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小理屈「いやカタいのなんの」

想いあふれて、トム・ジョビン

トム・ジョビン。アントニオ・カルロス・ジョビンは晩年、自分をトムと呼ぶことを好んでいました。1994年の死後に自分の名前が自国の国際空港の名前にさえなった、ブラジルを代表する音楽家ですが、彼は、自らの音楽とボサノバと呼ばれる音楽を、混同したくなかったふしがあります。
想いあふれて、トム・ジョビン_d0041508_1913162.jpgボサノバはジャズの1スタイルと解釈する傾向は、殊にジャズミューシャンにはごく一般的ですが、ジョビンの作品で9thの音をペダルに大胆な転調や移調をする手法は、一瞬ブルーノートに似通っているものの、実はフランス近代音楽の和声からの影響です。ボサノバというスタイルを作ったのは、確かにジョビンとジョアン・ジルベルトに間違いない、と私は想っていますが、自分自身にも覚えがある様に、作曲者、クリエイター(口幅ったいです。恥ずかしい)が、何がしかを作ったとき、どんなに画期的であっても、画期的でない自分の作品とそれ程重要度は変わらない。むしろ自作を代表するものでカテゴライズされることに、不自由さを感じることが多い。
「ボサノバは私のものさ。でも私はボサノバの奴隷じゃない」
彼はこんな風に感じ、自分達の音楽の一部であるボサノバにがやがやとやかましいアドリブをかまし、ああでもないこうでもないとジャズを持ち込む欧米のプレイヤーの、はなもちならなさに失望して、ボサノバをジャズから取り返すことを辞めてしまった。そう私は勝手に解釈しています。
「私にはジャズは出来ないから」
カーネギーホールで開かれたジャズの祭典。スタンディングオベーションで迎えられたジョビンが客席にゆっくりと語った、謙虚なオブジェクション。
彼は、多くの音楽家がそうである様に、そして僭越ながら私がそうである様に、自らのTPOに従って、自分の愛する響きを追いかけていたのだと想います。

私の大切な友人のひとりについて。これを書くと怒って今後遊んでくれなくなるかも、と心配なのですが…。
とあるDJパーティで、彼は「オレのニューオリンズ」と題したプレイをしました。勿論かの地を襲った災害の記憶が生々しい頃です。彼のライブラリーは膨大なのではっきりと判りませんが、その選曲には、確か1曲も「ニューオリンズのミュージシャン」は混じっていませんでした。何故?ニューオリンズスタイルを、世界が昇華したから?もしも何もない時期にそうした意図で選曲していたなら、それは素晴らしいリスペクトの表明と言えたでしょう。しかしあの時期にそうした選曲をされて、その場に当然独りもいなかったけど、ニューオリンズ所縁の人物なら、どう感じたでしょう。何となく厚かましい、喧嘩を売られた様な気持ちになったのでは。
そこでふと考えたのは……。
私ならどうしたでしょう。多分、ニューオリンズらしい音楽というよりも、ニューオリンズ発の、自分の知る限り多様な音楽を集めたい。クラシック、ファンク、その他…。最低限、ニューオリンズ風で埋め尽くす、なんてことはしたくないな。音楽の属性のみで語れることでなく、街の属性を音楽で語る、人間的な行為だと想うからです。

それは音楽そのものとは一寸違った、むしろ思想の問題かも知れないが、私は以前、ある歌の先生だかに、
「地方のスーパーで営業していた時、たった一人のおばあさんが観客だったことがある。私はすぐに彼女の為にレパートリーを変えて、童謡を演奏した」
と言うビダンを語られたことがあります。多かれ少なかれ人前に立って演奏する際に、そんなTPOは必要でしょう。但し、その場のTPOに照らし併せた上で、それが演奏者のTPOを満たす音楽であったか、カネの為だったか。いずれにしても、やはり音楽そのものを廻る話ではなく、ポリシーの話になってしまいそうです。

もまゆきゅ黎明期の頃、ゆうこさんが友人の女性に、
「なんであんたがこんな曲やってんのかな」
という趣旨のメールを貰っています。頼まれたからではなくやりたいからに決まっているのですが。彼女の歌は、決して彼女自身を主人公にしたストーリーを押し付けない、と言う、実はかなりレアな才能を孕んでいますが、それでも向き不向きはあるでしょう。しかし「こういうのは似合う」なら兎も角、「こんなのは似合わない」と言う言葉使いを、ついヒトはしてしまう。
普通のスタイルの音楽家でさえそうなのに、ジョビンのような、ボサノバを創造した程の人物は、常にボサノバのレッテルと共に見られてしまう。加えてジャズがボサノバを育てているのだと驕っている連中に包囲された、ジョビンの居心地の悪さは、ブラジルに起こった幾度かの革命や、追放、そしてやっとおとずれた賞賛といった背景がそうである様に、世界が抱えている「お互いの、お互いによる、居心地の悪さ」でもあります。

そして音楽。あるものはジャズのインプロヴァイズを、あるものは響きから響きへ遷る瞬間の繰り返しを。ある人は究極のイージーリスニングと呼び、ある人はエレベーターミュージックと侮蔑する。あるものはワイルドなファンクを、あるものはエレガントなファンクを。批評に、音楽
に耳を傾けるには、どんな作法が?真摯になろう……、振り返ろう……。
但し、
「あのヒトの声にはキュートなフレンチポップスが似合う。ブルースなんかやめたら?」
とか誰かが言うと、
「おっしゃあ、オレが最高にキュートなブルースを書いたるわい!」
と逆ギレしてしまう私なのでした。

しかし、バンマスの「ピック使え」にはどうしても逃げ腰(^^;;;;;
Commented by たにぴ at 2006-07-13 12:09 x
あるおかたからメール貰いました。
「アントニオ・カルロス・ジョビンと、トム・ジョビンって、違うヒトだと想ってた」
いやいや、実は私なんざ、柳田邦男さんと柳田国男さんが同一人物だと想ってましたし……。
Commented by dab♀ at 2006-07-13 23:13 x
ライブが終わると必ず「キレイな声ですね」とほめて下さる方がいらっしゃいます。それはすごくうれしいのですが、一方で、この声がコンプレックスだったりしてね…人間は贅沢なものです。声を与えてくれた両親には感謝しております。なんせ二人とも歌大好きだしな
by momayucue | 2011-11-23 23:45 | 小理屈「いやカタいのなんの」 | Comments(2)

モンキーマインド・ユー・キューブ・バンドのミュージックライフ。 こんな時代も音楽でしょう!


by momayucue
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