NY ダコタハウス 小野ようこ
「ギリギリセーフ」がテーマということで、もう20年も前の出来事ですが、なんとなく憶えていたことを、おたよりさせていただきます。これといっておもしろい噺でもないですし、スリルたっぷりの噺でもありませんけど。
その日私は、息子のショーンと、マネージャーの3人で、映画を見に行ったのです。映画は確か、コッポラの久しぶりの監督作品、”PEGGY SUE GOT MERRIED”だったと想います。当時大ヒットしていた”BACK TO THE FUCHER”のコッポラ番といった物語ですが、温かみのある素敵な作品でした。
それはそうと、帰りの出来事です。
映画館を出て、BROWDWAYに出てTAXIを拾おうと想っていた時、恐らく同じ映画を見ていた日本人の少年と、眼が合ってしまったのです。
彼と私との距離は、10メートル少々でしょうか。2人連れの少年の一人が、はっきりと私の姿をみとめました。
ご存知の通り、私は非常に有名な人間です。世界で最も顔を知られている日本人の1人です。私の望んでいたことも、望んでいなかったことも、その客観的事実の周辺で起こっていきます。もし大勢の人が同時に私に気が付いたら、やはり騒ぎになる。そんな事を、私は望んでいません。有名な人も、そうでない人も、平凡で当たり前の人間は、誰だってそうでしょう?ましてその日本人の少年2人のうちの1人。彼がもう1人に、私を指さしながら
「ほらあそこ、オノヨーコだぜ」
なんていったら、私とショーンはもう確実に騒ぎに巻き込まれる。
彼はその時、すぐに眼をそらしました。勿論私も。唯それは、敵意からの仕草ではなかったので、お互いにその存在を眼の隅に意識しながらです。
その緊張した時間は、およそ1分続きました。やがてマネージャーがTAXIを捕まえ、ショーンを先に、私が後から乗り込みました。
もう大丈夫、という気持ちが、彼と私にきっと同時に起こったのだと想います。動きだしたTAXIの中で、彼を見ると、彼がにっこり微笑んで、指で、”I LOVE YOU”とサインを送ってきました。私は、やはり微笑んで、ピースマークを彼に送ったのです。何事もなく、PEGGY SUEの1日が過ぎました。噺はこれでおしまいです。
私がもう20年も前のこの出来事を憶えているのは、本当にたまたまに過ぎません。第一私やショーンにとってそれは、1日の食事の回数よりも頻繁にある種類の事ですから。それに、私の亡き夫は、まさにこの有名であるという事実によって殺されたのです。
私達を知っている人々が私たちにつきつけるものは、本当に驚く程多い。例えば私の日常であるこのエピソードも、きっとあの日本人の少年には印象深い出来事だったでしょう、そして、大勢の人に、オノヨーコがピースしたなんて話してるでしょう。主人を射殺した男は、彼がダブルファンタジーを発表した事を、「売名行為」と判断して、JOHN LENNONの名を汚さない目的の犯行だといいます。
私にしても、有名であることの75%が生活の妨げになります。(余談ですが、私は特に日本人には評判が悪い。極端に東洋的なのだそうです)
あのときの日本人の少年のようなささいな思いやりは、有名であることのほんの数%。なのに、やはり私は、そして亡き夫も、自分達を有名にしてしまった何かに、そう音楽に命を捧げ続けるのです。
※トリッキーな書き方をしてますが、私たにぴーさんが、N.Y.でヨーコを見かけた時の、
エピソードです。
ヨーコというとっつき難いイメージがあるでしょう。
でも、これでぼくはすっかり彼女のファンになり、その日はその足で、
60thのTower Recordに行き、このアルバムを買いました。
オノ・ヨーコ名義の諸作からは想いもよらないポップ・アルバム。
でも、本文の方はエピソードというのはちと語弊があり、それをもとにしたフィクションですね。音楽によらずたにぴさんの創作の発露なんだから、もっと正々堂々とフィクションをうたった方がよいと思います。
ともあれ、イベント成功おめでとさん
「ホワイ」を最初に聞いたとき、デビュー当時のPILを連想したです。あのスピード感、並みのロックバンドじゃ絶対にまねできないと思いました。
最近ちっともお店に来てくれないんだから、んもう。
ヨーコのバンドは、みんな寝てても演奏出来る位の腕前なんだけど、
作品が作品だけに、理解して咀嚼しないと演奏出来なかったのではないかしら。
凄い集中力がいるもの。
ひろみつさま、こちらもご無沙汰!
フィクションっていうと、読んだヒトが
「なぁんだたにふじの作り話かよ」
と想うじゃん。
悪意は誰にもないんだろうけど、
結果ぼくが嘘つきに見られるのは、迷惑なんす。
もう過ぎた話題だからあまり引っかからないで、ぷりーず。
ところで、そろそろもまゆきゅのアルバム買ってくれまへんの?。
と、インチキ関西弁(^^;)
だからさあ、そうやって証明みたいなこと書くと、
またフィクションだと想うヒトが出ちゃうじゃん。お・し・ま・い・よ。
あでも、痛いとこ付かれた。当時は23歳デシタ(^^;)
それバンマスにも言われたんす。
「少年だと?ぬけぬけと!」
あなたがあなたの街で頑張っていることは、ぼくの励みであり、誇りです。
N.Y.の話は、mixiや個人的なメールでも、随分沢山感想を貰えて、
忘れてた気持ちを思い出したとかね、却ってぼくの方が励まされたり、
…むしろぼくは忘れてないだろうか?と自問したり。
きっと誰でも、自分だけで歩ける距離はそれ程でもなくて、
励ましや好意や気配に助けられて、進むんだろうね。
さくらめんとさんとは中々長い付き合い、でも1度もお逢いしてない。それでも、
お互い気配で励まし合える様に。
あなたの友人として恥ずかしくない自分でいたいです。
なぁんて、すっかり私信。