなので、結構みんな一致してる。私も超古参のファンですが、今の響きを喜んでいるファンもいる一方で、昔みたいなのがいいなぁとつい言っちゃうファンも少なくない(自分も年取ってるのを差し置いて)。ご自身でも、先程触れた「どてらYMO」のときに、自分がまだこういうガッツを要するプレイをするんだと驚いたそうですが、それが今後新作になるかどうかは、微妙かな。あ、プロデュースならあるかもです。

さて本日のお題、「未来派野郎」。教授ファンには人気は高いけれど、代表作、エポック・メイキングなものは他に譲る。「千のナイフ」での、B-2UNITでの、それ迄何処にもなかった奇妙な感触の、ヒリヒリとした緊張をもたらす音楽。また有機的で多彩でありながら名曲が集められている「音楽図鑑」も、時代を経ても語り継がれる代表作です。「未来派野郎」は、その音楽図鑑の次のタイミングで、「ESPERANTO」と殆ど対を成すようにリリースされました。その後は、教授にしては非常に珍しい、外部プロデューサーを迎えた相当にワイルドなもの。何しろトニー・ウィリアムスとかブーツィー・コリンズですからね。これ程フィジカルでマッチョを狙ったアルバムもない。以降、完全に渡米生活で音楽を作るようになっていきます。(あ、Beautyは現場はN.Y.でも家は東京だったかな。)記憶は一寸微妙。

未来派野郎論というのはつまり、「かなり癖の濃い作品でありながら、教授史では少し地味な扱いになり、でもファンの間では最も好かれている未来派野郎を、折角だから意義付けしてみたい」という試みです。

ともあれ、ESPERANTOと未来派野郎は、双子みたいなところがあって。
どういうことかというと、勿論時期も近いんだけどその他に、
1、フェアライトCMIという高価なサンプリング・コンピューターと、YAMAHAのDX-7というシンセサイザーが制作のベースになっている。
2、メロディー感は薄く、グルーヴィーではないんだけれどパーカッシブで硬質。HipHop隆盛の時期に、その影響を受けながらも機械的(ある意味死語かも)音楽。
3、当時、物凄く新しく、前衛的(これには個人的にはハテナなのですが)だった。

うーむ、3、は取って付けた感ありますねー。1と2で派生した条件なんじゃん。
何故新しかったかというと、サンプリングと、音楽ワークステーションを過度期のまま使い倒したんです。先が読めてしまうような安直なもの達なんてめじゃなかった。
イエロー・マジック・オーケストラにおける最初のサンプリング作品は、「テクノデリック」です。世界初、という説もあるけど、そこは何とも言えない。スティーリー・ダンのエンジニアとして名高いロジャー・ニコルスは徹底的にクールなビートを作る為にアセンブラでタイムの長いサンプラーを作ったなんて説もあるくらい(ライナーノーツ参照です)だから、この世界の片隅で誰かがひっそりとやってた可能性もあります(ただ、テープやディレィを使ったものは区別した方がいいでしょう)。しかも、東芝の技術者によるほぼハンドメイドだったもよう。その後サンプリング・マシーンのスタンダード器が市場にでることも情報として知っていながら、頑張っちゃったんですね。その成果はアルバムのそこかしこにドラムやパーカッション音として聴くことが出来ますが、何と言ってもハイライトは、プロローグ/エピローグで使われる工場の重機音。現代音楽で非楽器音を使うにしても、サンプリング時間の限界があった為パーカッシブにならざるを得ない。そんな中で、手持ちの技術でサンプリングに乗り出したのが、テクノデリックでした。その直後にアート・オブ・ノイズが文字通りノイズをコラージュして徹底的にドラムに代替した。そのヒステリックでいながらPOPなサウンドで、サンプリング業界(ないよそんなもん(^^;;;)にアート・オブ・ノイズとトレヴァー・ホーンあり、と名を馳せましたが、こんにち迄音楽的な影響の範囲を考えたら、サンプリング云々以前の音楽性で、テクノデリックに軍配があがっています。
ところが、この内製サンプラーの後、フェアライトやイーミュレーターといった商用サンプリング・マシーンをフロントにどーんと出した作品が、市場にも怒涛の如くリリースされます。細野晴臣さんは、YMOの活動中はソロ・アルバムを出さないと決めていたそうですが、如何せん解散が業界のニーズで延期される中、「フィルハーモニー」を制作。当時のことを細野さんは、
「サンプリングが出来た。これは急いで曲つくらなきゃと思った」
と振り返っています。細野さんのアルバムはいつもそうなのですが、ユーモラス。教授は、モリサ・フェンレイという現代舞踊の舞台用に作曲、実際にライヴ・パフォーマンスも行いました。エスペラントです。新技術に対峙したことで新しい音楽が生まれる、と当時浅田彰さんが繰り返してましたが、それよりも、新技術に対峙しても個人のキャラクターが強く出ることが面白いです。エスペラントは、同じようにサンプラーを使い、同じようにガムランなどの民俗音楽を取り入れても、シリアスさが圧倒的。飯島真理さんは「難解」とレビューしていた。しかし、ひんやりと美しい音楽ではあるけれど、難解ではないでしょう。モテ音楽ですよ。
エスペラントの方はダンス用音楽ということで、冒頭の曲などはストラヴィンスキー風味が大変強い。サンプリングとかのハイテク使ってるのに、楽曲的には春の祭典まんまじゃん!とも言えそうです。バレーの様式をちゃんと踏まえてる。
不思議なことに、「音楽図鑑」でもフェアライトは使われてるのに、比較的オーソドックスな発想止まり故に却ってこんにちでもスタンダード作品に聴こえる。トゥーマッチじゃないから。
現代舞踊につけた音楽で、もうオーソドックスを振り切った教授は、その振り切りの勢いのまま、次作に向かいます。「未来派野郎」です。
今と比較したらざらついた低ビットの音質の中で用いられるドラムの構成。全体に、明らかに元はドラムではない低いアタック音をキックにし、特に2曲め「黄土高原」はそれと比べ少しピッチが上がったアタックをスネアに配置している。キックとスネアを意図しているんです。しかし、ひとつひとつの音が面白すぎる。低ビットでも倍音が多すぎる。レコーディング・スタジオの中では力技で面白い方に持っていけるのは、教授の生来の特徴です。しかし、実は意識の中で配置が間違っていて…間違いとは言わないのかな…、微妙な違和感が残る。ドラムになり切っていない。勿論ここで言っているのは、ドラムそっくりの音にしろなんて単純なことではなくて、ドラムのノリとは違う面白さに無自覚になってしまってる。何故無自覚と私が言い切れてしまうかというと…。メディア・バーン・ライヴというライヴ盤があります。未来派野郎リリース直後のツアーを収めたものです。この中での「黄土高原」に首を傾げた人は少なくないでしょう。これ、ほんとはスネアじゃなくてフロアタムなんじゃない?何か腰が軽いリズムで始まるこの曲は、後半になると漸くキックもスネアも16ビートで明確にシンコペートします。でも前半で各小節4拍めに鳴っているのは、本来ならフロアタムの意味合いなんです。ライヴ盤での違和感は、ズンってなるところにパーンとスネアがなってるところ。それでもスタジオでフェアライトで作り込んでいる際は、倍音がたっぷりなのでその腰の軽さが別な面白さになっている。これは本物のドラマーに叩いてもらわなきゃ気付けないことです。そして、余程のことがないと、これはスネアよりも低いタムだって気付けないことです。しかも、何となく違和感があるだけで、スネア扱いしてるのが問題なんだなんて、余程度胸がないと気付けないことです。ただ、このスネア事例は、この曲だけで、他の曲ではもう少しスネア然とした配置とピッチにされている。そして、時間も含めサンプリングの自由度が格段に上がった環境下で、普通のドラム音からドラムを構成することは全編を通してないです。やはりそこはテクノデリックでの工場案件の成功(なんだこのいいまわしわ…)があるので、金属的というかインダストリアルというか。
そして、これ以降ある意味教授のシグネチャートーンにもなるのですが、ピアノも敢えてサンプリングしてしかもフィルターでくぐもらせた音質にしたものを多く使っている。
で、フェアライトと双璧になるサウンドカラーは、YAMAHA DX-7。当時のシンセサイザーと言えば、数百万でやっといい音が出る。20万円代のものは、喩えて言えば1万円のエレキギターみたいなもの。それなりの音になってしまう(私は、KORGのPoly-sixとMono-Poly使ってました)。ところが、DX-7は20万を割った価格で、充分に使える音が出せた。音源の方式が違うんですね。なので、重厚さはないけれど、透明感のある音は得意だった。っていうか他には出せなかった。このDXは、未来派野郎で大活躍します。コードのカラーはつまり、DXで出してる。その軽いサウンドで、教授は、9thや13thを多用しまくり(その影響でいまだにぼくは9th多用マンですわよ)、それから、あまり進行しない曲を作ろうとしてる。勿論一方では、「大航海」のようにクラシカルなアリアも作ってる。こういうところはかなり広範囲に影響を及ぼしていてさ、みんな一寸アリアっぽい曲をこそっと作ってみたりする風潮が生まれ、定着しましたよね。はい、私もです。しかし、ギターリフを意識したり、ジェームス・ブラウン的なワン・コードで押そうともしたり。ただその意図は充分に成功したとは言えず、寧ろ芳醇なコードの動きの合間に特徴的なブレイクがはいることが、音楽的により高次元になっている。…気がします。大航海や、GT-Ⅱや。気がするだけで、個人の感想ですが。

まとめると、
1)、フェアライトの素材が硬質で重機工場っぽい。
2)、DX-7の和声や、楽曲構成は、比較的進行しないように考えられているが、実際にはそうではなく結構進行してしまっている。確かにキーボード奏者ってワンコードに向かいにくい。

では、この特徴を牽引している2つのハードウェア、DX-7とフェアライトが揃ったら、みんな重機工場っぽく且つワンコードにしたくて且つ出来ないかっていうと、んなわきゃない。背景がこうだからっていうレベルで終わらないのが教授たる処。実際、Psy'sなどのマニア向けを出すまでもなく、フェアライトを用いた音楽は世界を席巻していました。しかし、未来派野郎のような質感の音楽は、類がありません。
コンセプトが、違ったからです。

敢えて取ってつけたようなコンセプトが未来派野郎にはあるのは、よく知られています。そもそもタイトルの「未来派」が、イタリアの前衛芸術運動につけられた名前です。無機質な筈の、機械や、重機や、工場などの建物も、アートだ。示唆に富んだアートだ。そう、宣言した詩人がいたんですね。
果たしてフェアライトで音楽を作ろうというときに、そんな宣言を持ち出す必要があったかどうかというと、殆どの人にはない。だけど、教授はそうした。「フェアライトを使い倒す」という時に。

このアルバムノイジーで過激だけれど、全体として壊れていかない整然とした「音楽」の「音楽」たる姿に、実はファンは多いです。「黄土高原」「Ballet mecanique」など、人気曲もあるのに、何故だろう、未来派野郎だけがリマスターされない。ファンがいても、冒頭に上げたような代表作としては語られない。一寸不思議なんです。エスペラントだったらリマスターもされたし、教授も後年、この方向をつき詰めていれば、自分の音楽史も違ったものになったかも…と発言する程。確かに、振り切った感はそちらかも。しかし、最近になって発掘音源集のひとつとして初めて世に出たアウトテイクは、未来派野郎のサウンドカラーを継承しながらも、また違った表情を見せる傑作でした。ユーモラスで、柔和で。
あるんですよまだ未来派野郎には、秘密が。

フューチャーリズモは、確かに予言的な芸術運動であったと想います。機械がアートになる。教授がこのアルバムを作った1986年、どうだったかというと、鉄道オタクはまだそれ程流行ってなかったし、所謂SLのような剥き出しの鉄の塊は、時代の洗練に追われて消えゆくノスタルジーの対象でした。フューチャーリズモが宣言されたのは1909年。その数年後には第一次世界大戦が勃発します。芸術運動は戦争の口実や扇動に利用されがち。音楽も勿論。いったい思想が戦争に傾くことはあるんだろうか。つまり、利用される関係ではなく、自ら扇動することは、あり得るんだろうか。戦争を意図的に招く思想や芸術は、あらゆる微妙な罠や綱渡りを乗り越え、どの時代にも存在し続けています。フューチャーリズモがどうだったか…、全貌を俯瞰したら、恐らくインダストリアルとスピードといったところでしょう。しかし、肉体を越えた鉄のマッチョイムズは戦争への憧憬に飲み込まれたりもしたことでしょう。アートは、世界を変える。よくも悪くも、です。では、「野郎」はどうでした?先程、サンプリング音によるドラムのちぐはぐさをビビりながら指摘しちゃいましたが、それでも教授の、ひとつの音を音楽的に面白くする精度は世界に誇れるものですし、要するに、彼は未来派を野郎っぽく、一寸ずらしたものにした。これが例えば何処かのビジュアル系ロックのシンガーが「未来派」とかやってたとしたら、多分ディヴィッド・ボウイの劣化コピーくらいになっていたかも。ブーレーズでさえとんでもない酷い発言をしてしまう。教授だって失言しそうです。が、未来派野郎は、聴感上どうでしょう。極端にフィジカルにならず、極端にメタリックにもならず、ひどく落ち着いた、常温、平熱を、いつも私はこの作品に受けます。フェアライトを使い倒したその行く先は、生々しい重機ではなく、教授のフィルターを通した、音楽的な機械音と、和声です。戦争の動機は大概国防だけど、教授は当時から、日本の文化を代表して闘うつもりなんてないと言い切ってました。「野郎」は、無頼に通じる。体制の動きに安易に迎合はしないし、場合によっては反体制にだって猜疑心からはいる。私は、自分に自然についた日本的なものを否定もしないし寧ろ好きなものの方が多いけれど、ナショナリズムの危機も何処かに感じてしまう。未来派野郎の、暴れているようで静かな温度や平常心にこそ最も共感します。リマスターで音が変わるかどうか確信はありませんが、一度ゴールドメッキでプリントしたものが発売されたことがあり、それは一寸衝撃でした、音が良くて。今でも通常版と比べると音がいい。なのでリマスター/リイシューは少なくとも「意義はある」と想います。

もしかしたら禁断の#9thでワンコード実験もしていたかも。ギターリフによるハードロックの実験をしていたり、ワンコードの実験をしていたり、過度期故の面白さに溢れてる…、気がします。例によって気がする以上でも以下でもないのですが。A面ラストのGTに関しては、ボーナストラック扱いになっているGT-Ⅱの方が凄みが増している。ボーナストラックというものをミュージシャンがどう捉えるかは人それぞれでしょうけど、もう規格からはみ出たものが混じったっていいじゃないですか。配信なんていう非工業的なものではなく、ブームから遠いCDという媒体で(アナログレコードでも、カセットでもなく)、ボートラ満載の未来派野郎を、21世紀に手に取りたいのです。
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Commented by よしてる at 2019-12-27 21:21 x
たしかにそうですよね…といろいろ頷きながら拝読しました。
Parolibreについて、よければ一言(それがあるものと勝手に思ってたので)。
Commented by momayucue at 2019-12-28 21:59
よしてるさまどもども!
parolibreは、ピアノを中心に音楽してる人には人気あるけど、
ぼくはギターから音楽に入って、編曲の一定教育を受けた身なので、
逆に、殊未来派野郎のテイクだとスカスカな感じがするんです。
変奏のもっていき方が、パットが来てアリアのソプラノが来てアート・リンゼイのギターが来てっていうのが、
未来派のコンセプトって言えばそれまでなんだけど、
意志が弱いかな、と。
だからCDだとボーナスだけどGT-Ⅱで宙吊りになって収まる感じがあるんです。
もとの曲が凄くいいだけに、
parolibreのベストテイクはその後のものに譲ることになるけど、
ピアノやってて教授のファンだったら、
同時想い入れ絶対にあるし、コピーしたくなったと想います。
Commented by よしてる at 2020-01-02 09:27 x
なるほど。納得です。
私もピアノ独奏バージョンが一番のお気に入りです。しかも私の両手で数えられる程度のピアノレパートリーのうちの1曲で、その中で一番好きなのもParolibreなので、すべてお見通しだなあ。
Commented by momayucue at 2020-01-03 23:51
よしてるさま、お見通しとか、やめなはれ(^^;

parolibreについて、不思議な瞬間が当時からあって、何かというと、
4小節めのⅡ9thです。
クラシック、特にショパンにはよく見る進行なんだけど、
なぁんか、ここだけpopというか、「ザ・コード進行」「ザ・Ⅱ-Ⅴ」になってる。
クラシックのセオリーなのに、ジャズっぽい。
そこが、隙っぽくて、
大好きです(^^;;;;;;;

Ⅱ-Ⅴはクラシックでもジャズでも多用される。しかし、
ここでのⅡ9thは次のⅤに対してⅤで解決するという部分的なⅡ-Ⅴの典型で、
それからここが1番重要なんですが、
Ⅴから解決する(と見せかけてるだけの場合も教授は多い)ときに、
9thが入ると、非常に教授っぽくなるんです。
戦メリの2コーラスめのA'からCパートに行く直前に入ってるのが、Ⅴ9th。
トニックへの解決感を薄めるとも言えるけど、
教授の場合は、直前の微妙な転調を元の調整に戻す魔法として使ってます。

すごいなあ、かなりシリアスに分析してしもた。
by momayucue | 2019-12-26 23:45 | 小理屈「いやカタいのなんの」 | Comments(4)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


by momayucue
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