しょうがないよね、が好きな、たにぴ@もまゆきゅです。
しょうがない、という言葉には、一般的には諦念が前提としてあります。
なんだけどその言葉が、ぼくは昔からどうも好きで。
やれること、やるべきことをやって、老いる。
この諦め方が好きだって人類はぼくだけかも知れない。
諦めて、仕方がないよねと言いながら、やる。
諦めてやめるんじゃなくて、やらないと誰もやらないし、という感覚です。
それはある種の仁義というか、義理人情というか、ハードボイルド。
この性格は、これ迄かなりの失敗をもたらしてくれちゃいました。
言わなくていいことも、スルー出来ずうっかり言ってしまう。
友達をなくしたり、怒らせたり、数限りなく枚挙にいとまなく。
そんなわけで、Thundercatの「そんなものだよ」というアルバム。
彼は巨漢で、6弦のベースをまるでギターのアルペジオみたいに弾いてしまう。
これはベースって呼べるんだろうか、と想う間もなく、さくさくと。
なのに、声は一寸可愛いんです。
でここ数年は、AORっぽいものが好きらしい。
彼のアルバムへのアプローチは、ビートルズ以降の、トータルアルバム(ボーナスDVD気になるなこれ)或いはコンセプトを設定する作りと、
どうやら違う。らしい。インタビューなどによると。
トータルなことなんて、別に考えないんだって。
5分前後の曲を、兎に角作り続ける。ひとつの楽曲に集中する。
で、曲数が満たされたらアルバムにする。
例えば生前のプリンスは(生前!死んだなんていまだに信じられない!)、
「アルバムは、今も重要ですよね」
と発言しています。
これは、2015年のグラミー賞で、プレゼンターとして登壇した際の言葉。
「アルバム、憶えてますか?アルバムは今もって重要です。
本や、Black livesのように、今もmatterなのです」
アルバムを作るということは、70年代からこっち多くのミュージシャンにとって、
全体でひとつの物語であり、オピニオンであり、ドットでした。
ひとつ作り上げたら、次は違うところへ行こう…。
さて、もまゆきゅのアルバム。
曲順にも曲間にも、へとへとになってもう何が正解かわかんなくなる程にこだわりますよ。
ただ、トータルにアルバムをイメージして個々の作品をあげてるかというと…、
そうでもない。
これは入れる…これは次回、若しくは塩漬け、ぶっちゃけボツ…。これは考えますよ。雰囲気はね。
過去のもまゆきゅ2作も、タイトルが漠然としてるでしょう。
音楽そのもののメッセージじゃなくて、
「イージーリスニングのノリです」
「地下鉄で移動中に打ち込みしました」
そんなのだから、社会の不穏とかを包括的に文学的にやってるわけじゃない。
今もちょぼちょぼと仕上げてる(筈の)曲達も、それぞればらばらです。
どうしてか。作るのが遅いから。ほんとはさくさくと仕上げてアルバムのカラーなんてのを出してみたい。
雷猫さん。彼も、出来て、貯まってきて、アルバムになりそうになったら、する。
作品毎の変化は、時系列の変化とイコール。らしいです。
買うのは3枚目。大丈夫、いつも通りのサンダーキャット。
ごつくて優しくて可愛い。
ただこのタイトル。きっと何かあるとふんでますぼくは。